その5

2004.01.19 Monday

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    20代前半の頃まで郵便局(本局)に猪原金物店の「私書箱」があり、毎日、郵便物や小包などを取りに行っていた記憶がある。
    当時、郵便局の受付の横の壁一杯に私書箱が並んでおり、店名が書かれ、覗き窓がついた20センチ四方の木枠の扉をカギで開け、中に貯まった郵便物を取り出して持って帰っていた。
    同じように、鉄道便でも荷物が届いてた。
    島原鉄道の島原駅から「荷物が届いています」と電話があると、急いでその荷物を取りに行った。
    担当者が差し出す帳面に印鑑を押して荷物を確認し、それをトラックに積んで持って帰った。
    駅の構内には、車輪つきの大きな台秤(はかり)があり、荷物を載せて重量を計り、運送料金を計算していた。
    物流がトラック便に変わろうとしていた時代で、しばらくすると鉄道便も廃止された。
    その大きな台秤も無用の長物になり、それに眼をつけたのが、島原を代表する人物「宮崎康平」氏だった。
    宮崎氏は早稲田大学出身で多芸多才、彼の著書「まぼろしの邪馬台国」は第一回吉川英二文学賞を受賞し、古代史ブームに火をつけたのだった。(当時、宮崎氏は島原鉄道の重役で、すでに盲目であった。)
    小生が金物屋に帰ってきた頃は、すでに島原鉄道を退職され、深江町で「バナナ園」を経営していたが、島原駅の無用になったハカリを安くで購入し、当店に修理を依頼してきた。
    小生と叔父は島原駅まで、そのハカリを取りに行き、やっとの思いでトラックに載せて、持って帰った。
    なにしろ1トン用のハカリである。ハカリの重量自体が100kgほどあった。
    ハカリ修理場(今は駐車場になっているが)で、まず解体作業にかかった。
    ボルト、ピンなどを抜いて、すべてをばらばらのパーツにし、長年使用してきた「垢」を落とした。
    ワイヤーブラシや布研磨材を使い丁寧に磨くと、赤錆や塗料が落ち、鋳鉄の地肌が次第に見えてくる。
    現在みたいに機械を使い捨ての「消耗品」と認識していなかった時代である。
    100年以上使えるように、各パーツはほとんどが鋳鉄か鋼鉄製という頑丈さである。
    機械は修理しながら長く大切に使うものだった。
    1トンの巨大はかりの各パーツの研磨と塗装が終わり、組み立てが終わった時、奥様と共に宮崎康平氏が当店の修理場を訪れた。
    まだ修理作業に入る前だったが、外観は新品の状態になっていた。
    盲目の宮崎氏は修理中のハカリを手で触り始めた。
    「うん、なるほど、良か状態にあがってきとるばい。」
    彼は叔父と少し会話をして、納得した表情で帰られた。
    「眼の見えとらっさんでも、ハカリの状態のわからすとやろか?」と叔父に尋ねると、「一章さん(いっしょう・宮崎康平氏を島原ではそう呼んだ)は、なんでも触って確かめらすとたい。」と答えた。
    組み立て終わって最初にする事は、秤量のチェックである。
    1トン分の基準器をハカリの台に載せなくてはならない。
    20kgの基準器を50個、きれいに載せていく。
    その後、秤量の狂いを確認し、修理の手順を決める。
    1トン分の基準器を下ろし、台の中にある鋳鉄製の骨部から鋼鉄の刃を抜き取り、グラインダーで研磨しながら狂いを調整する。
    再び、組み込んで、また基準器を50個積載する。
    その作業を、秤量の誤差がゼロになるまで、何回も繰り返すのである。(!?)
    1トン用のウィンチ(昇降機)でもあればどれだけ楽だろうかと恨めしく思ったものだ。
    台部の調整が終わると、次は目盛りの付いている真鍮製の調子竿の刃の調整に入る。
    数日かけてやっと修理が終わり、再びトラックに積載して、深江町のバナナ園に設置に向かった。
    長い間、ハカリの修理をしてきたが、ほとんどのハカリは100kg以下だったので、この時の1トン台秤が小生のはかり職人時代では最大の台秤になった。
    宮崎康平氏はそれから数年して他界された。
    「島原の子守唄」を作ったり、島原城天守閣の復元を当時の市長に提案したり、精霊船の廃止が市議会に上がった時に反論し、その伝統を守ったり・・・・・今の島原にとって多大な功績を残してくれた盲目「先見」の大恩人である。
    さだ・まさしのエッセイで「宮崎先生の通夜に向かう列車の中で永六輔氏と、和子夫人や息子さん達になんて言葉をかけたらいいだろうか?と悲痛な気持ちで話していたら、通夜があっているはずの自宅に着くと、飲めや歌えのドンちゃん騒ぎだった。和子夫人に理由を尋ねたら、主人は辛気臭い葬式は大嫌いでした。飲んで歌って楽しく送る事が一番の供養になると思います。その言葉を聞いたとたん、おかしくなって永さんと二人大笑いした後、涙が滝のように流れてきた。」とあった。
    添付写真は、当店に残っている「基準天秤(てんびん)」。
    別名「精密天秤」とも呼ばれ、一般の質量の精密測定の用途のほかに、基準器(分銅)自体の狂いを測定する用途として使われた。
    従って、受刃には鋼鉄より硬く、磨耗度の少ない鉱石(サファイアなど)が使われている。
    現在も受注生産で作っているが、添付写真の中型は約110万円。
    しかし、国内ではもう需要はないだろう。100パーセント、電子天秤に替わってしまったからだ。

    その4

    2003.09.18 Thursday

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      アナログ式のはかり、つまり規格台秤の修理は、解体、錆び落とし、塗装、研磨、組み立ての後、秤量(能力)分の基準器(おもり)を搭載して、どれだけ狂っているかチェックし、修理方針を決めてから始める。
      心臓部である14本の鋼鉄製の受刃(うけば)をハンマーで用心深く叩いて抜き、受刃の傷み具合をチェックする。
      長年の使用で、とがっていた刃は錆びたり、磨耗して丸くなっている。
      磨耗がひどくて再生が不可能な場合は、鉄工所に持ち込み、欠落した部分に鋼鉄を溶接して盛ってもらう。
      それを万力(バイス)ではさんで、ヤスリをかけながら形を整える。
      鋼鉄とは言え、高温で溶接した後の焼きの入っていない「なまくら」なので、コークスの入った鉄の皿にその刃を入れ、バーナーで加熱して焼きを入れる。
      黒い鉄の受刃が熱せられて次第に赤くなり、黄色から白くなる寸前に、鉄のヤットコで挟み、受刃の当たる両面に青酸カリを塗るのだ。
      ジュッといって青酸カリの青い煙が立ち昇った瞬間に水につける。
      なぜ青酸カリを焼き入れ直前に塗るのかと言えば「マルテンサイト」という鋼鉄の表面の硬い炭素構造の皮膜配列を整えるためだという(!?)。
      この瞬間はやはり緊張する。
      一瞬でもタイミングがずれると、焼きは入らない。
      水の中でグツグツ音を立てて短時間で冷却した受刃を取り出し、再びバイスに挟んで、ヤスリをかけると、成功か失敗かすぐにわかる。
      ヤスリがかかれば失敗、ヤスリがかからなければ「焼き入れ」は成功である。
      つまりヤスリの硬度が基準になるということである。
      過去に何度、泣くような思いでやり直しをさせられたことか・・・・。
      焼きの入った受刃を、添付写真のグラインダー(左の方)で研磨する。
      その際も、研磨の摩擦熱で温度が上がり、焼きが戻らないように、グラインダーの真下には水の入った皿を置いておき、削っては冷やし、削っては冷やしの繰り返しだ。
      研磨の目的は、受刃のわずか幅10ミリの面に(長さは50ミリ)グラインダーでなだらかな凹曲面を作ることなのだ(!?)
      受刃の面をまったくの平面ではなく、このように「ホロー・グラインド」しておけば、油砥石を使った手仕上げの段階で、砥石に接触する刃の面積が少ないので、研磨時間と手間が省けるのだ。(はさみやカンナやノミや小刀の刃の裏面、床屋の剃刀の刃などを観察すれば、凹曲面にえぐってあるのがわかる。)
      しかし、高速で回転する直径205ミリのグラインダー砥石で、わずか10ミリ幅の平面にきれいにホロー・グラインド(凹曲面)を入れるのは至難の業だ。
      最初の頃は何度も受刃がぶっ飛んで、床を探し回った。
      しかし、経験を重ねていくと、自分の手が仕事を教えてくれるようになる。
      グラインダーの回転に逆らわず、静かに優しく受刃を近づけると、指の肉がクッションの役割をし、自然に砥石の曲面と受刃の平面が平行に角度を保ち始めるのだ。理屈ではない。
      添付写真のグラインダー(正式にはグラインダー&バッファー)には、当店のはかり修理場の歴史や小生の思い出が詰まっている。
      三相200ボルト(動力用)の強力なマシーンで、使用していないが今も健在だ。
      右側のワイヤーブラシを装着している方がバッファーで、ブラシをバフに付け替えて青棒(研磨剤の入った固形ペースト)を塗りこみながら仕上げの研磨に使っていた。
      この機械もメーカー(みずほ)も今はない・・・・・・。

      その3

      2003.02.21 Friday

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        「はかり」(質量計)は時計や温度計といっしょで狂っていたら全く意味がない。
        意味がないどころか大損するか信用を無くすかのどちらかになるので商業用は非常に正確さが求められる。
        修理にかかる前に秤量分のおもりをはかりの台に載せ、目盛りをセットして誤差を見るが、100kgを載せても目盛りは99.5kgだったり(500グラム分、損をする)100.5kgだったりする(500グラム分、得をしたようだが結果として信用を無くすことになる)。
        新品のはかりは国家検定を受けているものが多く、もちろん誤差はゼロである。
        修理は誤差ゼロを目指しているが各部品の傷み具合によって状況は変わるので「限りなく誤差ゼロ」を目指すことになる。
        人間の病気と同じだ。
        風邪から癌まであるので場合によっては完治できないものもある。
        「計量法」という法律に従って度量衡(どりょうこう)つまり質量計(はかり)の取り扱いは定められているが、商売や公式記録用に使用するはかり(家庭用の台所はかりや体重計以外)は2年に1度、県の検定を受けなければならない。
        その際の合格と認められる誤差の範囲・「検定公差」は秤量の1000分の1である。
        100kgの秤量(能力)のはかりなら100g以内の誤差まで使用する事を許すという事だ。
        アナログ式の規格台手動はかりの最小目盛りつまり1度目(どもく)は100kgはかりで50gだから2度目以内の誤差でなければならない。
        修理する側にとっては結構シビアな数字である。
        これに「感度」のチェックも入ってくる。
        目盛り竿の振り子運動が止まるまでの振幅回数と速度のことで振幅回数が少なく速度が遅いと「失感」と判定される。
        アナログ式はかりの原理ははかり台の上に載せた対象物の重量をテコの原理(力点、支点、作用点)を利用して受刃で正確に分散させ小さくしていって目盛りに伝えるというものである。
        力点、支点、作用点の距離がずれるとはかりは誤差が出て狂い、その距離を元に戻す事を修理と言う。
        受刃は(鋼鉄製で角度は約60度)14箇所でそれぞれの距離は決まっており、先端は磨耗していてはならない。
        刃先が尖っていて接触面積(摩擦係数)が限りなくゼロに近いほど精度と感度が良くなる仕組みだ。
        添付写真は茶房&ギャラリー速魚川の入り口の脇に置いてあるアナログ式の規格台手動はかり。
        秤量150kg型の台の上に100kg型が載せてある。

        その2

        2003.02.06 Thursday

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          速魚川の駐車場には十数年前まで当店の建物がありその一角に「はかり修理場」があった。
          当時は2トン(2000圈砲稜蚓未里呂りまで修理出来る登録を県にしていた。
          従って20圓隆霆犂錙覆もり)が100個備えてあった。
          習い始めの頃、修理をする際はもっぱらこの基準器をはかりに載せたり下ろしたりする作業をやらされた。
          アナログのはかりの修理行程は、例えば台手動はかりの場合、すべてを分解し各部品の錆落としと塗装から始まる。
          錆落としは研磨布やグラインダーで丁寧に落としていく。
          顔や鼻の中は真っ黒になる。
          防錆塗料を下地に塗りそれが乾くと本塗装を施す。
          絵画をしていたので刷毛の使い方は手馴れていた。
          目盛りの付いている真鍮製の竿(さお)は鋼鉄製の刃をすべて外し、真鍮研磨用の柔らかい炭で錆を丁寧に水研磨した後、ケガキ針を使い目盛りの凹の中に残っている汚れた石膏をすべて取り除く。
          グラインダーで布バフ研磨(青棒という研磨剤を高速回転しているバフに擦り込む)し、ピカピカになった真鍮竿の目盛りに石膏を水と練りながら指で擦り込む。
          石膏が目盛りの凹の中で固まった頃、竿全体を布巾で拭き取ると新品の竿が出来上がる。
          翌日、塗装が乾いた頃組み立てる。
          外観は新品と同じ状態になっているが修理はこれから始まる。
          秤量一杯の基準器をはかりの台に載せ(100kgはかりなら100kgの基準器を載せる)目盛りを100kgにセットする。
          当然狂っているからその誤差をチェックし修理の行程を組む。
          添付写真は基準器(3級分銅)で鋳鉄製。
          左から20kg、10kg、5kg、2圈1圈ΑΑΑ1年に一回、県の計量検定所で重量の調整をおこなっていた。
          誰がなんと言っても島原半島ではこの基準器が唯一の重量の基準になっていた。

          その1

          2003.01.08 Wednesday

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            昨年の9月に「長崎県はかり修理許可指定業者」の登録の抹消手続きをした。
            25年間、四半世紀以上、はかりの修理を続けてきたが、時代が反転し需要がなくなってきたからだ。
            勿論、現在も金物店ではかりの販売はしている。
            この四半世紀の間に「はかり職人」として多くの計量器を修理しながら、各メーカーの販売戦略、消費者の意識や生活の変化を見てきたことになる。
            今となっては思い出でしかないが、それらの記憶をこのコラムに残しておこうと思う。
            猪原金物店は代々、はかりを販売する傍ら修理業もしてきた。
            島原半島では唯一の修理業者であった。
            小生がはかりの修理を習い始めた頃はまだアナログ式の計量器が主流で、現在のようにデジタル式のはかりなんて見たこともなかった。
            昭和40年代頃より、時代は急速にアナログからデジタルへ、修理しながら長年使用する概念から「使い捨て」消費型の経済・世情へと移行していく。
            したがって計量器の材質、構造も軽量、便利、短命へと変化していった。
            これは住宅、自動車をはじめとする日本人の身の回りのほとんどすべてのモノと同じ変化である。
            「もったいない」という概念は日本人の意識から消え去ることとなった。
            添付写真は当店で現在も使用しているアナログ式のはかりで「上皿桿秤(かんぴょう・さおはかり)」。
            物理の【力のモーメント】の支点、力点、作用点という基本から作られている。
            精度は市販のデジタル式はかりより優れている。
            残念ながらこのはかりを使える一般人は次第に少なくなっている。
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