その3

2003.03.25 Tuesday

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    沖縄の嘉納昌吉の有名な曲「花」の歌詞を井上龍一郎氏が描くと・・・・・
    添付写真の「花」はまさしく自然の中の「花」という感じで沖縄の音楽が聞こえてきそうな踊りたくなるような楽しい「花」だ。
    福岡の小学校教諭である井上龍一郎氏は文部科学省(旧・文部省)などの役人や学者の作った既存の「教育」に従わない。
    彼の中ではまず「子供ありき」なのだ。
    教育の現場では主人公は教員ではなく(もちろん教育委員会でもなく)、可能性と個性を秘めるすべての「子供達」に尽きるのだ。
    思えば小生も学生になった時、初めて文部省に騙されていたことに気づき呆然となった記憶がある。
    あらかじめ用意され決められた「解答」をより早くより正確に出す人間が「優秀」だと言われ18年間も教育ではなく「調教」を受けてきたわけだ。(パブロフの犬の実験で有名な「条件反射」を複雑にしただけだ)
    戦後、日本政府は欧米先進国に追いつく為に「農業」を捨て、「工業」立国を目指した。
    非常に危険な「農工間の不均等発展」を推進する為には官学民産が協力して「工業地帯」が集中する都会に地方の若者を集めなくてはならなかった。
    その手段、道具として受験競争を絡ませた「教育」が利用されたのだ。
    しかし学歴社会の神話は崩壊した。
    自分の頭で考え自分で答えを出すことや「なぜ?」という疑問は不要だ。
    そんな事をしようものなら「はみ出し者」「問題児」としてレッテルを貼られ黒柳徹子の「窓際のトットちゃん」や少年時代のエジソンみたいに「学校に来なくていい」と教員から言われるのだから。
    ところが大学は何を勉強してもいいしどんな答えを出してもいい、むしろ既存の答えは要らないときた。
    既に学問に対する好奇心なんてなくなっていたしもともと頭も良い方ではなかったから根っからの勉強嫌いで通っていた。
    で「経済学部」に在籍しながら「演劇」の世界にのめり込んでいったのだ。
    今思えば日本のくだらない「教育」に感謝している。
    「勉強嫌い」にしてくれてありがとう!!だ。
    井上先生はすべての子供の秘められた可能性と個性を最後まで諦めず、また自分の力で開花するまで辛抱強く待ちつづける人なのだ。
    「泣きなさい 笑いなさい  いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ」

    その2

    2003.03.24 Monday

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      前回の二人展に間に合わずに観れなかった「普賢菩薩」人形がやっと今回登場した(添付写真)。
      悦楽の白象の上に半跏(はんか)し、知恵と慈愛に満ちた優しい表情の普賢菩薩。
      見事な形と色彩のバランス。
      創作人形師・本田宗也氏の制作風景を見た事はないが、彼の魂の深い部分からイメージが湧き出てくるまでの苦悩の時間は長いはずだ。
      作品展会場で観客がいない時はノートを取り出し湧いてくる次の作品のイメージをデッサンしているシーンを何度か見たことがある。
      小生が会場に行くと恥かしそうにさっとノートを閉じる本田氏。
      人を押しのけて生きている人達とは全く逆で、人間関係においても自分の事は二の次三の次で常に相手の事を優先して考えている人だ。
      以前コラムでも本田氏の人となりを紹介したが彼の崇高な魂がそっくりそのまま作品に現われていると思う。
      話は変わるが雲仙普賢岳の「普賢岳」と命名したのは西暦七百年代に島原半島を訪れた行基(ぎょうき)和尚である事はあまり知られていない。
      船で熊本に向う途中に島原を振り返りその美しい山を観て「まるで普賢菩薩のようだ」と言った時からその山は「普賢山」になった。
      本田氏は島原の速魚川ギャラリーでの作品展を意識して「普賢菩薩」人形の制作を思い立ったという。
      このHPのギャラリーコーナーに紹介している本田氏の「龍頭観音(りゅうずかんのん)」も速魚川秘話「青龍の掛け軸に関する覚書」がきっかけになっているという。
      知恵と慈愛の象徴である普賢菩薩の名前をもらった雲仙普賢岳が約200年ごとに噴火する。
      我々人間に対して普賢岳は何を言おうとしているのか?
      もちろんすべては自然現象なのだろうが、それらをどう捉えどう生かすかは我々人間側の心の中にあるような気がする。

      その1

      2003.03.23 Sunday

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        もう三回目になるのか・・・と感慨もひとしお。
        福岡の人形作家・本田宗也(としや)氏の創作人形展「UTAGE(うたげ)展」をして既に4年目になる。
        本田氏が友人・井上龍一郎氏を連れて来られ「二人展」になっていろんな出会いがまた増えた。
        福岡市六本松にある有名なスナック「マッドハウス・ひろ」が二人の出逢った原点でこのスナックを起点にして多くの面白い「博多ん者」のネットワークが拡がっていったのだ。
        今回の本田氏の「人形」と井上氏の「書」はそれぞれ方向は違うがまた大きく進化をとげているような気がする。
        本田氏はより静かで深い独自の造詣の世界に足を踏み入れようとしているし、井上氏はどんどん「型」がはずれより自由な{爆発}の世界に向おうとしているようだ。
        添付写真は井上龍一郎氏による幅数メートルの紙に書かれた作品展の看板。
        速魚川の流れの真上に本田氏と二人で脚立を使って設置したが、横なぶりの雨に遭えばにじんで流れていく運命だ。
        でも森岳の春爛漫市の三日間は雨が降らずに無事だった。
        見事に役目を果たした事になる。
        今月の31日まで二人展は続く。
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