猪原金物店・コラム明治10年に創業。九州で2番目に歴史の金物屋

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【書き記し】その1 17:12
今年の1月だっただろうか、長崎市在住の友人N女史が一人の友達を伴って正午近くに来店した。「久しぶりに瑞穂町の岩戸神社に参拝して来ました。」と、茶房・速魚川の日替わりランチ【一汁三菜】を注文した。「良かったねぇ!きっと良いことがあるかも。岩戸神社は、ちゃんと神様が《人払い》をしてくれたでしょう?」「ところが、今日は一人の女性がおられました。」「へぇ〜 珍しいね。」とか会話をしていたら、駐車場に一台の車が止まった。

車から降りて当店に近づく女性を窓越しに見たN女史は「きゃあ〜!!」と悲鳴に近い声を上げた。「ど、どうしたの!?」「か、彼女は、い、岩戸神社にいた女性です!!」「・・・え〜!?」その女性もN女史たちを見て「え〜!?」と、ビックリした様子だった。人の出会いと別れに偶然はない、というがまさにその通りだった。この日、岩戸神社が取り持つ縁(?)で、N女史とその女性は速魚川で再会し急激に親しくなっていった。

月に一度、岩戸神社で祝詞を挙げ、弦楽器の奉納演奏をするというその女性は、昨年暮れから「言葉」が降りてくるようになったとN女史から聞き、是非その「言葉」を教えて欲しいと頼んだら、本人が直接メールで送付してくれるようになった。内容を読んで言葉を失った。まるで神典研究家で画家でもあった岡本天明によって昭和19年から開始された自動書記『日月神示』のようだった。
彼女にメールを送付すると、以下のような返事が返ってきた。


私の「書き記し」ですが、自動書記「日月神示」とは全く違います。
自動書記をされる方は最初か最後に神様の名を教えてもらいます。
「日月神示」の場合は宇宙の神様といわれる「国乃常立命」と言われる神様からの神示です。
私の場合は、最初に文字とイメージがいくつか浮かんで一気に書き上げます。
自動書記と似てると思いますが、神様の名前を教えてもらえない今の状況では、私の妄想の詩です(笑)
でも書いた内容は、メッセージ性があると思います。不思議ですが書き終えた瞬間、それは私のものではないのです。
なので猪原さんに送りました。
もしかしたら、猪原さんが、これをいろんな人に見せるのではないかと思ったのです。
それは自慢とかではなくて、いろんな人が読んで、それぞれが感じるものがあれば、それが音霊となり、その人のものになると思っています。私の「書き記し」とはそういうものだと思っています。


今後、このブログに【書き記し】のタイトルで連載していくつもりだ。受け取り方は人それぞれで異なるだろう。自分の人生に何かヒントになる言葉を見つけられたらそれでいいと思う。でも、不思議な事って実際にいろいろ起こるものだ。こんな歳になって、なんだかウキウキワクワクしてくる。この【書き記し】が降りてくる女性は、普通の穏やかで気さくな女性で、神社や仏閣を訪れるのが楽しい、と話していた。人生を楽しむことは「権利」ではなく、ひょっとしたら「義務」なのかもしれない。



   ※書き記し(かきしるし)
      出てきた言葉を書きとめてます。 
 
「書き記し」   十二月三十一 大晦日
 
宇宙、木星、気、御心、善悪、終始、裏表、ノアの方舟、
祷り、接点、永久、回転 


 
 陰は陽にあらず 陽は陰にあらず
 陰は必ずしも陰でなく
 陽は必ずしも陽ではない
 光よりも早く届くもの
 それは人の想い
 それが助かる一筋の希望
 祷られよ
 信じて祷られよ
 信じて一路の光となりて進むなり   

 
  このマークを突然書きたくなりました。その後に単語がいくつか出てきました。
このマークは以前からよく見たことがあったのですが、名前が大極(陰陽)マークというのもネットで調べて分かりました。これは勾玉でしょうか?二つに見えますね、翡翠とかでできた勾玉を見るたびに、私はいつも人間の胎児に見えます
人間の内在心なのでしょうか?白と黒、善と悪、けっして交わってはいないが、いつでも背中合わせで逆転します。
不思議なマークです。


「書き記し」  一月一日 元旦
 
 長い路をたどると
 そこには果てしない光と大地
 何故にそこにたどり着こうとするのか
 それは たどり着くことが目的ではなく
 進もうとする 己の意志 魂
 涙 喜 苦悩・・・
 それぞれが 己の道標となり 道をつくっていく
 進んでいけば そこに
 必ず見えてくるものあり
 我は己の
 空となり
 星となる



 
「書き記し」一月四日

 感じたものは幻想となり
 その瞬間、光と闇に戻っていく
 静寂は音を呼び
 音霊は気を産む
 気は精霊となり
 魂と結びつく
 そして光と闇の輪廻へと誘われ
 やがて無となり
 宇宙の藻屑となり
 それは果てしない世界への旅立ちとなる
 今を正直に生き
 共に携えて心ひとつになると良い
 始まりもなければ
 終わりもない
 さぁ 
 恐れることはない
 簡単なことだ
 今は前を向くと良い
 そこから来たものたちが感じさせてくれよう

 
「書き記し」 一月四日

 この者たちが 生きるすべに
 何の語らいがあるのだろうか
 弱きものは強し
 強きものは弱し
 それは真実
 木の葉の芽吹きに
 誰の許しが必要であろうか
 心が関わり始めると
 動き始めるのが世の常
 全てのものは現(うつつ)の法則に流れるとなり
 ここに魂の息吹を感じられよ
 共に歩んでいく者たちは気づかぬまま
 木の葉の露となり
 滴となり
 いつか大海へと集まるであろう

 

 
「書き記し」一月八日
 
 和をもって制する
 ありきたりな言葉
 丸はすべてに無限であり
 小さくなっても
 大きくなっても
 丸は丸で和となり
 和は和で丸の形をしておる
 人の和
 世の和
 宇宙法則の和
 回転し光放ってやがて点になっても
 また再生し
 どのような時にでも戻ってくる
 けっして消えるものではないが
 忘れてはいけない
 和をもって制す
 己の魂の奥の奥
 本当は気づかれているはず
 その和の玉を磨き
 穢れなき心で
 動かすことで己の心も癒されよう
 
 それが疲れて曇りをきたしたとしても
 磨こうとする心が
 少しずつ光りを取り戻す
 やがて
 それは放射状に広がり、
 どのような場所にでも光を届ける
 その想いが、必ず、すべてのものに届く
 その心
 その思い
 和に持って作られたものゆえ
 大事になされよ
 
 太古の陽は…古(いにしえ)の時を刻み 
 その遥か遠く昼夜問わず、
 己の上に光を届けておられる
 信じなさい 無限の愛を
 そして進みなされ
 光と共に 己の道へ

 
※お気づきでしょう。太古より輝く陽とは太陽のことですね(笑)
そして日本の総氏神様「天照大神」様…の想いを感じますね


 

 
書き記し」一月二十一日

 意で参れ 意で参れ
 己の照らす光の温もりを感じるであろう
 いかなるものが何を邪魔する
 逆風が何を隠し 何も見せまいとしても
 感じる心のままに意で参ることができるはず
 ただし…そこは困難な道である故
 事怠らず邁進するが良い
 答えはあるのに
 そこを避けて通るは 己の迷いと過信ゆえ
 意て参れ 意て参れ 
 我は御心と共にあるでの

 
 意で参れの「意」は本来なら「出て参れ」の「出」です。パソコンに入力するときに
、あえてここで「意」を使いました。「意」というのは自分の「意志」が確立したうえで出てくる…という意味があると思います。形だけではなく本心から思い行動することが大事ということでしょうか



 
「書き記し」一月二十一日

 遠い古(いにしえ)の彼方
 深い深い海の底に眠るは そなた
 過去の思いとしがらみは もう忘れるがよい
 それは古(いにしえ)の幻 
 そして今も幻の一路である故
 恐れることはない
 だが幻といえど そこは迷宮ゆえ 油断せず
 過去の幻の想いは
 魂の奥の奥の礎となっておるからして
 それもひとつの道と思い
 その深い海から上を見上げよ そして息をして
 目をさまして 今世へと誘(いざな)われて浮いてくるがよい
 音のない世界は やがて鼓動の泡が吹き
 そこから音が産れ その泡は上へ上へと
 教えずとも昇るであろう
 目覚めし時は今
 地上へのステージを昇り
 再び、三度(みたび)
 今世の息吹を感じ
 新たな幻の今世へと おいでませ

 
海で亡くなった前世の記憶なのかもしれないという思いが、ふと浮かび 何百年も海の底に眠り
目覚めて生まれ変われる瞬間、ってこんな感じなのかなっと…あとは羊水の中の赤ちゃんとも思われます。
不思議ですね〜確証のない夢物語と思ってください(笑)





 
「書き記し」一月二十二日

 音霊
 始めに感じるは母の声
 遠くより響き渡り、その時に己の存在を知る
 母の声は音霊となり すべてに響き、良し悪しも
 その魂の耳へと届く
 己の声の始めは 
 この世に反発するがごとく
 この世に己の存在を示すがごとく
 その声を全身で叫び響き渡す
 その音霊の波動は その存在を森羅万象へと導く
 音は喜怒哀楽を育て感じさせるゆえ
 せめて己の発する音霊だけは日々気を付けられ
 良い音を出すが良い
 そうすることで宇宙のあまた すみずみまで届く故
 心から清く澄みゆく魂の音を放ちなされ
 汚れた音は体も精神(こころ)も壊し魔を呼ぶゆえ
 せめて せめて 己だけは この事を心にとめて 
 良い音を奏でるがよい それがすべての願い故 頼み申す 

 
ひとつの生命が産れるとき、初めて聞く音はお母さんの声ですね。そして生まれるときは部屋中に
響き渡るように産声を発します。そうして世の中のいろんな音を聞いて育ちます。
良い音とは 人にやさしい言葉のことでしょうか…悪い言葉は誰も幸せになりませんね、


 
 
「書き記し」 一月二十三日

 涙…己の流す涙は何故(なにゆえ)?
 人の為?己の為?その滴に 
 そなたの想いが入ってるのであろうか
 そこに疑念の念が入れば それは偽りの涙
 そこに理由なく 心の底からあふれ出る涙ならば
 魂からの叫びである由、その滴が消える時に
 魂のなんなるかの叫びも消え去る
 涙は いつかは乾く
 乾いた涙の奥にはまた、柔らかい和泉が湧く
 涙は流すもの、流しなさい 流しなさい
 そして人は強くなり優しくなれる
 涙とは浄化 心の滴と 受け取りなされ

 
人の言葉に…人の想いに…何故だか涙があふれる時があり、あと理由なくあふれる涙もあります
何の涙かわからない涙は自分でもわからない魂の涙でしょうか…



 
 
「書き記し」二月六日

 陽、出る線と
 陽、沈みゆく線の彼方に
 龍の眠るところあり
 人々の願い、悲しみの声、
 聞き届き抱えて
 向かいし声の所へと走る
 善と悪
 戦いは終わらぬ
 龍は 今日も声なき声をかぎ分け
 飛び回り 神と人とを結びつける
 陽、出る線と
 陽、沈みゆく線の彼方に
 龍の眠るところあり
 今日も神と人の間で働こうぞ

 
 
「書き記し」二月七日

 宇宙の無限の彼方より
 産れし声を感ずるか?
 それを人は神ともいい電波の粉の集合体とも言ふ
 共鳴しながら不思議な力の元で声を届かせ
 働きに忠実に生きるものである
 それを伝えし人は選ばれしものと言うものもあるが
 全てが善であるわけでもなく、
 その声を正しく伝えるものも数人である
 大多数は己の欲望のまま悲しき言葉を伝えるものもあり
 区別するは己の心なり
 正義の声、真実の声を聴こうとするなら
 心の耳をしっかりと開き受け止めて下さるよう願います
 そうすることで、己、己の家族、友人知人
 広くは日本人、そして世界の人の救いとなる故、
 己の内在の神を目覚めさせよ


 
 
「書き記し」二月九日
 
 己ひとりで生きていると勘違いされるな
 人としては一人でも
 光が、風が
 いつでもそばにいるではないか
 何故気づかぬ
 生まれてきた意味が分からぬとも良いではないか
 
 陽と共に、風と共に、
 さえずる小さな小鳥たちとともに
 己とともに生きるものすべて傍におるで
 さすれば…すべてが愛おしく思うであろう
 
 今の暗闇の心のよどみに流されぬよう
 時を止めて、体で感じるが良い
 人は一人で生まれ
 一人で違う世界に行く
 永久に何度も生まれ変わっても
 共に…常に傍にいるのは
 この大自然なり
 
 今の己が忘れたとしても
 大自然の神は 
 お前を忘れない
 だから安ぜよ
 畏れ忘れず感謝するたびに
 己を優しく包むでな
 全ては平等で愛なり

 
 
未熟な私に神様の事を教えて下さる方がいます。
病床にあり立ち上がれないほどのご病気で、まさに命を削って教えてくださりました。
私は何度も病床の淵におられる、その方に質問をします。
その方の声を聞かなくてはいけないと思っています。
その方の遺言かもしれません。
全ての人に向けたメッセージ、いつの日か大勢の人に伝えたいです


 
 
「書き記し」二月十六日
 
 いくつかの神の前に
 己の姿をさらけ出すことができるか
 全ての自然の前に 何も持たず裸で
 その身を ゆだねることができるか
 人として あるならば
 まず全てのものに感動し 謝れよ
 その内在神を呼び起こし
 過去のルーツに目を向け 
 天を仰ぎ 木の葉の根元を見られよ
 そこに何かがある
 気づきなられ
 そこにある自然の習わしを
 畏(おそ)れることは 恐ろしいことではない
 敬(うやま)うことは 恥ではない
 心に 真の弓を射ちて言葉に表すと
 「謝」ということじゃが
 難しくもあるが
 案外、簡単なことゆえ
 己の無知さを知り
 少しでも感ずることあらば
 そなた自身、成長することあり 
 気づく心を大切になれると良いでの

 
 
人は自分を中心にすべて、廻っていると勘違いしています
自然の前で 神の前で
裸になると 何も持っていないこと 一人では何もできないことに
気づきます。
感謝の「謝」は
言葉(弓)を相手に届くように射ることです。
感じて有り難く思う「感謝」
本当に悪いと思って謝る「謝」と
想いを言葉にのせて心から相手に射ることで、やっと相手に通じます


 
 
「書き記し」二月二十日
 
 無数の星ありき
 主(ぬし)らにとり 点にしか見えぬ星も
 ひとつひとつ物語あり
 この点とて光という線でたどっていけば
 壮大なものが映し出されている
 それは人の導きとなり 道標となる
 夜の空を仰ぎなされ
 澄みたる空気のもとに 空を仰げば
 月の光により点と光が結ばれ
 そなたの道標が 映し出されるであろう
 ただし
 疑いの心、誤った目でみてはならぬ
 一瞬でも 気の迷いあれば
 そこは魔界の道であるゆえ
 心して太古からの
 素直な想いを思い出し
 無になり 空になり
 夜空を見上げよ
 己の心とが ひとつになるとき
 必ず 月の光が導き
 星と星が輝くよて
 その標(しるし)を…その標を
 見失わず
 そこから何かを感じ
 己の力とされ
 踏み出されんことを願い祀る

 
 
ロケットが月までいくことも珍しくない時代になりました。
それでも多くの人は 夜空に夢をはせます。
月があり
星があり
遠い銀河があります
澄んだ夜空を見上げ
数々の物語と神々様のメッセージをうけてください


 
 
「書き記し」二月二十五日
 
 月満ちるとき
 青き血潮の名流るる音聞こえし
 波のはざまに
 ゆらりゆられしわが命の源
 眠りし魂は
 ここに目覚め 
 息吹とともに流るる
 主(ぬし)迷いしとき
 心静かに
 青き血潮の流るる音聞くがよい
 
 陽出ずる時
 赤き血潮の燃える音聞こえし
 陽炎の向こうに
 ゆらりゆられしわが命の源
 目覚めし魂は
 ここに目覚め 
 熱き体とともに流るる
 主(ぬし)決めしとき
 赤き血潮の流るる音聞くがよい

 
 
青き血潮は静脈、赤き血潮は動脈でしょうか
脈をさわれば 血液が休みなく流れているのを実感します。

 


「書き記し」 盻熟
 
 おお…ようやく来られたか
 久々の ここでの再会に
 木々は ざわめきし風は舞い踊る
 太古より そなたの魂と共に生き
 巡り巡り再び 
 そなたと ここに出会える喜び
 
 木々の間の陽光は我(わらわ)なり
 鳥のさえずりは我(わらわ)なり
 時空次元、万象を超え
 再び、三度(みたび)
 この一瞬の交わりにて
 そなたは我(わらわ)を求めし宿命
 我(わらわ)は、そなたを守りし宿命
 
 さぁさぁ
 何も考えずともよい
 言葉はなくてよい
 すでに、そなたの魂には入っているでの
 魂は 浄化されたよし
 また機会あるとき
 おいでなされ

 
太古より、ご縁あり守ってくださっている神社仏閣。
お詣りすると神聖な気持ちになれますね。
人々がお詣りされるとき、必ず風が吹いてきます。
それは神々様の「よぅ来られたな〜」というささやきでしょうか
先日、宗像大社にお詣りさせて頂いた時に、木々の間から
「木々の間に差し込むわらわの、光を感ずるか」と
言われた気がして、その言葉だけスマホにメモしました。
その時のイメージです
祝詞上げ終わった瞬間、烏が鳴き、細石神社のお詣りの時も烏が来ました。
jリーグの紋章でもある神々様のお使いの「八咫烏(やたがらす)」
その八咫烏だったらいいな〜っと思いました。



「書き記し」 盻充
 
 静寂の中に
 言葉はいらぬ 
 澄みきった空気のなかに 声なき声
 祷りの奥に…
 依代(よりしろ)の息吹を感じるであろう
 
 そこは神の座る祭場
 そして人々が祈る祭場
 太古より受け継がれていく神聖な祭場
 
 声なき声、姿なき姿 そこで
 己の奥の内在神を 呼び起こし目覚めさせよ
 
 祷りしとき 一光が走り
 四方八方へ広がり宇宙を超え
 最後は己の魂へと届く
 
 気づき目覚めしとき
 再び その光は時空を超えて
 静寂の世界へと還る
 
 ここは標の場にて
 主(ぬし)いつでも心の祭場をもち
 迷いし時は そこに還るとよい
 心より祷りし時、
 依代の息吹 感ずることであろう

 
 
宗像大社の高松祭場に行った時に、空気が神聖すぎて
思わず後ずさりしてしました。
ここは古代より現在まで続く
天上より依代(よりしろ)に神臨願われる祭場です。
その時のイメージです。
※高松祭場は岩や大きな樹木を依代としていて
依代とは神霊がよりつく対象物のことです
磐境(いわさか)・神籬(ひもろぎ)といい
日本の神社の原型といわれています



「書き記し」 盻夙
 
 古の時より聖域なる島あり
 日の本の基なりき 神々集う島
 神々と民との精霊の交わりし地
 一筋の光が 天より降りし
 四方八方に瞬時、一直線に走る
 
 何光年もの空間を飛び越え
 宇宙の基とも交わる
 
 神々と民との祷り届け通じる光なり
 聖域は掟厳し、何人も入らずこと 約束なり
 
 朝に 祷りし
 夕に 祷りし 
 永久(とわ)に続く祷り
 
 玄海の灘に浮かぶ
 太古の精霊集いし島
 そこは日の本の基なりし地
 その名は沖の島
 
 

 
福岡県の宗像大社の沖ノ島
女人禁制なので今世では上陸は叶いません
でもネットやテレビでどういう島か見ることができます
ありがたいですね
近代化して古いものが切り捨てられる世の中ですが
古より続くものが受け継がれているとは
本当に有り難いです。
近いうちに世界遺産に登録されそうですね
日本の誇れる聖地です。



「書き記し」 盻酋
 
 迷わずとも良いことじゃ
 正し気と思う中にも誤り気もあり
 誤りし気と思う中にも正し気あり
 迷いし時こそ 心の風の行き先を感ずるが良い
 主(ぬし)まとわりつく風が
 更なる行き先を示すであろう
 誤りし道でも案ずるな
 正しき道を正しく見る目を養う周り道ゆえ
 そう焦らずとも悲しむこともない
 暗闇の中、迷えば迷うほど暗闇の奥へ奥へと進む
 やがてうずくまり己の耳に手をあて
 人は己の誤りし心しか聞かず全ての音を絶つ
 そして心のふたも閉じて 
 その身を暗闇にゆだねる
 魔はいつでも忍び寄る
 そこにホンの少しの勇気をお持ちなされ
 顔を上げなされ
 暗闇ほど 光差し込むところ
 一層輝いているでの
 誰の暗闇にでも光は届くでの
 案じて顔を上げて光を見られよ
 主(ぬし)には常に守りし神仏おるでの
 主(ねし)涙するとき、我は悲しみ
 主(ぬし)笑う時、我は喜ぶ
 目には見えずとも共に添うておるゆえ
 迷わずとも良いことじゃ
 案じて進みなされよ

 
 
 
真っ暗な部屋に入ると、ほんの少しの光が見えるとホッとします
光の中の影(暗闇)はなかなか気づきません
影は知らず知らず忍び寄ります。
心休めるときの影は有り難いのですが、
影を支配させてはいけません。
それと同時に光だらけでもいけません。
ちょうど良いバランスが自然も人も生きやすいのですね



「書き記し」 眛鷭
 
 祭りとは何ぞや
 それは古よりの長く深い神々様との
 約束…確認と申せばわかりやすいか
 神々が決めたことでも人が決めたことでもない
 宇宙の生まれを知らぬようにして
 宇宙を知るがごとし
 その意味は深く探るものでもない
 時代の流れと共に祭りの姿形は変わりとも
 神々の息吹と人々の祷りの声一つとなるとき
 大宇宙の波動をゆるがし祭りが終わる
 全ては心なり
 全ては思いなり
 真摯に神と向き合い祭りを終えることで
 全てが終わり全てが始まる
 祷り祷られて
 日の元の神々 ここに有り
 祭り終えて 共に幸あらんことを

 
 
 
日本各地…全世界にて、あらゆる信仰をされてる方々が
神々の命を受けて宇宙・地球・国々の為に動かれています

 


「書き記し」 眛鷭衆
 
 生きとし生きる世の中に 苦しむ民あり
 心むしばまれ何を求め戦うのか
 暗黒の雲の中に 鋭く光り、笑う目
 欲まみれ・悪しき心を好む心 
 見るに耐えず
 
 人が泣きさけぶ声を神々が喜ぶことなどない
 神々は堪えず光届けようと働いておられる
 戦いの向こうに何もないことは解っているのに
 何万年も繰り返される人々の戦い
 悲しきかな人間、愚かな人間
 
 だが人の手にこそ力あり
 人の声こそ力あり
 
 今こそ まず何が起こっているのか
 何が起ころうとしてるのか 
 知る
 そして 遠い出来事ではなく
 そなたの身内が悲しみ 泣いている姿として
 見よ 
 感じよ 
 考えよ
 
 おのずと何をすべきか分かるであろう
 我らとともに手を取りあい
 正しき光へ導くよう力をお貸しくだされ
 そなたの気づき、力こそ
 光の道なり

 
 
世界中が日本のように戦争なく平和な国ばかりではありません。
ミサイルが飛びかい、子供たちが泣き叫ぶ
自分の国の威厳を保つために威嚇してくる国。
神の名のもとに…と自分の命と人を殺すことを正当化する人
家族団らんで美味しい夕飯を食べながらミサイルの飛びかう映像をみている私たち
日本にもいろんな問題があります。
そんな戦国の世の扉を開けさせたらいけません
何かがオカシイと思っていながら、何もしない私
そんなモヤモヤとしたときに書き記しました。



「書き記し」 眛鷭銃
 
 主(ぬし)に伝えし事は今はない
 そうそうに急ぐものではない
 「時」には
 必要なものと必要でないものとを運ぶ道なり
 今、伝えしものがないとて
 これで安ぜよと言ふことでもない
 何もないことが意味のないものでもなく
 何もない時こそ
 自身の廻りを見渡し
 見ずとも そこに目が行き
 気になるものが 今 そなたがすべきこと
 いついつでも頼りにされても己が成長しないゆえ
 まぁ何の為に生き、何の為をすべきかなど
 生まれる前に学ぶべきものを授かっているはず
 ゆえに いついつも我を頼るな 甘えるな
 何も申さぬ教えが
 意味あるものであるとも悟り 忘れるでない
 まぁまぁ
 時に、このようなことも 標(しるし)として
 伝うるも面白ぅもののよう

 
 
 
どこらかの声なのか妄想なのか
わかりませんが、何か今回はいい加減にせよ〜っという感じ?
何をもって、書き記ししてるのか・・悩み多き私に下った言葉でしょう
少しおちゃめな感じの書き記しです(笑)




「書き記し」 眛鷭住
 
 天より降りし水の玉
 霧が滴(しずく)となり青葉に伝い地に降りる
 やがて土に眠り 再び目覚めしとき
 更なる水の旅へと誘(いざな)われる
 その流れは絶えずして形変え
 行き先は分からずして
 その動きも止められず
 赴(おもむ)く流れにも逆(さか)らえず
 
 時に ひとところに流されるさまあり
 そこで清き水 変わり果ててしまい 
 澱(よど)んだ水へと変わり
 悲しきかな 小川のせせらぎ聞きながら
 隅の方で澱んだ世界に しばし留まる
 
 しかし
 それも長くは続かない
 やがて天よりの 雨ふりし時、
 上(かみ)から来た水は 
 その澱みを下へと流してくれる
 時間かかりし時もあれば
 激流となり一気に押し流すときもある
 それは各々(おのおの)の時なり
 まぁ それもまた運命(さだめ)なり
 
 流されし水は
 更なる行き先を求めて また旅にでる
 最後は 行くべきところへたどり着き
 大きな海に還(かえ)る
 そしてやがて 時を経て 
 穏やかなる陽の光を浴びて
 甘露(あまつゆ)となり 天に昇る

 
 
 
人の一生って こんな感じなのでしょうか
「土へ眠り、再び目覚めしとき」とは天より命を頂き
母の胎内に宿り十月(とつき)眠り人として誕生するときでしょうか
今、自分はどんな水の色をしているのでしょうか
いつまでも 透明で 穏やかな小川の流れでせせらぎを奏でたいです




「書き記し」 眛鷭住
 
 春とは
 芽吹きしもの遊び戯れるとき
 それもひと時なり
 
 堪(こら)えていたもの 一斉に解き放たれ
 誕生する
 時に人は その流れについていけず
 この時期 バランスを崩される
 
 春は 笑い
 春は 喜ぶ
 短し命を 愛おしみ 
 幸せを 表現することのみに
 静かなる情熱を解き放つ
 
 どうぞ
 その力を感じ受け取ってくだされ
 愛おしく思ってくだされ
 
 春は
 春は
 地球の喜び
 生きる喜び
 
 この芽吹きの音を聞き逃さず
 花びらの散りゆく姿を
 その目に焼き付け
 土に還りしときを見送り
 再びくる春の眠りを感じなされ
 
 春とは
 無限∞の始まりと終わりが混(ま)じるときなり

 
春は大自然の「生」を一番感じる季節ですね
季節の変わり目、芽吹くとき、人は体調を崩しやすいといいます。
多分この時ばかりは大自然と人間の時のスピードの速さが違い
人は追いつけないせいでしょうか?
春と言えば「さくら」、桜は日本人にとって魂の花です。
木花咲耶姫命や観音様の美しいお姿そのものですね




「書き記し」 眛鷭集
 
 いくつかの時と思いを込めて 今 語るべき事
 
 何の労力使うことなく 指ひとつで
 世の中 すべてが解るかのよう
 しかし、その中が全てではない
 いつの間にか洗脳されて
 本来の道から 時間をかけて少しずつ少しずつ
 離れていく 
 
 これも一つの魔物か
 
 それは身体も心も 動くことを拒否し、むしばみ
 仮想現実の世界へと走り
 箱から聞こえてくる声のみ信じ
 やがて人間としての尊厳も 夢も絶たれる
 箱の向こうは 何兆もの言葉が組み合わされたもの
 そこに人の想い入ってこそ
 真実はあろうか
 
 人の想い入る言葉か
 箱の人工の言葉か
 音も 空気も 感じてこそ 物体として認識し
 箱は箱として知識として利用するにのみ
| 【書き記し】2016年起 | - | - | posted by ino-haya - -
『花の癒しと幾何学アートの世界』 in 速魚川・その1 23:08
南島原市深江町在住の入江明美氏が初めて来店してもう何年になるだろうか?彼女は20数年前の雲仙普賢岳噴火災害で取り残された被災犬(猫なども)を、多い時は50頭以上、独力で保護飼育し死ぬまで看取ってきた。現在も、21歳(!?)の老犬を筆頭に、殺処分予定の犬猫なども可能な限り引き取って育てている。「動物も人間と同じ《命》と《感情》を持っている」が彼女の信念である。

人間の身勝手さから生み出された不幸な動物たちを保護飼育する中で、彼女は多くの事を学び体験してきたという。動物たちの健康を維持するためにいろんな試行錯誤を繰り返し、たどり着いたのが「ホメオパシー」だった。同時に、ルドルフ・シュタイナーの研究にも没頭した。そんな彼女が全国の友人や知人に向けて定期的に発刊している【わんわん奮闘記】を見せてもらった。

この【わんわん奮闘記】は、飼育している動物たちの写真(彼女は独身時代、写真家でもあった)や飼育日記、シュタイナーやホメオパシーの世界観紹介と非常に内容が深く、バラエティーに富んでいる。その誌面の隅っこに小さく可愛いいちょっと不思議なイラストが描いてあったので誰が描いたのかと尋ねると、彼女自身が描いたという。「ちゃんとしたワトソン紙(画用紙)にもっと大きく描いたらどうでしょう? 色鉛筆と水彩絵の具にパステルも加えてみては?」と、軽い気持ちでアドバイスをしたのが始まりだった。

シュタイナーの神智学と人智学を研究してきた入江氏の描くイラストは、ほとんど無意識の状態から生まれてくるらしいが、驚くような淡く美しい色彩や太陽、月、星、動物、天使や魔女に至るまで一貫した宇宙観で構成されている。一昨年から仕事の合間にコツコツ制作してきたが、すでに15作目に入っているという。絵画の基礎教育も受けていない60代の女性が、突然イラストを描き始めた事に一種の感動を覚えた。そして昨年、当店でデザイナー・伊藤英治氏と出会うことになり『幾何学アート』のコラボレーションが誕生することになった。











上と下のデザインに書かれている英文字「Flower of life」と「Seed of life」は、故・ジョン=レノン(ビートルズ)のサイン。

















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【金物屋の乱】!? 18:52
平成10年に「速魚川(はやめがわ)」を創生し、店舗兼自宅のリノベーションを実行してから丸19年間が過ぎ、来年4月にいよいよ20周年を迎える。家族や友人や知人、来店客や多くの人々に助けられ教えられてここまで続けてこられた。月並みな言葉であるが、ただただ感謝しかない。20歳の学生時代に、父が50歳で他界した。夢を捨て帰郷してからもうすぐ40年。当時、大嫌いだった故郷島原や家業の金物屋・・・それがどうだろう・・・自分の運命を変えた父や家業や島原が今は大好きになっている。

自分はあと何年生きるのだろうか?・・・終盤にさしかかっていることだけは確かだ。気持ちも身体も以前のようにはいかなくなっている。先日亡くなった演出家・蜷川幸雄氏のようなすさまじい生き方は凡人にはできない。残された時間と人生を、吉田松陰の「命をどう使うか?」なんて力んでも長続きはしないので、やっぱり日々の流れに沿ってフワフワ生きていくしかない。そして自分の家業であり存在理由である【金物屋】と心中しよう。6年ほど前に知人から依頼を受けて書いた寄稿文【金物屋の乱】が見つかったので、今日のブログの最後に添付。6000字以内という条件で慌てて書いたのを憶えているが、まともに推敲もせずに送付し内容も論旨もお粗末だったために没になった幻の原稿・・・・



上と下の写真は、毎週日曜日に長崎新聞に付いてくる県内情報誌『とっとって』2016年3月27日の「台所道具特集」記事。取材を受けた時「庖丁は研いで《使い続ける》道具、というイメージを伝えたい」と言ったら、見事にわかり易く編集してあり、感動と同時に感謝した。長崎新聞は販売部数が19万5000部で、長崎県民の4割の講読者数を占める県内最大の新聞社。県民の4割の人たちに「庖丁の研ぎ方」が伝わればいいなぁ・・・



 ★過去のブログ【庖丁を研ごう!】企画 ⇒ http://blog.inohara.jp/?cid=32122







数日前、島原出身でドイツ在住の建築家・H女史が、ドイツの大学で「金属学」を教えているドイツ人エンジニアのご主人と来店した。来日した時には来店してくれるとても素敵なカップルだ。話の流れから「日本刀を見てみたい」とのリクエストに応えて、先祖伝来の日本刀(室町時代後期の備前刀)を見せることになった。久し振りに鞘から抜いてみると刀身に薄いサビが〜!!! で、『手入れ(メンテナンス)』をするためにテーブルの上に置いていたら、なぜか次々と来客。え〜い、ついでだぁ〜!と全員に見せることにした。下の写真のカノン女史もその一人。彼女の写メールを撮るために刀を構えたポーズをとらせたら、なかなか面白い構図になった。ついでに彼女のブログも紹介することに!


『点と点が繋がる時』

一昨日、『金門島の戦い』における旧陸軍 根本博中尉についての記述を読み、記憶の彼方にあった事柄の点と点が繋がり、一つのストーリーになった。

昔の聞きかじった話が今になり、「そういうことか!」と繋がる時、勝手にドラマチックな気分になるのは私だけではないはず!

昨日も昨日で、とある金物屋にお邪魔した際、ご主人が刀剣の手入れをされていた。

ここのご主人は私の古道具の師匠ともいうべき方で、今は絶版になっている「道具曼荼羅」という日本古来の消えゆく道具の図鑑を貸してくださった方でもあり、先人の知恵が凝縮されている古道具の奥深い魅力を私に教えてくださった方である。

今回の刀は、室町後期の真剣で
「刀剣女子」という言葉があるくらい最近刀剣女子に流行りだよ!とご主人は言う。

もう「刀剣婦人」の域にとっくに突入しているが、ミーハーにも構えさせてもらった!
真剣!なんという緊張感! 竹光とは 大違い!(当たり前だ!)

「誉傷」(戦った後の刃物傷)もあり、刀の背の部分の溝「樋(ひ・血抜き)」の意味も教えて頂き、緊張度 ますますMAX!

そして極めつけは、「切っ先三寸」の話。

ご主人曰く、
刀を台に寝せたまま、柄を持ってず〜っと刀を引いていくと、寝ていた刀が先端から三寸(一寸 約3cm よって三寸は 約9cm)のポイントから立ち上がって来るという。

「切っ先三寸」は最も殺傷力が高い部分である。

文章ではわかりづらいかもしれないが、これは何を意味するかというと、打ち合いの時、「切っ先三寸」が殺傷力が高いからといって、そこを相手に当てるのはとっさの際には難しい。
しかし、刀の腹あたりを相手に当てて、刀を引くと、「切っ先三寸」は立ち上がるように出来上がっているので、そこでトドメをさせるというのだ!

怖っわ〜!

と言いながらも、刀職人の技術に感嘆した!

幼い頃から時代劇で何となく聞いてきた「切っ先三寸」こんな恐ろしくも深い技術力があったとは!

またまた、点と点が繋がりドラマになったのだった。

そうこうしていると
薬師寺1300年の和釘も出てきたりして…

ドラマチックを超えてNHK大河ドラマほどの長さになりそうなので、今日はこのあたりで…

『点と点が繋がる時』という話。
























       「金物屋の乱」
 
 世界はIT革命により恐ろしいスピードで地球規模の情報化社会を構築しつつある。物販業界も情報により大きな変化を迎えている。インターネット、携帯電話、テレビ、ラジオ、通販誌などを利用した無店舗の販売総額が、とうとう小売業界のトップに立ったのである。消費者は販売担当者などの人を介することなく自分の欲しい商品を手に入れる時代になった。この状況は、従来からの対面販売を業務としてきた全国の小売業の存続を危うくしている。呉服屋、金物屋、電気屋、写真屋、文具屋など、自然界同様に『絶滅危惧種』が急増し、恐らく10年後には全国津々浦々のアーケードなど中心市街地は消滅している可能性が高い。パラダイム・シフトという言葉があちこちの業界や地域でささやかれ始めた。
 
小生は、その『絶滅危惧種』の最右翼にある「金物屋」を経営している5代目店主である。全国に残っている「金物屋」はほとんどが老舗で、明治以降、戦前戦後まで国民の衣食住のうち、住の部門を広範囲に引き受けてきた業種である。   十数年前までは金物屋で平均15万種のアイテムを取り扱っていたと聞いている。当店も、銅、鉄、アルミ、ステンレスなどの材料から作業、機械、電動工具、切削、測定、配管工具、土木、建築資材、家庭金物、刃物、台所用品、はかり各種などを扱ってきた。三十数年間の金物屋としての経験は、日本人の価値観や生活様式の変化を肌で感じさせてくれた。ところが、二十年ほど前から全国各地にホームセンターなど大型量販店が進出した事で、従来の金物屋の存在理由がなくなりつつある。「このままでは廃業か倒産だ」全国の金物店経営者は同じ危機感を持っているはずだ。しかし考えてみると、いつの時代も大衆の需要の変化に応じて商売の形態は常に変化し適応してきたではないか。   「生物の進化の過程で生き残る種とは、強いものでも賢いものでもない。 環境の変化に適応した種のみが生き残る。」と言われている。かくして、環境の変化つまり大衆の需要の変化を直接確かめるために金物屋の旅が始まった。
 
わが町に大型量販店が進出してきてから、小生はそれらの量販店によく行くようになった。どんな金物店関連商品が売られているのかのリサーチである。 結論は「一般消費者だけでなく業者向けにもこれだけの品揃えなら、もう従来の金物屋は必要ない」だった。それからは逆に量販店に置いてないアイテムを探すようになった。 「棲み分け」である。しかし大量生産されていない、どこにも置いていない商品を探すのは簡単なことではなかった。
  
ある日、包丁などの刃物産地で有名な大阪府堺市から来る卸業者が「東京にご出張の際は、少し足を延ばして埼玉県の川越に行ってみてください。 蔵造りの通りに何軒か金物屋があります。その中のM商店を見てください。そして他の金物屋とどこがどう違うか比べてみてください。」と謎めいた言葉を残して帰って行った。  M商店は家族経営ながら年商数億円だという。
 
関東や関西の大都市圏に出張する際は、浅草の合羽橋、渋谷・新宿・心斎橋等の東急ハンズ、ロフト、築地・京都の包丁専門店『有次』などには足を運ぶようにしている。 新たな商品入手ルートの開発とリサーチである。  前回の上京時に、川越のM商店にも足を伸ばしたのだった。東急ハンズから合羽橋、そして川越のM商店へ。 まず感じたのは東急ハンズの品揃えが、以前に比べ「道具に対するこだわり」を捨て、流行を捉えた量販店つまりホームセンターに近づいた事だった。  ハンズは消費者つまり一般大衆のニーズを完璧に把握している。  つまりその消費者である日本人が変わってしまったということだ。  確かに道具類は豊富な品揃えである。「簡単、便利、安価」にデザイン性、色彩が加味された道具類。  買い得感は購買欲をそそる。しかし、匠の技が込められた性能と材質、耐久性重視の道具類はほとんど姿を消していた。
 
ここでキーワードになるのが、その後に行った川越のM商店のコンセプト(基本理念)である。
M商店は川越の重要伝統的建造物群保存地区に選定された土蔵造りの街並みの中心に位置している。  重厚な土蔵造りの歴史あるM商店のショーウィンドウには、匠による刃物を中心とした道具類が陳列され、マニアでなくても引き込まれてしまいそうだ。  店内のディスプレイも見事で客の美意識をくすぐる。  さほど広くない店内の中央では、店主親子が黙々と包丁や鋏を研いでいる。  自己紹介をして店主の話を伺った。  その会話の中で「企業と家業は違いますから」という衝撃的な言葉を耳にした。  合理性と経済性という言葉の裏に隠された巨大企業の利益至上の思惑とコマーシャリズムによる大衆の心理操作。 それに踊らされる日本国民。
 
M商店は、現在消滅しようとしている家内制手工業や小売業などの「家業」と言われる経営形態に誇りを持っていた。「企業」と異なり「家業」は利潤追求だけでは動いていない。  地域社会の一員として役割を担うために費やされた膨大な時間と代々の努力により「家業」が成り立ってきた経緯を見る時、日本という国家および日本人本来の姿と存在理由が見えてくる。小江戸ともてはやされ観光客がどっと押し寄せている川越の現状をM商店の店主は嘆いていた。「観光は金になる」と目をつけた企業の出店が相次いでいるからだ。 彼らはブームの熱が冷め観光客がそっぽを向き始めると「損益分岐点を大きく下回る」という経営判断ですぐに去る。かつてファッション雑誌が生み出したアンノン族に荒らされ見る影もなくなったいくつかの町を我々は知っている。 延々と歴史を刻んできた地域や町は、大衆の消耗品ではなかったはずだ。
 
戦後まで日本全国津々浦々の町や村には、その地域住民の衣食住を供給するすべてが揃っていた。供給だけでなく修理やメンテナンスをする職人もいて、その地域だけで持続可能な経済を維持していたのである。  傘職人、桶職人、鍛冶屋、造り酒屋、味噌醤油屋、仕立て屋など日常生活のすべてをサポートできる職人達が住民として生活していた。 彼らに道具類を供給する金物屋も同様にすべてが有機的なつながりを持って「家業」を営み、地域を形成していたのである。
 
戦後のアメリカの占領政策と政府の連携によって、これら地域の持続可能経済は破壊され、1400年かけて築かれてきた世界最高水準の日本文化や家庭文化の継承も見事に破壊された。まず当時就労人口の最も多かった農業が標的にされた。   全国農家の次男三男に受験体制による高等教育を受けさせ、彼らを工業力の強化に従事させた。「農工間の不均等発展」を推進し「パンと肉食」の啓蒙により、世界一の農業生産国であるアメリカの農産物を大量輸入させる事に成功した。  減反政策も功を奏し、全国の農家は他の「家業」同様に「絶滅危惧種」に入ろうとしている。  日本人が自らを形成してきた「地域」や「家業」を捨て、ひたすら「企業」に従属する事で、自分が一体何者か分からなくなった日本人が多いのではないだろうか?
 
金物店や刃物店で繁盛している店の特徴は、店頭や店内に職人の「動き」があることである。通行人や客は店主や従業員が刃物を研いだり機械を修理するシーンを直接見ることが出来る。 居酒屋レストランや蕎麦屋などの飲食業では、客に見えるようにしてある調理場つまりオープンキッチン形式の店が人気を呼んでいる。  人々はブラックボックスに包まれた完成品を購入し消費することだけの生活に矛盾や欲求不満を感じ始めているのだ。   そもそも人間は道具を使っていろんなものを作ったり修復する事に達成感や喜びを感じるように出来ている。農耕民族であり優れた道具により世界トップレベルの木造建築や工芸品、日用品を作ってきた世界一器用と言われる日本人ならなおさらの事である。    「簡単、便利、安価」や効率性、合理性の媚薬は確かに魅力的ではあるが、メイキングの物語はそれらを遥かに凌駕するのである。
 
川越のM商店は、20数年ほど前は普通の金物屋だったそうである。  同じ川越の他の金物屋にも入ってみた。  刃物類も扱っていたが、従来の金物類がほとんどで客も入っていない。小生はこれら旧態依然とした金物屋の心情がよく理解できた。  高度経済成長期からバブル期までの世界史に類を見ない日本経済の躍進と、それに伴う金物屋を初めとする小売業界の繁栄。 それら過去の華々しい栄光を捨てられずにいるのである。  これはある種のトラウマである。またいつかあの時代が来る、という幻想あるいは希望的観測からほとんどの商店は逃れられないでいる。 しかしM商店は違っていた。  確実に沈む運命の豪華客船タイタニック号の甲板で音楽を聴き踊りワインに酔いしれている乗客を尻目に、黙々とノアの箱舟を造り冷たい大海に漕ぎ出したのである。 もちろん陸にたどり着けるという保障はないにしても、沈むよりはましだ。多くの取り扱いアイテムを捨て、刃物類に『特化』したのである。 しかも刃物類をただ販売するのではなく「砥ぎ」というムーブメント、職人の動きを店内に提示しそのイメージをさらに強烈にアピールした。 「刃物や道具は研いで修復し使い続けるもの」という物語性の提示である。
 
その為には、大量生産された使い捨ての「安かろう悪かろう」の道具ではなく、職人による厳選されたこだわりの逸品を購入し一生使い続ける、という日本人本来の歴史観や価値観を客に認識させる事に成功している。 日本橋の「木屋」や築地の「有次」同様、関東一円の客は電車を乗り継いで川越のM商店を目指してやって来る。 刃物類の購入や砥ぎを依頼するために・・・
  
当店のコンセプト(基本理念)は【こだわって本物、使って一生モノ】である。世界のロングセラーの商品を検証してみると、そこに職人技が介在しているものがほとんどだ。材質へのこだわりを前提として、機能美とシンプルさが加わり、使う人間にもある程度の技術や美意識、哲学が要求される。 そして飽くまでも主人公は人間であり、その商品や道具を使って物語が始まる予感を与えるのだ。  商品や道具は使いこなすことでその人間の身体の一部となり一生の友となっていく。 道具を使って進化してきた『人間本来の歓び』がよみがえってくる。
 
実際にあった面白いエピソードを紹介する。  ある日本人女性がフランス人女性の友人に会うためにパリに行った。 久しぶりに会ったフランスの友人の服装を見て驚いた。 つま先から頭のてっぺん、つまりブーツから帽子まで高級ブランド品ではないが、材質にこだわった本物志向のファッションに身を包んでいた。 「素晴らしい! センスも良いし貴女はお金持ちなのねぇ」と感嘆すると、「ノンノン、私は安物を次々に買えるほどお金持ちじゃないわ」と答えたという。日本にも「安物買いのゼニ失い」ということわざがある。 商品がどんなに安くてもライフサイクル(商品寿命)が短かったら、ランニングコストは逆に高くつくという戒めであろう。スウェーデンのボルボ車は、平均17年間も乗られているそうだ。  マイスター制度の歴史を持つEU、ヨーロッパ諸国のメーカーは、部品供給も含めた長期メンテナンスを実現している。魔法瓶から背広、靴、バッグ、鋏などの日用品までほとんどすべてと言ってよい。
 
ヨーロッパ諸国に比べ日本はどうだろうか?  現在の日本は先にも述べたように戦後の占領政策によってアメリカナイズされ、大量生産大量消費の経済サイクルに組み込まれた得体の知れない国と化しているが、本来の日本はヨーロッパ諸国にも決して引けをとらない文化国家だった。日本古来の多くの手道具や建築、工芸、日用品を調べると、信じられないような事実が多い。まさに先人の知恵の驚異である。 例えば、和庖丁はその切れ味において他国の追従を許さない。
 
観光で日本を訪れる最近の外国人は、浅草や日本橋、築地の刃物店に行き和包丁を買い漁っているという。 彼らは和包丁が世界で一番切れるという事を知っているのだ。 ではなぜ世界一切れるのだろうか?  これには主に二つの理由があると思われる。 ひとつは日本が「刺身の食文化」を持っている事である。 熱処理や味付けをせずに生の魚を料理として出す場合、庖丁による切断技術がその味を大きく左右する。 特に切断面の細胞がつぶれると魚の旨味も舌触り等の食感も半減する。 細胞をつぶさず見事に切断できる切れ味の良い庖丁が必要になってくる。

そしてもうひとつの理由が、そのような切れ味の良い庖丁を作れるノウハウが日本に存在していたということである。 それは日本刀の存在である。 「折れず曲がらず良く切れる」と世界中から絶賛されてきた日本刀は、刀鍛冶の特殊な鍛錬法により硬鉄と軟鉄の複合構造を実現した事で、その性能を発揮した。 西洋庖丁の牛刀やぺティナイフなどは鋼(硬鉄)の単体構造なので、焼入れの際に硬度を上げ過ぎると折れやすくなり、硬度を下げると切れ味が落ちるというジレンマがある。 しかし、欧米では肉も魚も熱処理などの加工を施す料理が中心なので、材料切断に究極の切れ味を求める必要性はなかった。  洋包丁が硬度単位HRC(ハードロックウェル)-58程度しかないのに比べ、和包丁は柔らかい軟鉄で硬いハガネを挟み込んだ複合構造により、HRC-64まで上げられる。 日本刀と同様に折れず曲がらず良く切れるのである。この高付加価値により和包丁は海外では日本の数倍の価格で売買されている。 世界中が認めるほど和庖丁の切れ味が素晴らしいという事実を皮肉にも一番知らないのが日本人なのである。
 
余談であるが、庖丁は人の名前である。 昔、中国の皇帝の前で一頭の牛を見事に捌いた料理名人がいた。 その人の名前が庖丁(ほうてい)で、いつしか料理に使う刀の事を庖丁と呼ぶようになった。  魚を解体する時に使う厚みのある幅の広い庖丁を出刃包丁と呼ぶが、これを考案した堺の庖丁鍛冶職人が出っ歯だったので、出刃庖丁と呼ぶようになったのである。
 
庖丁に限らず日本の手道具にはまだ多くの物語があり、その素晴らしさを語り始めたらきりがない。 大切な事はそれらの道具を生み出してきた日本人の文化水準の高さであり、その事実を若い世代にいかに継承していくかではないだろうか?   現在のようなアメリカ的大量生産、大量消費の時代はいずれ終焉を迎える。 持続可能経済復活の鍵を握るのは、手道具によりつくる喜びを人々が思い出した時であると信じている。  金物屋という「家業」の使命は、その手道具と「つくる歓び」、それを生み出した日本人の素晴らしさを多くの若い日本人に伝えていく事だと思っている。 
 
 
  以上は、電子書籍のコラムマガジン【MANDA−LA】からの依頼による投稿原稿。
                     2010年(平成22年)5月執筆。 

 
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『茶房・速魚川メニュー』英訳版!? 17:32
4月14日から「熊本地震」が発生する以前は、連日のように海外からの観光客が来店していた。台湾、香港、上海、韓国、マレーシア、タイ、スイス、アメリカ、カナダ、フランス、ドイツ、イタリアなど国籍はバラバラだが、夫婦、カップル、家族、一人旅と少人数の来店客がほとんどだ。中には我々日本人より流暢に美しい日本語を話せる外国人もいるが、ほとんどの場合、英語で対応しなくてはならない(!?)

英語なんてもう40年ほど前の遠い記憶で、単語も文法も脳から完全に消去されているが、外国人も同じ人間だ。恥も外聞も捨てれば、なんとか通じるものである。しかし「おもてなし」とは、より相手の立場に寄り添うこと。で、強力な助っ人に頼んで『茶房・速魚川メニュー』英訳版を作ってもらった。A女史に感謝です!!



いらっしゃいませ!

茶房&ギャラリー 速魚川

 

当店でお出しするメニューはすべて湧水を使用しています。普賢岳の伏流水が数百年の時を経て湧き出た美味しい水です。どうぞお楽しみください。

 

Welcome to cafe & galary “Hayame-gawa”.

All made with fresh spring water which has reached here under the soil from Mt. Fugen for several hundreds years.

Please relax and enjoy our food!

 

*Basically, we serve food with chopsticks, but if you need a spoon and fork, please let me know.

 

メニューに記載の価格は、すべて税込みです。

All prices are tax included.



島原カツ加利
1200円(ご飯の大盛り プラス100円)
 
地元島原の新鮮野菜をベースに、各種スパイスを加えてコトコト煮込んだヘルシー&スパイシーなカレーです。
地元特産の豚肉に、おろしニンニクを絡めてカラリと揚げた美味しいカツとの取り合わせは絶妙です。
 
お食事後のセットコーヒー(ホットorアイス) プラス200
 
Shimabara Katsu-Curry (Curry and Rice with Crispy Fried Pork Cutlets)
1200 yen  ( large portion of rice / plus 100 yen)
 
Healthy and spicy curry stewed many kinds of spice and fresh local vegetables.
We fried fine local pork with grated garlic. Please enjoy the combination of crispy pork and curry.
 
with coffee (hot or ice) after meal / plus 200 yen



島原野菜加利

1000円(ご飯の大盛り プラス100円)

 

地元島原の新鮮野菜をベースに、各種スパイスを加えてコトコト煮込んだヘルシー&スパイシーなカレーです。

炒めた新鮮野菜をトッピングに使用し、肉類は一切使用していません。

ベジタリアンに大好評の特製カレーです。

 

お食事後のセットコーヒー(ホットorアイス) プラス200

 

Shimabara Vegetable Curry and Rice

1000 yen ( large portion of rice / plus 100 yen)

 

Healthy and spicy curry stewed many kinds of spice and fresh local vegetables. We don't put any meat in it.

Highly recommended for vegetarians.

 

with coffee (hot or ice) after meal / plus 200 yen



島原特産「冷やしソーメン」
680円(麺の大盛り プラス100円)
 
島原半島は国内有数の素麺の産地です。
豊富な湧水を使用し、伝統技法の「手延べ」によって、腰のある美味しい素麺に仕上がります。
夏は冷やしソーメン、冬は「にゅうめん」でお召し上がりください。
 
Specialty of Shimabara “Hiyashi Sohmen”  (Chilled Sohmen noodles)
680 yen ( large portion of noodles / plus 100 yen)
 
Sohmen is a kind of udon. But, sohmen noodles are much thinner. It is kneaded wheat flour and stretched into shape by hand and dried. Sohmen is an perfect food to eat when you don't want to have too much in Japanese boiling hot season. It refreshes you and is pleasant to your throat when the noodles go down smoothly. Please dip them in broth, then eat. We can serve hot sohmen in winter.



島原名物「寒ざらし」

450

 

砂糖ザラメと水あめをベースにしたシロップに、白玉だんごを浮かべた島原独特のデザートです。

白玉だんごのモチモチ感とシロップの素朴な甘みが見事にマッチした人気のスイーツ。

お持ち帰りもOKです。

 

Specialty of Shimabara “Kanzarashi

450 yen

 

Rice-flour dumplings in sweet syrup which is made from high-purity crystallized sugar and thick malt syrup. It's popular dessert for people in Shimabara. The combination of dumplings with springy texture and sweet syrup is excellent.

You can take away.



手作り「ぜんざい」

600

 

ぜんざいの素朴な甘さは疲れを取り、使用されている小豆は健康にも良いとされています。

ていねいに焼いたモチを浮かべて食べるとき、遠い昔の故郷が思い浮かびます。

 

Handmade “Zenzai” (sweet small red bean soup with rice cake)

600 yen

 

Zenzai is a traditional Japanese dessert. Sweetness of zenzai relieves your tiredness. Also azuki beans (sweet small red bean) are good for your health.


湧水仕立て珈琲

580

 

速魚川の甘い湧水と厳選したこだわりの珈琲豆・・・

香ばしいかおりと深い味わいが心身をゆっくり癒していくのがわかります。

 

Hayame-gawa Special Coffee (Hot)

580 yen

 

We brew coffee with sweet spring water of Hayame-gawa and excellent coffee beans.

Rich coffee aroma and deep and dark taste heal you slowly.


オリジナルブレンド珈琲豆「速魚川」

1袋(100g) 864

 

焙煎職人によって厳選された生豆を直火焼きし、さらにその中からハンドピック(手による選別)された厳選珈琲豆です。皇室の秋篠宮家や島津家でもここの珈琲を楽しまれています。

この焙煎職人に依頼して誕生した特選ブレンド「速魚川」は、深くて透明感のある美味しい珈琲です。

 

 

Original Artisan Roasted Coffee Beans “Hayame-gawa

864 yen / 1 pack (100g)

 

An artisan roasts good quality coffee beans which are selected carefully, then they selects excellent ones by hand again. Japanese Imperial Akishino Family and Shimazu Family have this company's coffee.

Please enjoy rich and dark flavor.



速魚川特製「エスプレッソ」(マイルドタイプ)

580

 

上品でさわやかな酸味が特長のキレの良い味わいです。

速魚川のまろやかな湧水で抽出して、大人の味を演出します。

お疲れの時の気分転換に、是非お試しください。

 

Hayame-gawa Special Mild Espresso

580 yen

 

Tasteful, refreshing sourness, and good aftertaste.

We brew it from soft spring water of Hayame-gawa.

Have a nice break with it.



湧水仕立て冷珈琲

580

 

速魚川の湧水でドリップしたこだわりの珈琲に氷を浮かべて、アイスコーヒーにしました。

暑い夏にはたまらない本格的冷珈琲。ストレートでも、ミルクとシロップを入れても、香りとコクが逃げません。

 

Hayame-gawa Special Iced Coffee

580 yen

 

We brew excellent coffee from fresh spring water, then cool it and put ice cubes.

Perfect drink for Japanese boiling summer. It keeps the coffee aroma and taste with milk and syrup.



湧水仕立て浮菓冷珈琲(コーヒーフロート)

700

 

速魚川の湧水でドリップしたこだわりの珈琲にバニラアイスを浮かべた夏の定番。

甘いクリームが珈琲の苦みに見事にマッチング!

疲れた時には是非オススメです。

 

Coffee Float

700 yen

 

We brew excellent coffee from fresh spring water, then put ice cream on it.

The combination of bitter taste of coffee and sweet ice cream is amazing!

Best refreshing drink for summer.



湧水仕立て「お抹茶」(和菓子付き)

650

 

速魚川の湧水は、市内でも珍しい「軟水」です。

この甘い水で点てた抹茶は当店の自慢のひとつです。

水の音を聞きながらの抹茶一服はいかがでしょうか。

 

Matcha (Special Green Tea) with a Japanese confection

650 yen

 

Spring water of Hayame-gawa is soft water, which is good for brewing tea and rare in Shimabara city.

We are proud of our matcha green tea from fresh spring water.

Matcha has a vibrantly green color and smell light, fresh, and slightly grass like.

You don't need to care about the manner at a tea ceremony. Please enjoy the taste and relax hearing the sound of water flow.



湧水仕立て紅茶

580

速魚川の湧水(軟水)で淹れる紅茶は、ほんのり甘くてさわやかです。

厳選した茶葉は、フルーティーな花の香りにあふれています。

手作り無添加の美味しいビスケットが心を癒してくれるはずです。

 

Hayame-gawa Special Tea (Hot)

580 yen

 

Brewed tea from fresh spring soft water. Refreshing and slightly sweet.

We selected tea leaves with fruity and floral aroma.

The handmade and additive-free biscuits taste good.



ほっと柚子茶

400

 

柚子のビタミンCとクエン酸がたっぷり含まれて、寒い日にピッタリ!のお茶です。

 

Hot Yuzu Cha (Hot Citrus Junos Tea)

400 yen

 

This sweet citrus tea contains plenty of vitamin C and citric acid, so it's perfect for cold day.



速魚川特製「抹茶白玉ぜんざい」

800

 

国産小豆を速魚川の湧水でコトコト煮込んで作った特製ぜんざいです。薫り高い抹茶の苦み、ぜんざいの優しい甘みと、白玉のふわりとしたもちもち感のマッチングが絶妙なバランスで口の中に広がります。心と身体が温まります。

 

Hayame-gawa “Matcha Zenzai with Rice-Flour Dumplings”

800 yen

 

We boiled well home-grown azuki red beans in fresh spring water of Hayame-gawa. The matching of bitterness of matcha green tea, sweetness of red beans and springy texture of rice-flour dumplings is amazing. It will warm your body and heart.



「クリームぜんざい」

550円(トッピング〔白玉〕 プラス100円)

 

速魚川のオリジナルメニュー新登場。

地元農家の国産小豆を使用。

アイスクリームと国産小豆の絶妙なマッチングです。

ミントの葉は、速魚川自生を使用しています。

 

”Cream Zenzai” (Ice cream with azuki (sweet small red beans) )

550 yen

* additional toppings (rice-flour dumplings) / plus 100 yen

 

We use home-grown “azuki”. The matching of ice cream and azuki is amazing. The mint leaves are put on it, which are grown at Hayame-gawa.



速魚川特製「かき氷」 期間限定(6月〜9月)
 
湧水仕立ての氷と手作りのシロップ。
かき氷機の刃をカンナのように超仕上げで砥ぎ上げていますので、きめ細かいパウダー状の氷が特徴です。
フワッとした食感は、一度食べたらやめられません。
 
Hayame-gawa” Shaved Ice   (Only from June to September)
 
Our ice is made from fresh spring water and the blade of the ice shaving machine is sharpen by the hardware shop owner perfectly. So, our shaved ice is like fluffy powdery snow and pleasant to the tongue. Various kinds of syrup are homemade. Shaved ice absolutely makes you happy.


かき氷メニュー(期間限定 6月〜9月)
みつかけ   /400
宇治みつかけ /500
ミルクかけ  /500
宇治ミルクかけ/600
金時      /600
宇治金時    /700
ミルク金時   /700
宇治ミルク金時 /800
アイスクリーム、白玉、それぞれ100円プラスで追加承ります。
 
★Shaved Ice Menu★ (Only from June to September)
Mitsu-Kake (with Syrup)                       400 yen
Uji-Mitsu-Kake (with Matcha Green Tea) 500 yen
Milk-Kake (with Condensed Milk)         500 yen
Uji-Milk-Kake (with Matcha Green Tea & Condensed Milk)600 yen
Kintoki (with azuki (sweet small red beans))                  600 yen
Uji-Kintoki (with Matcha Green Tea & azuki (sweet small red beans))     700 yen
Milk-Kintoki (with Condensed Milk & azuki (sweet small red beans))   700 yen
Uji-Milk-Kintoki ( with Matcha Green Tea & Condensed Milk & azuki (sweet small red beans)) 800 yen
 
* additional toppings ( ice cream, rice-flour dumplings) / each plus 100 yen




速魚川特製「ほうじ茶かき氷」 期間限定(6月〜9月)
 
ほうじ茶を濃縮した手作りシロップ!!
ほうじ茶の香りがふんわり広がるかき氷です。
 
ほうじ茶蜜かけ   500       ほうじ茶金時    700
ほうじ茶ミルクかけ 600       ほうじ茶ミルク金時 800
アイスクリーム、白玉のトッピングはそれぞれプラス100円で承ります
 
Hayame-gawa “Hohji-cha Shaved Ice”  (Only from June to September)
 
It is covered with homemade condensed hohji-cha syrup. “Hohji-cha” is roasted Japanese green tea. The color is brown and nice-smelling.
 
Hohji-cha Mitsu-Kake (hohji-cha syrup) /500 yen
Hohji-cha Milk-Kake (hohji-cha syrup & Condensed Milk)600 yen
Hohji-cha Kintoki
| 『茶房・速魚川メニュー』英訳版!? | - | - | posted by ino-haya - -
2016.05.13 Friday
当店前の道路は『一方通行』ですよ〜!! 22:52
最近は、県内外からに限らず海外からレンタカーで来店するお客様が増えている。地元の人なら当店の前の市道(上の町)が【一方通行】であることは認識しているが、初めて来訪する土地勘のない人は、時として【一方通行】と知らずに駅前通り方向に逆走して帰っていく(!?)。これは立派な『道路交通法違反』で、罰金、減点の対象になる。わざわざ島原を訪れてくれたお客様に苦い思いを残したくない。何か対策はないか?と常々考えていた。

当店の駐車場出口の地面に、退出する運転者から見えやすい【一方通行】サインをペンキで描こうと決めて、デザイナーの伊藤英治氏に相談した。「テレビCMで、路上の『トリック・アート』を見たけど、ある角度で急に運転者の眼に飛び込んでくるような・・・」と無理難題を持ちかけたら、快く引き受けてくれた。提案されたデザインは『トリック・アート』というより、もっと次元の異なる意味が込められていた。

「フィボナッチ数列(級数)を使ってみました」と、伊藤氏。自然界や芸術界の美の方程式といわれる《黄金比率=1:1.618》の事だった。1.2.3.5.8.13.21.34.55.89・・・と、前のふたつの数字の合計が次の数字になっていく数列の一種。すると、次の数字は前の数字の1.618倍になる法則性に気づく。この比率こそ、世に《黄金比率》と呼ばれる普遍的な美の基準なのだ。自然界の動植物だけでなく、ダ・ビンチやミケランジェロや北斎や若冲など洋の東西を問わず、芸術作品にはこの《黄金比率》が当てはまるという。

理解などしてないのに、なんか高尚な気分になり俄然、路上ペインティングに意欲が湧いてきた。この単純な思考形態は今も昔も変わらない。ところが、伊藤氏はこの数列による《フィボナッチ螺旋》を使った事にもっと深い意味を込めていたのだ。それは島原半島、とりわけ雲仙普賢岳だった。

























「昨年、【明治日本の産業革命遺産】がユネスコの世界遺産に登録されましたが、実はこの産業革命の実現に島原半島や雲仙普賢岳の果たした役割は非常に大きかったのです。」と、雲仙自然保護官事務所のレンジャーである環境省の岸田宗範氏が教えてくれた。彼は今年3月に宮内庁に転勤になったが、任期中の3年間で島原半島や九州の自然や地質や歴史、文化などを熱心に調査してきた。

  ★過去のコラム『島原半島世界ジオ・パーク』って? ⇒ 
http://blog.inohara.jp/?eid=958344

「明治時代の産業革命にとって、人力に代わるエネルギー源は蒸気機関を動かす石炭でした。当時、国内最大の石炭産出量を誇ったのが福岡の三池炭鉱。当初、採掘した石炭は人夫による人力によって地上に運び出されていましたが、低効率や人的消耗のため馬を使うことになりました。狭い坑道でも重い石炭を運べる馬力ある小型の馬を探したところ、長崎県の対州馬(対馬)と島原馬が候補に挙がり、最終的に島原馬に決定しました。江戸時代から島原藩が改良増産に力を入れてきた馬です。雲仙普賢岳のあちこちの裾野で放牧され、多い時は5000頭以上に及びました。この馬がいなかったら産業革命に不可欠な石炭の採掘量を確保できなかったでしょう。」

「もう一つが、産業革命遺産【富岡製糸場】に代表される養蚕業です。絹糸の輸出は明治時代の富国強兵策の大きな柱で、昭和の戦後まで続きました。絹の原料となる蚕(かいこ)の繭(まゆ)の生産は農家の重要な副業でしたが、蚕が活動する夏から晩秋にかけて農繁期と重なるため、安定供給と増産の目的から、蚕の卵の何割かを低温で一時《冬眠》させて孵化の時期を少しずつずらしたのです。当時は冷蔵庫なんてありませんから、九州全域の養蚕業者は雲仙普賢岳山頂付近の真夏でも氷が採れる【鳩の穴】など9か所の洞窟に蚕の卵の一時《冬眠》を委託したそうです。もし、雲仙普賢岳の洞窟がなかったら、絹の生産増は望めなかったのです。」

「雲仙普賢岳は、佐賀、福岡、熊本、宮崎、大分、鹿児島の九州全県から肉眼で見ることができます(!?)。江戸時代以前の戦国時代、九州全域の大名達は自国の安泰祈願のために普賢岳参詣を欠かさなかったそうです。帝や朝廷、平家など時の権力者たちがわざわざ熊野大社参詣(三重県)をしていたように。そして、現在も【名勝山】と国が認めているのは富士山と普賢岳の2つだけなのです。何か深い理由があるのでしょうか。」と岸田氏は語った。伊藤氏が紹介してくれた《フィボナッチ螺旋とフラクタル構造の研究》の図を見ると、九州のフィボナッチ螺旋の始点(中心)に島原半島、雲仙普賢岳が位置する。これは偶然なのだろうか?









上と下の写真は「フラクタル構造」の典型的な事例で、浅川嘉富著【龍蛇族直系の日本人よ!】に掲載されている図から引用した。“フラクタル” つまり全体と個の自己相似・・・ってことは・・例えば、宇宙と人体や細胞はスケールが違うだけで基本的には同じってこと?・・・う〜ん・・・ 


 
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