猪原金物店・コラム明治10年に創業。九州で2番目に歴史の金物屋。
金物店の裏では喫茶店も営業しています。

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【2020年、東京オリンピック・パラリンピック開催決定】 10:44
 本日の午前5時過ぎに、アルゼンチン・ブエノスアイレスで開催されていたIOC(国際オリンピック委員会)総会で、2020年のオリンピック・パラリンピックの開催地が東京に決定した。招致競合して落選したトルコ・イスタンブールとスペイン・マドリードの市民の失望と落胆を考えると手放しに喜べない気もする。

   
        《 
最終プレゼンテーションにおける安倍首相のスピーチ  》

★ 福島の状況を「The situation is under control」(状況はコントロール下にある)と発言。

★「私が安全を保証します。状況はコントロールされています」。

★「汚染水は福島第一原発の0.3平方キロメートルの港湾内に完全にブロックされている」。

★「福島近海でのモニタリング数値は、最大でもWHO(世界保健機関)の飲料水の水質ガイドラインの500分の1だ」。

★「健康に対する問題はない。今までも、現在も、これからもない」。


   ★ 再度ここクリック ⇒ http://youtu.be/Q5p283KZGa8

 世界中が一番注目している『福島第一原発の放射能漏えい問題』を一国のリーダー・安倍首相は以上のように公言してしまった。この前提で開催が決まった以上、原発事故の収拾に加えて、被災地の復興にも本腰を入れる責務が生じてしまったのだ。もしできないなら、日本という国への国際的な信用が地に落ちることになるだろう。

さはさりながら、日本国民として自国開催はやはり嬉しいかぎりだ。あと7年後の2020年には「東京オリンピック・パラリンピック」が開催され、それまで生きててしかもボケてなければ一生のうち2回も「東京オリンピック」を観ることができる。

1964年の「東京オリンピック」の時は、安倍晋三首相と同じ小学4年生(10歳)だった。市川昆監督の記録映画「東京オリンピック」が翌年に全国の小学校で上映され、我々も狭い図書室の床にすし詰め状態で座って鑑賞した。今もその衝撃的な映像は鮮明に憶えている。(暗幕密室での酸欠でひどい頭痛がした記憶と共に)

本日、日本人で一番ホッとして喜んでいるのが《オリンピック招致委員会》委員長・猪瀬直樹東京都知事ではないだろうか? 下の写真は、2007年8月に講演のために来島した猪瀬夫妻が、「かき氷」を食べに来店された際のワンショット。7月に60代の若さで急逝された奥様のご冥福を祈りたい。奇しくも、猪瀬氏悲願の東京五輪決定の本日が、奥様の49日だった。 


 
           《2009年のブログより》

上の写真は、しまばら半島未来塾の講演と復興事業の現地視察で平成19年8月18日〜21日の4日間、島原を訪れた猪瀬直樹氏。  真夏日の午後、茶房速魚川で当店自慢のかき氷を堪能してもらった。  「これはいけるなぁ、水も美味いよ。」と言った。

聡明で辛辣な発言で有名な猪瀬氏だが、話してみると非常に気さくでユーモアあふれる人だった。  当店お向かいの欣喜堂時計店の話をしていたら、写真の左腕につけている「電波時計」を見せて「これ一万五千円だったけど、便利なんだよね。  女房はアナログの手巻き時計が好きみたいだけど、電波時計は正確無比。  テレビに出演する時は秒単位の進行だから助かるよ。」とか雑談をした。

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二胡奏者・野沢香苗 17:03
島原で「水まつり」が開催されると聞き、どうしても自分の曲を演奏したいという熱い想いで、所属事務所に無理を言って一人で島原に駆けつけてくれたのだ。   昨年6月の初来島以来、二度目の来島になった。

 今年1月、ユーキャンより日本人二胡奏者としては初のメジャーデビューを果たした野沢香苗さんが、そのメジャーデビューアルバム「Naturally〜水と光〜」の一曲目に入れているのが【水の都】である。

 【水の都】とは“島原”の事である。   アルバムの曲の説明文は以下の通り。

「 島原の町に行ったとき、きれいな水が町中いたるところから湧き出ているのをみて、とても感動しました。  
 
 そして、町の人たちも水と同じようにとても輝いているように感じました。

 いつまでも、きれいな水の都でありますように・・・・そんな思いを込めて作曲しました。   

 アレンジではハープの音がキラキラ輝く水面を思い浮かべさせてくれます。 」


 土曜日の昨夜8時から「水まつり」メイン会場の武家屋敷において40分間、彼女のコンサートが開かれた。  その後、速魚川ギャラリーに移動し、彼女を囲んで高城病院常務理事・高城二三男氏と八尾病院事務長・島崎雄三氏と小生の4名で打ち上げの食事会をした。(添付写真)    まあ、なんというか、まさしく「美女と野獣」の構図でしたなぁ・・・・(この表現に関する反論や異議申し立ては一切受け付けない。)

 野沢香苗さんが「水の都」を作曲するきっかけを作ったのは、昨年6月に高城氏が高城病院恒例の慰問コンサートに彼女を呼んだからだった。   高城氏は野沢さん達二人のミュージシャンを当店も含め、市内のあちこち見せて回った。   彼女にとって湧水が湧き出ている島原の町は、衝撃的であり感動的であったのだ。

 野沢香苗の素敵なHPは・・・  http://www.nozawakanae.com/    彼女のプロフィールは以下の通り。

 【 女優として出演した舞台で「二胡」と出会い、魅せられ、以来二胡奏者として活動を続ける。         中国の民族楽器としての二胡にとらわれず、様々なジャンルの音楽に取り組み、そのしなやかな指が奏でる艶やかな音色は多くの聴く人の心を魅了している。  EXILE、宇崎竜童などのアーティストとの共演も果たし、2006年10月には、愛・地球博閉幕1周年記念ミュージカルにも出演。      数々のレコーディングへの参加をはじめ、コンサートやディナーショー、TV出演等に活躍の場を広げている。     2007年1月、ユーキャンより日本人二胡奏者として初のメジャーデビュー。  福井県出身 12月2日生まれ。】

 食事会で少しお酒も入り、高城氏が「もしよろしかったら、一曲演奏して頂けないでしょうか?」と大胆な注文を出してしまった。   綺麗な笑顔で「はい」と返事をして彼女はケースから二胡(胡弓)を取り出した。 

 「【水の都】を弾かさせて頂きます。」と言って、二胡を構え一呼吸した瞬間、彼女の表情は真剣になり、プロの眼に変わった。   胡弓ほど人間の繊細な情感を表現できる楽器は無いと思う。   同時に悠久の時の流れを見事に表現できる楽器でもある。

 スラリとした八頭身ながら、まだ可憐さの残る美しい顔立ちの野沢さん。   彼女のどこから出てくるのか? と驚くような力強く繊細な旋律が二胡から流れ始めた。   圧倒される中年と熟年のけがれた「野獣」たち。

 この若さで果たしてこれほどまでの表現力を身につけることが可能だろうか?   しかし、考えてみると彼女はもともと舞台女優だったのだ。   おまけに歌手でもある。   舞台俳優がどれほどの表現力を要求されるかは小生も経験があるので理解できる。   もちろんプロとしての演奏技術は前提にあるが、それらの異なるジャンルで培った表現力が演奏に反映されているのだろう。

 まさしく「人生に無駄なものなど何ひとつない」だ。   で、この食事会において来たる9月23日(日曜日)に、【二胡奏者・野沢香苗のコンサート in 速魚川】の開催が決定した。   高城氏は言う「呑み会に無駄なものなど何ひとつない」。   ・・・・ったく、いい加減な人だ。
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「象」さんが完成!! 17:00
 松下泰三氏が彫刻家・野島泉里氏に注文していた作品が本日、松下ひふ科の玄関に設置された。       あいにくの雨だったが、白御影石でできた「象」は、ユニック車のクレーンで数人の手により確実に鎮座した。

 このオーダーを受けた野島氏が、どのような工程を経て本日に至ったか、ずっと見てきたので感動してしまった。    あちこちで見かける松下ひふ科の看板には、頭文字の「M」が「象」のイメージでデザインしてあり、松下泰三氏の名前「泰三」の「ZOU」からきていることは知っていた。   恐らく島原半島で一番目を引く看板かもしれない。

 今度は「象」の彫刻である。     先日、紹介したコラムの本田氏の作品でもわかるように、「普賢菩薩」は「白象」に乗っている。   仏教発祥の国・インドでは、昔から「象」は神の使いとして崇められてきた。   特に「白い象」は特別な存在で、仏典にも「普賢菩薩」と共に多く登場する。

 敬虔な仏教徒でもある野島氏が「象」の彫刻の素材として、黒御影石ではなく白御影石を選んだのにはそれなりの深い理由があったはずだ。   「松下先生の人柄や熱い想いを勘案し、それらのすべてをこの作品に込めました」と野島氏は語った。   

 添付写真は、設置直後の写真。   右が松下氏、左が野島氏。   写真には写っていないが、人形作家の本田氏と書道家の井上氏も設置風景を見物に来て横で見ていた。   松下ひふ科の名物がまたひとつ増えた。   国道251号線に面しているので、車で諫早方向に走る時、田町でこの「象」がしっかりと見える。
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入学式 17:01
今日が三女・朝子の中学校の入学式だった。            「朝子」と「セーラー服」・・・・この二つの単語は対義語みたいなもので、どう考えてもイメージが浮かばなかった。     

 第一、日頃スカートなんてはいた事がない娘である。     これは笑えるネタである。 

 添付写真が入学式に行く直前の写真である。    緊張なんて全くしていない。   さっきまで甲斐犬ジンの首輪をつかんで、ボールを口にねじ込もうとしていた娘が、突然、セーラー服である。 

 まあ、とにかくこれで我が家には小学生はいなくなった。    あと五年もすると娘は三人ともいなくなる。     「でも、最後までいるのがこの朝子だから、たまったもんじゃない」と、朝子のいる前で平然と口にするカミさん。

 写真を撮ろうとして「おぉ、小夏よりセーラー服が似合うじゃないか」とおだてたら、後でちゃんと姉の小夏に「お父さんが、小夏より朝子の方がセーラー服が似合うて言いよった。」と耳打ちし、姉に精神的ダメージを与える事も忘れない。

 「人の言葉は、本音は半分以下として聞きなさい」という教訓がまだ理解できていない。     本音を言おう。     君達三姉妹は、セーラー服は似合わない。    君達に一番似合うのは「ジャージ姿」だ。     体育会系はみんなそうだ。      セーラー服が唯一似合うのは、色白でかぼそくちょっと不健康そうな「文学少女」なのだ。    昔からそういうことになっている。
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誰だ〜!! こんなことしたのは!? 14:58
 こんないたずらをするのは、この町内でただ一人・・・・三女・朝子だ。

 昨日から日本列島を包み込んだ冷気は、あちこちに大雪を降らせた。    この冷気を送り出したのは、例年のシベリア寒気団ではなく、北極からの寒気団だという。   やっぱり最近の地球は、なんか変だ。

 我が家の車に積もった雪をかき集め、同じ駐車場に停めてあるお向かいの欣喜堂さんの愛車の雪までかき集め、気づくと欣喜堂のご主人や安藤電機店のご主人に手伝ってもらって雪だるまを作っている。

 どうせ「おじちゃん、おじちゃんの自動車に積もっている雪ばもろてよか?」とか要領よく話を持ちかけたのだろう。    そうなってくると「ああ、よかよ。」と答えることが出来ない親切な人達だから、手伝おうか?・・てなことになったのだろう。

 これを計算ずくでやっていないところに朝子の恐ろしさがある。    気づくと、いつの間にか手伝わされているのだ。   

 しかし、いくらなんでもトラックの運転席の前はないだろう。    危なく発進するところだった。     雪のミッキーマウスってか?・・・・   そんな謎かけをしても、ディズニーランドには連れて行かないぞ。      おまけに、勝手に借りた軍手は、同じ車のボンネットに置きっ放しにしてある。     ったく・・・・あのガキは・・・・
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世代間闘争 20:22
 画像を添付して、なかなか書き込みが出来なかった。    最近、なぜか気乗りしなかったのだ。

 年末に、長女の志乃が「デジカメば貸して」というものだから、「なんすっとや?」と聞くと、「島原城でカウント・ダウンのコンサートがあるとさ。  友達数人で行くとやけど、タレントの来るけんカメラのいる。」と言う。

 これも、小生の遺伝であろう。   なにも言わずデジカメを貸した。    で、その映像をパソコンに落とし込んだら、添付写真の画面が出てきたというわけだ。 

 それぞれの世代で、夢中になるものがある。   小生も、いろんなものに夢中になった。    髪の毛を肩まで伸ばし、髭を蓄え、下駄とジーンズで街中を闊歩した。  すべてのものが輝いて見えたり、嘘に見えた時期もある。    大人たちを軽蔑した。    大人たちからヒンシュクを買った。     いろんなことに怒り、感動し、涙し、時にはすべてのことを否定し、自分の殻に閉じこもったりした。 

 映画雑誌「スクリーン」から、好きな女優の写真を切り抜いて部屋のあちこちに貼った。    いろんな音楽を毎日聴いていた。    

 イソップの寓話だったのか、記憶が定かでないが、人間とロバと犬とサルの寿命はそれぞれ30年だったのだが、ある日、神様のところに人間が相談に来た。  「30年では短すぎます。   もっと寿命をください。」と言った。    ロバもやって来て、「30年も、重い荷物を背負い続けるのはつらいので、寿命を減らしてください。」と頼んだ。    同じように、犬もサルも、寿命を減らしてくださいと神様に頼んだ。     神様は、しばらく考えて、みんなの希望をかなえてやった。

 ロバと犬とサルの寿命をそれぞれ15年づつ減らし、その分を人間に与えた。   人間は大喜びしたのだったが、確かに30年間は、毎日が楽しく、面白く生きることが出来た。    ところが、その後の15年間は、ロバのように重い荷物を背負わなければならなくなった。     その後の15年間は、犬のように大声で吼えるのだが、歯が抜け落ちて、うまく吼えられず、誰も相手にしてくれなくなった。    その後の15年は、サルのように頭が回らなくなり、周りの若い人間達から笑われるようになった。

 後悔した人間は、再び神様の元に行き、戻してくれと頼んだが、神様は聞き入れなかった。

  この寓話の示唆するテーマはなんだろうか?・・・・欲を出すと、いい結果は得られない・・・・いや、そんな簡単なものじゃない・・・・30歳までは、知性も感性も、肉体も元気いっぱいで、責任もないし、自由で楽しいばっかりだ。    その後、結婚したり、仕事などで責任を持たされ、「社会人」としての重圧に耐えなければならなくなる。    その後は、肉体の衰えが顕著に進み、自他共に「老い」を感じ始める。    そして、最後は、肉体はもとより、老人性のボケが始まり、周りからヒンシュクをかいながら死んでいく。     「それが人生ですよ。   人間に生まれたからには、覚悟して生きなさい。」という、哀しく残酷な【戒め】なのかもしれない。

 で、話を元に戻すが、今現在の年齢(世代)が、自分にとっての現実なので、他の世代の気持ちにはなれない。    犬はサルではないし、サルはロバではない。   それぞれの立場にならないと理解できないし、後戻りもきかない。    従って、世代間闘争は永遠に続いていくことになる。   親子なら、なおさらのことだ。  
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「川田なな」画集より 20:19
  本日、ある知り合いの僧侶が一冊の画集を持って来て、「熊本の玉名郡・天水町出身の天才画家の画集です。  彼女は2001年に25歳の若さで亡くなっています。   名前は【川田なな】と言います。   進呈しますので観てやってください。」と言って帰って行った。   この画集を開いた時、ショックを受けた。

 この画集を、たまたま当店に年始の挨拶に来られた高城二三男氏に見せたところ、いたく感動され、「もし、よろしかったら貴殿のコラムに論評を書かせてください。」と頼まれた。   高城氏は先代から二代にわたる絵画のコレクターでもある。   以下、先ほど即興で書かれた、「川田なな」の画集の中から一枚の絵【JAZZ】についての論評を載せることにした。

              【 解き放された・線・色・心 】

 JAZZ・ドローイング(1999)に出会った時、衝撃が全身に走った。   24歳ごとき(あえて、「ごとき」という)未成熟な人間がどうしてこんな完成度で結実できるのか?  「信じらんない!」である。   

 画面の中にローアングルで見上げる「女体」が、アップテンポのJAZZで踊っているようであり、私を誘っているようでもある。    おそらく画家自身、JAZZを聴きながら一気に線を引いたのであろう。    気分の高揚が伝わってくる。

 女体のやや右半身に赤を主体に配し、髪の黒の強さと拮抗させている。    赤はあくまでも、「女」の色だ。    赤を部分的にまとわせることで、「女体」のなまめかしさが際立つ。   まるっきりの裸体より、エロティックな気分にさせる。

 性器部分にも赤を配したのは、「原始母性」とか、すべてを呑み込む「レッド・ホール」を呼び起こしてくるのだ。    左肩の奥に「だいだい色」を置くことで、画面上の色合いのおさまりがついている。

 ピカソと格闘・・・いや、尊敬・・・いや、おそらく大好きなのだろう。   川田ななは”無限則”に、「ピカソ」を大好きだったのだろう。    【恋愛】に近いものだったのかもしれない。    「理屈」とか「計算」とか、そんな俗なものが入り込む余地がないほど、「ただ、ただ」川田ななは、ピカソが好きだったに違いない。    そして、恋人・ピカソを超えたと思ったのは「なな」自身でなく、観た私自身なのだ。

 「なな」は、25歳でこの世を去った。    私はもう「なな」のような天才には会えないかも知れない。    でも、残された画集で、「なな」にとって、恋人の「ピカソ」といつも逢ってたように、私もまた「なな」にいつでも逢える。 

 もしかしたら、ななは、JAZZ・「恋人よ我に帰れ」を聴きながら描いていたのかも知れない。  

   ( 「川田なな」のホームページは、http://www.nana777.com )

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謹賀新年・2005・酉年 20:15
新年が明けまして、誠におめでとうございます。   コラムをご覧の皆様、今年もどうかよろしくお願いいたします。(昨年末に、国内外で自然災害が次々に発生し、多くの被害者が出たことを思えば、手放しで「おめでとう」なんて言えない複雑な心境であるが・・・)

 コラムの更新が、本日で448回目になる。    いつまで続けるられるだろうか?・・・・     例えば、1000回までいけるだろうか?・・・・   2002年の7月に、長崎の小松夫妻にHPを作ってもらい、コラムのコーナーを設定してもらったが、小生にはやる気がなく、いつまでも書き込まないので、小松氏から叱咤激励された。

 「一言でもいいから、書き込んでください。    そうしないと、人が次第に覗きに来なくなりますよ。」と言われ、しぶしぶ書き込んだのが始まりだった。    しかし、よもや、小松氏も当の本人も、448回も続くとは当時、想像だにしなかった。

 本当に、皆さんのお陰である。    また、掲示板にもいろんな方が面白いコメントを書き込んでいただき、HP自体を盛り上げてくれている。    非常に有難いことだと感謝している。

 コラムの文章は、稚拙で思いつきのままに書いているが、添付写真は、昨年の11月に、「オリンパス・キャメディア・Xー3」という610万画素の高画質デジカメ(なんと! 29800円税込み!!)に買い換えたので、確かに画像は以前に比べると、格段に良くなったと満足している。

 さて、今年は一体どんな出会いがあるのだろうか?・・・・・
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一年間、大変お世話になりました。 11:50
 2000年に当店の二階倉庫で、添付写真の掛軸が発見された事で、2001年に、「青龍の掛軸に関する覚書」を書くことになったのだが、この掛軸は、今年の12月1日までの約4年間、訳あって、波佐見町のある真言宗の僧侶の自宅仏間に祀られていた。

 この「青龍の掛軸」は、約300年前に「興信」という武士の身分を持つ一人の絵師によって描かれ、191年前に、吉備の国(現在の岡山県)の猪原家に渡り、その後、猪原家の守護神として祀られてきた・・・・と言える。(この表現には、それなりの理由がある)     

 明治になり、猪原信平(のぶへい)は、この掛軸を持って単身、普賢岳のふもと・肥前島原にやって来た。    明治10年(1877年)金物屋を創業し、岡山から呼び寄せた二代目の辰十郎まで、この掛軸を大切に祀っていたものと思われる。     その後、この掛軸の存在は、家人に忘れ去られる事になった。

 三代目・健一、四代目・梁平(りょうへい)を経て、五代目・信明が平成10年に、敷地内に「速魚川」という、湧水を使った人工のせせらぎを作った際、この掛軸の存在を「ある出来事」から知らされることになった。     その後、供養して真言宗の僧侶に奉納したが、この度、再び、当家に引き取り、家人で大切に祀り、保存継承していく事を決心した。

 普賢岳を擁する島原半島が、国内でも稀な美しい湧水を生み出している事を自覚し、水の精霊である【青龍】を、その象徴および精神的な支えとして大切に祀り、今後の島原半島が、世界に誇れる素晴らしい地域になる事を願って、みんなで協力し努力していこうと・・・・現在、思っている。

 来たる2005年が、皆様にとって、あるいは世界中の人達、あるいは地球上のすべての生物にとって、幸せな良い年になりますように、祈念いたします。

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T氏が40年間所蔵してきた「龍」 11:48
T氏が数日前に突然、「ずっと考えていたんだけど、やはりお見せしようと決心して持ってきました。」と、当店に額入りの凄い作品を抱えて来られた。 

 T氏が高校生の頃、一人の画家(益本好信画伯)がT氏宅に逗留されていて、「普賢岳を描く」目的だったそうであるが、その画家が高校生のT氏に、この作品を渡し、「君にあげるから、一生大切に持っておきなさい」と言ったそうだ。    T氏はそれ以来、自宅に保管しつづけてきたという。   もちろん、T氏はその後、東京の大学に進学し大手企業に就職して、ブロードウェイをはじめ世界中を飛び回ることになった。     演劇やミュージカルなどの舞台のプロデューサーとして、その才能を開花させ、彼の名前は業界に知れ渡ることになった。(劇団四季の浅利慶太氏をして、「Tには注意しろ」と言わせしめた。)    現在は、実家である市内のT病院の常務理事として経営手腕をいかんなく発揮しておられる。

 その画家も、当時の年齢を考えると、40年以上の歳月が過ぎているので、恐らくすでに亡くなっているだろうという。   なぜ、このオリジナル作品を、高校生のT氏に渡したのか、今も謎だとT氏は語る。

 作品は、縦90cm×横60cmのレリーフ(立体画)で、発泡スチロールの板に熱加工を施しながらレリーフを彫り、表面に見事な彩色を施し、固定剤で固めているみたいだ。   全体がブロンズ色(青銅色)で光沢を帯びているが、各所に赤やオレンジ、グリーン、ブルー、イエローを施してあり、プロの画家にしか表現できない秀作である。

 問題は、モチーフである。     何を描いているのか?・・・・    これは、西洋の龍、つまり「ドラゴン」ではないのか?・・・・   また、表現方法とその様式が非常に気になる。    いつの時代を表現したかったのか?      また、なぜ、龍なのか?・・・・   そして、このような力作を、なぜ、高校生のT氏にあげたのだろうか?・・・   謎は深まるばかりだ。

 40年間、暗い倉庫の中で眠っていた「龍」が、今、T氏によって、日の目を見ることになった。     これが、どういうことなのか?・・・・ウ〜ン・・・・・わからん。

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