その7 {愛知一宮、岐阜大垣)

2003.02.02 Sunday

0
    「マンマ・ミーア」は車道沿いに広い駐車場を抱したヨーロッパ風の洒落た建物である。
    雪が被っていたので建物の詳細は見えなかったがバス停前の可愛い待合所も建物に隣接して建てるという心憎い演出だ。
    レストラン側の厨房には数人の女性がいてその中の一人・霜田早苗さん(添付写真の右から霜田さん、小生、増田さん)は昨年11月にフランス政府からフランスチーズ鑑評騎士・「シュバリエ」に叙任された。
    彼女にワインとチーズを選んでもらい夜の宴会(愛知県一宮市)に持っていくことにした。
    小物、雑貨のコーナーは増田さんが東京で厳選して仕入れた品物で埋め尽くされ、若い女性向けとは言え中年男性の小生でさえ欲しくなるものばかりだった。
    時代の先端をしっかり見据えた経営者のポリシーが伺えるが「お客のニーズの変化が最近特に早いのでうっかり油断は出来ない」と話しておられた。
    常に消費者ニーズにはアンテナを張っておけという事か。
    午後1時半まで忙しい中を時間を裂いてもらい色んな情報を教えていただいた。
    経営者はどんどん外に出て、経営セミナーなど積極的に受けなくてはだめだという。
    商品構成や展示方法など自分の店と比べると恥かしくなった。
    頑張ろう!!
    増田さんとお別れし来た通り、雪の降り積もる街を歩いて松本駅まで戻り、雪のため30分遅れて来た「特急・信濃18号」で名古屋へ向かう。
    名古屋駅で各駅停車岐阜行きに乗り換え「木曽川」で下車。
    学生時代の劇団同期生・S夫人が車で迎えに来てくれた。
    S夫婦は同じ学生劇団OBでいっしょに芝居を作ってきた仲間だ。
    S氏は卒業後、東京のフジTV、S夫人は音楽を目指し同じく東京の上条恒彦氏宅(歌手、俳優)で住み込み修行をしていた。
    二人は東京で結婚し、その後S氏の実家の一宮に帰ってきたのだ。
    同じく劇団OBで愛知のTV局にいたKさんも名古屋から駆けつけてくれて、その夜はS氏宅に泊めてもらい4名でOB会をした。
    相変わらず皆さんパワフルで大いに盛り上がった。
    翌日、旅の最終日(24日)は同じOBで一昨年前に亡くなった岐阜・大垣のT氏宅にご仏前参りに行った。
    S夫人とKさんの女性二人も付き合ってくれて3名で行く事になった。
    小生とT氏は同期で語り尽くせないほど色んな思い出がある。
    亡くなって初めて彼の存在の大きさに気づいたのだった。
    優しく繊細でみんなから愛されていた。
    一昨年の最後の年賀状に「高1の長女が演劇部に入った」と書いてあった。
    8年ほど逢ってなくて話したい事が山ほどあったのに、3人の子供と奥さんを残して一人旅立ったのだ。
    「グスコーブドリの伝記」「陽気な地獄破り」「イルクーツク物語」「さぶ」で共演した。
    私生活でも交流が続き、島原にも何回か遊びに来てくれた。
    蓄積疲労によるクモ膜下出血だった。
    「甲子園(あだな)、安らかに眠ってくれ。俺はお前の分も頑張って生きる。あの世でまた大いに語り合おう。」と仏前に心で語りかけた刹那、くしくも涙がこぼれた。
    岐阜から新幹線で一旦東京に戻り、飛行機で長崎へ。
    島原に車で着いたのは午後9時半。
    「旅の重さ」はしばらくその余韻とともに続いている。

    その6 {松本}

    2003.02.01 Saturday

    0
      松本に着いてすぐにホテルにチェックインし部屋の椅子に腰掛けた時、疲れがドッと出てきた。
      今日ゆっくり休まないと明日、明後日は大変だ。
      夕方7時ごろホテルを出て雪の積もった松本の街をブラブラしながら夕食をする場所を探した。
      通りから何軒かの店を覗くが納得できない。
      10分ぐらい歩いていると「木庵(もくあん)」という気になる店が見つかって入った。
      大正解だった。
      松本における最初で恐らく最後の晩餐をするにはもってこいの店で「明治・大正ロマン 民藝酒処・味処」と書いてある。
      内装も半端ではなく雑誌「サライ」に出てきそうなセンスのいい民藝アンティーク調の店で、松本でしか呑めない酒と「木庵」お薦めの単品料理をいくつか注文して、女優・奈良岡朋子みたいな着物姿の女将にカウンター越しに松本のいろんな話を聞きながら食事をし午後9時半にホテルに帰る。
      明日はいよいよ目的の「マンマ・ミーア」に行き、経営者・増田龍美氏に会う予定だ。
      松本の朝は昨日よりもっと深い雪国になっていた。
      午後から愛知県一宮に移動する予定であるがJRの電車はちゃんと出るのか不安になりホテルカウンターの従業員に尋ねてみた。
      答えは少し悲観的なもので、積雪の量によっては全面不通のこともあったという。
      JR窓口に尋ねるのが一番良いと言うアドバイスをもらい松本駅に直行、名古屋行き「特急・信濃18号」午後2時36分発の指定席乗車券を買い、駅員に状況を尋ねると大丈夫だろうという答えで一安心。
      午前10時開店の「マンマ・ミーア」に積雪の中を徒歩で向う。
      雪は相変わらず深々と降っている。
      歩く途中の商店街の人達は店前の雪かきに必死だ。
      ホテルから借りた傘をさしながら35分かけてやっと「マンマ・ミーア」に到着。
      ここも女性従業員2名が雪かきに励んでいた。
      店内に入ると別世界で入り口を中心にフロアの半分が洒落たレストラン、あとの半分がセンスの良い小物雑貨類で満たされていた。
      添付写真は駅前から伸びる旧商店街で土蔵造りの白壁が続く。
      増田さんはこの通りに江戸時代から続いてきた金物店の奥さんだった。
      街並み保存に頑張っておられたご主人を数年前に亡くされた後、一念発起して商店街から離れた道路沿いに「マンマ・ミーア」を立地移転し、業態変化に取り組んだ結果、成功を収められた。
      同じ金物屋の主人としては複雑な心境だ。

      その5 {新潟}

      2003.01.31 Friday

      0
        T氏は「ダスキン」の代理店を経営しており代表取締役・社長。
        学生時代の劇団の3年先輩である。
        小生が1年生の時、T氏は4年生でよくかわいがってもらった。
        当時12月の本公演は宮澤賢治原作、広渡常敏脚色「グスコーブドリの伝記」だった。
        T氏は主人公・ブドリの恩師・クーボー博士の役で一番重要な部分を演じた。
        バリトンの野太く優しい声で、超難関の文学座・俳優部門に受かったが結局「ダスキン」東京本社に就職した。
        文学座に進んでいたら今頃は日本演劇界の中堅を担う俳優であったろう。
        京都でのOB会以来だから10年ぶりの再会だった。
        相変わらず優しく素敵なナイスミドルで少し頭頂部が薄くなっている以外は昔のままの「兄貴」的存在だった。
        T氏ご夫妻と夕食をして二人でスナックに行き夜中の1時近くまで交友を深めた。
        翌日は長野県松本市まで移動するだけだから午前中は新潟の観光案内をしましょうと言われ、恐縮したが、甘える事にした。
        雪国である新潟の車道は道路中央に湧水の融雪装置が設置してあり雪が積もっても大丈夫である。
        まず弥彦神社にお参りに行き、日本海を観に車を走らせた。
        その後、国上寺と良寛和尚が20年間住んだ五分庵に雪道を掻き分けて行った。
        感動した。
        午後1時18分燕三条駅発・上越新幹線で長岡まで行き、特急「北越6号」に乗り換えて日本海を右手に見ながら直江津へ、そこから各駅停車の鈍行列車で長野まで行き「特急信濃28号」で松本をめざす。
        松本駅に着いたのは夕方5時34分。
        これまた白銀の世界だ。
        後から聞いた話だが、その日の午前中は雪一つ降っても積もってもおらず、午後から降り始め夕方には銀世界になっていたという。
        南国・九州の田舎育ちにとって、白銀の世界はどんなに歳をとっても憧れの世界だ。
        添付写真は当店のトイレに置いている良寛の詩・「丁度よい」

        その4 {新潟}

        2003.01.30 Thursday

        0
          越後湯沢駅に着く直前、長いトンネルを抜けると突然銀世界が広がった。
          同時に車体にバシャバシャと何かが当たる音がし始めた。
          よく見るとレール脇に平行して融雪用のスプリンクラーが走っていて、その散水した水が新幹線の車体に小刻みに当たっている音だったのだ。
          しかもこのスプリンクラ−は新潟まで延々と続いている!?
          田中角栄も凄いことをしてくれたものだ。
          はるかに利用客が多く公共性が高い東海道新幹線でさえ関が原付近で積雪の為時々不通になる事があるのに、上越新幹線は絶対にない。
          片道8820円で「権力」の密の味を垣間見ることができた。
          燕三条駅で下車。
          卸問屋「三興」のT氏に電話をすると「5分でそちらに迎えに行けるが、三条市側で待っててくれ」と言うので最初は意味がわからず、しばらくしてその理由がわかった。
          新幹線の燕三条駅は燕市と三条駅の境界に作られた駅であり双方に駅の入り口を持っていたのだ。
          過去に新幹線駅の誘致合戦がありいろんなドロドロがあった末、収まるところに収まった事は想像に難くない。
          卸問屋「三興」の展示会はちょうど21日からだったので、社屋内の展示場を見せてもらった。
          「アイガー」ブランドで全国的に有名な卸屋であるが、展示場も凄かった。
          商品構成が半端じゃない。
          兵庫県三木市と張り合う金物産地だけあってこのような金物卸店がひしめき合っているという。
          各家庭の台所にあるステンレス製品はほとんど新潟で作られている。
          その後、もう一つの目的である「平成の天才鋏職人・瀬田甲一郎」氏に会いに行った。
          彼の書いた自叙伝的本は読んだことがあるが、小生が尊敬する人物のひとりで、瀬田氏の鋏類は当店の正面入り口付近に展示し販売している。
          彼は従来の「鋏」の切れる理論をくつがえし、「研磨」の理論、常識もひっくり返した人物でもある。
          瀬田氏は空手の師範でもあり、道場と工場と自宅が同じ建物になっていて、夫人と娘さんの3人家族で暮らしている。
          瀬田甲一郎氏と彼の作った鋏に関しては「逸品逸話」で紹介する予定だ。
          2時間ほどお話をし工場や鋏を研磨するところも見せてもらった。
          夕方5時に燕三条駅で学生時代の先輩・T氏と待ち合わせをしていたので瀬田ご夫妻に車で駅まで送ってもらった。
          添付写真は新潟から仕入れた旧ドイツ軍ヘルメットをかぶっておどける次女・小夏と長女・志乃。

          その3 {東京}

          2003.01.29 Wednesday

          0
            最初に仕掛けたのは俳優・N氏だった。
            Y氏に日本のサラリーマンの原罪みたいなことを説きながらいつの間にか彼を糾弾し始めた。
            まるで学生時代の劇団と同じだ。
            しばらく我慢していたY氏も次第に反論し始めた。
            なんでこうなるのかわからないまま小生も眠っていた昔の血が騒ぎ始めN氏の舞台やTVの演技に関する批判を始めていた。
            俗にいう「大人の世界」と違い、演劇に関わっているほとんどの人間は議論に「落としどころ」を作らない。
            相手に逃げ道を与えないのだ。
            徹底的に相手を論破し、時として相手の存在理由すら全面否定するという徹底ぶりだ。
            そもそも人前で自分の肉体をさらして自己主張をするという厚顔無恥の集まりが劇団である。(もちろん小生も同属なのだが)
            延々真夜中の2時までバトルは終わらず、結局桜上水のY氏のマンションにタクシーでたどり着いたのは3時近かった。
            早朝にはY氏は出勤、小生は新潟まで行かなくてはならない。
            翌朝7時40分にY氏とマンションを出て通勤電車(京王線)で新宿へ、彼は一つ前の駅で乗り換えの為別れを告げて降りていった。
            がんばれ!!日本のサラリーマン!
            新宿駅で新潟(上越新幹線)までの切符を買い中央線に乗ったがなんと通勤ラッシュに遭遇。
            「すし詰め」状態に駆け込み乗車、それをまた駅員が押し込むから小生はパニック寸前だった。
            電車のドアがたわみ窓ガラスがきしむ。
            後から聞いたが窓ガラスが割れたり、骨折者が時々出るらしい(!?)
            そうまでしなくてはいけない経済大国・日本。
            東京駅から上越新幹線に乗り込み一息つく。
            二階建ての新幹線は初めてで少しワクワクしたが指定席は一階だった。
            生まれて初めての新潟までわずか2時間で着く。

            その2 {東京}

            2003.01.28 Tuesday

            0
              20日、出発の朝五時半起床、異常に眠たい。
              いつもの事だがなぜか旅行の前日ぐらいから億劫になり憂鬱になる。
              中学、高校の頃、剣道、陸上(短距離)の試合の前あるいは学生劇団の公演直前の精神状態と同じだ。
              もちろんそれらのブルー(憂鬱)はスタートした瞬間に消える。
              6時50分に車で島原を出発。
              大村の長崎空港に到着したのは8時20分、チェックインして慌てて空港売店で土産(辛子明太子)を買い8時45分発東京行きの飛行機に乗り込む。
              10時10分羽田に到着、携帯電話の電源を入れた瞬間に電話が鳴り島原から業務連絡、勘弁して欲しい。
              10数分間島原のあちこちに電話をかけまくる。
              月曜日だから仕方がない。
              モノレールで浜松町へ移動。
              JR山手線で新宿へ。
              学生劇団の頃の同級生Y氏とは夕方7時に渋谷で待ち合わせだからそれまでは自由時間だ。
              3年ぶりの新宿はさほど変わった様子もなく紀伊国屋書店を起点におのぼりさんらしく「有名」な店をチェックして廻った。
              日本橋の台所用品店街を廻るべきだったとか、本当は「ジブリ美術館」に行きたかったとか未練を残しながら、なぜか以前から気になっていた代官山へ。
              代官山の駅周辺しか廻れなかったが、ヨーロッパと近未来が合体したハイセンスな街という感じだった。
              3年前に行った下北沢の街の方がドキドキして面白かった。
              2〜3軒気になる店もあったが時間がなかったので渋谷の東急ハンズへ。
              大阪や東京に行った時は絶対に東急ハンズに寄るようにしている。
              消費者の動向が手にとるようにわかるし、販売戦略も面白い。
              東京近辺から金物屋が消えたはずだ。
              道具類などの専門品のコーナーには元・金物店の亭主と思われる年配の渋い店員がいて客の質問に有り余るほどの商品知識を元に懇切丁寧に対応していた。
              我々地方の金物屋も同じ運命を辿るのは時間の問題だ。
              渋谷駅でY氏と3年ぶりに再会し、田園都市線で先輩N氏の待つ三軒茶屋へ。
              Y氏は昨年、民事再生法の適用を受けたゼネコン「大日本土木」の経理課長で今年3月に退社する予定だ。 
              先輩N氏は元・劇団「東京演劇アンサンブル」の俳優で時々TVドラマにも出ていた。 
              4月から再就職が決まっているY氏と毎年、ポーランドやルーマニアにシェイクスピアの芝居を公演しに出かけているフリーの俳優・N氏と島原からのこのこ出てきた金物屋の3人は居酒屋のお酒に酔い始めとんでもない口論を始めた。

              その1

              2003.01.27 Monday

              0
                無事に帰ってまいりました。
                4泊5日の強行軍。
                とにかく疲れました。
                時間と空間を無視して乗り継いだ交通手段だけ順に書いてみると、自動車>ANA旅客機>モノレール>電車>電車>電車>電車>電車>タクシー>電車>電車>新幹線>自動車>自動車>自動車>自動車>タクシー>自動車>新幹線>電車>電車>電車>電車>電車>自動車>自動車>新幹線>新幹線>電車>モノレール>ANA旅客機>自動車・・・・・・なんと、31回でした。
                空間だけ順に書いてみると島原>大村>羽田>浜松町>新宿>渋谷>代官山>渋谷>三軒茶屋>桜上水>新宿>東京駅>新潟(三条)>新潟(吉田町)>新潟(弥彦)>新潟(三条)>長岡>直江津>長野>松本>名古屋>木曽川>一宮>大垣(岐阜)>名古屋>東京駅>浜松町>羽田>大村>島原・・・・・・・忙しい旅でした。
                平均睡眠時間4時間50分。
                逢った人19名。
                歩いた距離・・・・?
                なぜ今の時期に行かなくてはならなかったかと言えば、4月からの「店の変革」のためでした。
                せっかく出たのだから足を延ばして亡くなった親友のご仏前にお参りにと言う事で移動距離がすごく長くなってしまったのでした。
                多くの先輩や友人に随分お世話になりました。
                いろいろ考えさせられました。
                今後どのように生きていったらいいのか参考にもなりました。
                この続きは次回書きます。
                1