「二人展 ・風 Part 2」その6

2004.09.19 Sunday

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    本日は「二人展」の中日である。     同時に、小生の50回目の誕生日だ(!?)。

     ちょうど50年前に、この家で生まれた。    当時は産婦人科の病院があまりなく、お産はもっぱら自宅で、産婆さんが赤ちゃんを取り上げていた。     二歳上の姉も、七歳年下の弟も、この家で生まれた。     今は当店の駐車場になっているが、一番端の敷地に当店の借家があり、そこに宮本さんという産婆さんが住んでいた。     その人に取り上げてもらったという。

     50歳・・・・・「人生50年」と昔は言っていたらしいが、あっという間で、何の悟りも、天命も知ることもなく、ただボ〜と生きてきただけである。     父も叔父も50歳で亡くなったが、現在の自分は、当時の彼らには到底及びもしない。     という事は、まだ生きて、人のためや、自分自身の自己完結に向けて修行しなさい・・・・と天が言っていると解釈すべきなのか?・・・・

     「二人展」の中日祭として、バーベキューパーティーを駐車場ですることになった。    ドサクサに紛れて、一緒に小生の誕生日もしてもらった。     市内や福岡、時津、長崎、佐世保など遠くからも集まってくれて、50人弱の大宴会になった。

    誕生日祝いなんかしてもらったことのない小生は、偶然にしても、これが最初で最後の誕生日祝いということを、本能的に悟り、感極まったのだった。    事前に小生の誕生日を聞かされていた人達から、心のこもった身に余るプレゼントを頂いた。     この場を借りて皆さんにお礼を言いたいと思う。     ありがとうございました!!!     そして、参加してくれた多くの皆さん、ありがとうございました。  大変お疲れ様でした。

     二人展は盛況を極めた。    手作りのフェルトと帽子・・・・島原では初めてのジャンルである。    観客は少し戸惑ったかも知れないが、本物を楽しんでいただいたと思う。

     添付写真は、地元ケーブルTV局・「島原ケーブルテレビ(通称:カボチャテレビ)」の佐藤栄里子氏。     彼女が一番お気に入りの帽子を被ってもらった。    素敵なデザインとシックな赤は、彼女のくっきりした目鼻立ちにしっかりフィットしている。      今回、佐藤氏には全面的に協力してもらった。      カボチャテレビの掲示板に予告文を掲載していただき、おまけに作品展直前の合間を縫って、作品を収録してテレビに作品展の紹介をしてくれた。     ありがとうございました。

    「二人展 ・風 Part 2」その5

    2004.09.18 Saturday

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      いよいよ本日から3日間、「二人展・風 Part2」が開催かれる。     昨夜9時半に、松井氏と小城原氏のご両人が福岡から到着した。     超多忙なお二人だが、なんとか福岡を夕方6時過ぎには出発できたみたいだ。

       10時ごろに搬入を終え、4名で晩御飯を食べに行った。    11時半頃、帰って来てそれから二人は黙々と会場設営にかかった。     小生は12時半頃寝たが、松井氏は2時半頃まで会場で準備をしていたそうだ。    前日は徹夜だったそうで、やはり超人”ひかり”だ。

       添付写真は、今朝の開場直前の風景。     松井氏も小城原氏も最後の仕上げに余念がない。     「間に合うとやろか?・・・・」という心配をよそに、楽しく歓談しながら作業をしていたが、開場時間の10時にはちゃんと完成していた。    プロとはこういうものだ。
        

      「二人展 ・風 Part 2」その4

      2004.09.13 Monday

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        本日のコラムは、ちょうど400回目になる。    いや〜・・・よく続いたものだ。

         いろんな人たちの協力で、いろんな情報を提供してもらい、そのお陰で続いてきたのだ。   「逸品逸話」や「what is this ?」、「人」など、本来のコラムのテーマがなおざりになっている傾向はあるが、脱線も真なり、で楽しむ事を優先して、今後もいい加減に気まぐれに書いていきたいと思っている。

         世の中が、次第にいびつになりつつあり、政治や社会にも言及したいことが山ほどあるが、このコラムでは極力押さえるようにしている。    毎日、新聞やテレビのニュースを見ながら、ネガティブになっている時の、一服の清涼剤みたいなコラムであったらなあ、と思う。

         素敵な事や素晴らしい人は、身の回りにまだたくさん存在する。    どんどん紹介したい。

         添付写真は、松井氏によるフェルトのブローチ。     ウール(羊毛)の染色を微妙に変えることで、いろんな表現が可能になる。

        「二人展 ・風 Part 2」その3

        2004.09.12 Sunday

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          松井ひかり氏は、実家の料理屋が終了した真夜中(丑三つ時にかにて・・・)に、厨房に現われ、一人で黙々と羊毛や布地の染色をしているそうだ。

           従って、染色家でもある。    それぞれの美しい色に染めあがった羊毛を手でちぎりながら配置していく・・・・不思議な色と形が出来上がっていく・・・・色と色との境界がぼんやり優しく溶け合って、まるで印象派の絵画のように懐かしい温かさに包まれる。

           と、ここまでは静かな創作の世界なのだが、そのフェルトに洗剤を吹き付けた後は、板に向って思いっきり叩きつける作業が始まる。    日頃のウップンを晴らすように、何度も何度も叩きつける。    滴り落ちる汗・・・・相当な肉体労働だ。     その間に羊毛たちはお互いの繊維をしっかりつなぎ合って強固なフェルトに変身していく。

          「二人展 ・風 Part 2」その2

          2004.09.10 Friday

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            先日、小城原育子氏から、「今度の作品展で使う桜の枝を先に送りますので、どこかに保管しておいていただけますか?」と電話があった。    桜ですよ。   自然木です。   恐らく、桜の枝に、いろんな素敵な帽子が掛けられるのだろう。    この仕掛け(演出)だけでもドキドキする。 

             添付写真は、今度の作品展で展示される帽子のひとつである。    「帽子は頭の一部なのです」と笑顔で語る小城原氏。     映画「俺達に明日はない」のクライドを見事に演じたハリウッド女優フェイ・ダナウェイのベレー帽姿は今も目に焼き付いている。     エレガントでセクシーで知的な雰囲気を、帽子で見事に完成させている。     それほど、帽子というのは大きな要素なのだ。

            添付写真のエレガントな帽子は、「ファーべロワ」というウールの生地でできている。   飾りの羽根の部分は取り外せて、帽子だけでもかぶれるようになっており、一応正面はあるのだが(写真が正面)、360度、どの方向からかぶっても、それぞれが表情を持つようにデザインされている。  ・・・・・シックだ。

            「二人展 ・風 Part 2」その1

            2004.09.06 Monday

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              以前、コラムで紹介したハンドメイドフェルト作家(正式には「フェルト&テキスタイルアーティスト」)の松井ひかり氏と創作帽子作家(正式には「服飾&帽子デザイナー」)の小城原育子氏の【二人展・風 Part2】が、9月の18日(土)、19日(日)、20日(月・敬老の日)の三日間、速魚川ギャラリーで開催される。

               松井ひかり氏と我が家は、家族ぐるみの付き合いをしており、「ひかりちゃん」、「ひかり姉ちゃん」と呼んでいる。    志乃と小夏は8月のお盆の3日間、松井氏の実家(大宰府の「割烹まつい」)にお世話になり、料理人であるお父さんの作るご馳走を腹いっぱい堪能し、散々いい思いをして帰って来た。

               その松井氏が、小城原育子氏を連れて当店に紹介したのが今年の春だった。    二人とも、すごいエネルギーを持った「スーパー・ウーマン」である。     その時、見せてもらった小城原氏の帽子は、小生みたいな中年のオジさんでも溜息が出るほどの美しさだった。

               二人のプロフィールを簡単に紹介しておく。

               【松井ひかり】・・・・・フェルト&テキスタイルアーティスト。    福岡市生まれ。  2000年に自己ブランド「WOOLBABY(ウールベビー)」を立ち上げ、デパート、ブティック、ギャラリーなどで作品を発表する。     ハマナカ(株)フェルト羊毛の企画・製作に携わる。     福岡の手芸店・カルチャーセンター・福岡県・市の施設などで多くの生徒にハンドメイドフェルトを教えている。     親しみやすい作品や講習で人気を博している。

               【小城原育子】・・・・・服飾&帽子デザイナー。     福岡市生まれ。    短大被服科卒業後、アパレルメーカー勤務。    1993年に独立し現在に至る。    1992年よりベルモード(アカデミー・デ・シャポー)入門、帽子製作開始。     数々の個展をこなし、センスの高い製品と縫製技術で人気を博している。 (期間中、生地の持ち込みによる帽子のオーダーも可能だ。  ¥20000〜  )

               添付写真は、松井氏が彼女の広い人的ネットワークの中の友人(デザイナー)に作ってもらったチラシである。     やっぱりプロです。    いい仕事してますね。   こんな豪華なチラシは、速魚川ギャラリー始まって以来であります。(2001年のハンドメイドナイフ作家4人展の川村龍市氏が制作したチラシと拮抗してます)

               チラシに書かれているメッセージは・・・・

               「  茶房・速魚川に吹き抜ける風を感じながら
                       作品に新しい息吹きを吹きかけるように創作した作品達・・・・・・

                   島原の自然にふれ2人の作家が作り出したもの・・・・・         

                  どんな出逢いが待っているかあなたが手に取った時に感じる・・・ 
                              そんな作品を通して人の心を伝えたい  

                       あなたはこの風になにを感じられるでしょうか?        」

              2004.03.31 Wednesday

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                黒澤明監督の映画「生きる」で、主人公役の志村喬がブランコで揺られながら歌っていたのがこの曲だった。
                「 いのちみじかし 恋せよ乙女  熱き血潮が うせぬまに 」
                ガン宣告などで余命を知らされた時、人の行動はどう変わるのだろうか?・・・・平均寿命から自分の年齢を差し引いた年数が、自分の残りの人生と考えるのが普通だが、50歳の男性だったら、あと20数年間が残された時間になる。
                52歳のT氏は「子供達も成人したので、親の義務も果たしました。来年は公務員を退職し、アフガニスタンの田舎の方に行き、ボランティアで井戸掘りをします。まだ身体が動くうちに、人のために働きたいのです。」と打ち明けた。
                ビックリしたが、T氏らしいと納得した。
                今までだって、彼は充分、人のために働いてきた。
                いや、人の何十倍も、多くの人間のためにがんばってきた。
                どれだけ多くの人たちが彼に救われ勇気づけられて来たことだろう。
                普通だったら公務員の既得権で、老後は悠々自適の生活が保障されているはずなのに、彼はそれを拒否した。
                答えは、映画「生きる」やこの曲にあるような気がする。
                映画「ラスト・サムライ」ではないが、自己完結をどうするか?いかに死ぬか?をそろそろ考えなくてはならない年齢になったのだろうか?
                いかに死ぬか?という命題は、いかに生きるかという切実さの中にしか存在しない。その逆も然り。
                T氏はまさに、サムライである。(アフガニスタンで、例えば「アルカイダ」に入ったりするのは自由だが、地雷だけは踏まないように祈るしかない。)
                添付写真は、井上氏の屏風と関泰子氏の歌集「鳥が歌いはじめる朝に」である。
                彼女の歌集の中から、小生の好きな歌をいくつか、以下に紹介する。

                  「 壮年となりたる君のたてがみの傷みに触れつ野の雨となり 」

                  「 ひったりと寄り添う影も輪の中に後ろの正面終わらぬ戦後 」

                  「 湖に月の光のたゆたいて魚は誰のたましい食べる 」

                  「 変わること変わりえぬこと変えぬこと ことことことと黒豆を煮る 」

                  「 クリスタルの花瓶に薔薇の花あふれ亡き人に会う窓ひとつ欲し 」

                  「 貧しかりし日の待ち合わせわれは傘を君はランボーの詩集携え 」

                  「 人間はあるいはやさしき生き物かもしや言葉を皆持たざれば 」

                  「 これ以上の武器はいらない二〇〇一年鳥が歌いはじめる朝に 」

                  「 文明は原始社会に及ばぬか怒涛のような闇押し寄せる 」

                  「 思い立つ四十半ばの衣更え 歓びの箱 哀しみの箱 」

                  「 戦いに敗れた国とまた思う大国にいよよ擦り寄りてゆく日本 」

                  「 思いがけず疲れてしまった君がいて私は君に何ができよう 」

                  「 私をわかったように言わないで夏の陽さらさらこぼれる中を 」

                  「 言い訳をする私の唇をふさいでくれたらそれでいいのに 」

                  「 爪染むる楽しき仕事 土筆の袴取り 蕗の皮剥き 」

                  「 白蟻の巣くう列島の洞ふかし言葉に何の力があろう 」

                2004.03.30 Tuesday

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                  添付写真は「高砂(たかさご)」である。
                  翁(おきな)と嫗(おうな・媼)の穏やかな表情には、本田氏の「老い方」に対する理想が込められているような気がする。
                  老醜(ろうしゅう)という言葉があるが、自己本位の欲望のままに生き、感性と知性を磨かないで年老いると、確かに肉体的な老いだけがおとずれ、文字通り老醜をさらす事になるのだろう。
                  逆に、程よく我欲を制し、自然のまま謙虚に心静かに精進して生きれば、美しく老いることもできると思う。
                  人の心の奥底まで覗くことは出来ないが、魂の状態はどうしても言動に出てくるし、「40代を過ぎると自分の顔に責任を持たなくてはならない」と昔から言われているように、いくら隠そうとしても、表情や目にその人の魂が表れてしまうようだ。
                  学生時代に、今はなくなった京都の市電に乗っている時、ふと乗客の一人に目が止まった。
                  清楚な着物姿の70代位の女性だったが、生まれて初めて女性の本当の美しさを見たような気がした。
                  白くなった髪を後ろに結い、穏やかな表情ながら毅然と正面を見て座っておられた。
                  よそ行きの派手な着物ではなく、普段着としての質素な着物だったが、着こなしがさりげなく粋で、見事なまでに自然なので、一幅の絵を観ているような錯覚と軽いめまいをおぼえたのだった。
                  今思えば、その嫗(おうな)は女優でも作家でもなく、市井(しせい)の普通の女性だったはずだ。
                  彼女がどのような人生を歩んできて、どのような生活をされていたのかわからないが、青年の美的感性を一撃でKOしてしまう「美しい老い」を自然に身に付けた女性が、さりげなく市電に乗っているところに、古都・京都の凄さを感じてしまうのだ。
                  どうせ小生なんて、あと20年後はボケてしまい、ご飯を食べた直後に「まだ飯ば食べちょらん!」と大騒ぎするか、若い女性看護士のお尻を触っては問題を起こす色ボケなどになり、家族から「早く死ねばいいのに・・・」とヒンシュクを買い、老醜をさらすのが関の山だろう。
                  どんな人間にも「老い」はやってくる。
                  いかに美しく老いるかは、いかに生きるかで決まってくるだろう。
                  この「高砂」の老夫婦はどんな生き方をしてきたのだろうか?
                  やっぱり若い頃は、多くの煩悩に苛まされたり夫婦喧嘩などもしてきたのだろうか?・・・・

                  2004.03.29 Monday

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                    「 悲しみを ともに悲しんでくれる人  紫陽花の藍(あい) しずまりている 」
                    昨日のコラムの写真と一対になる作品である。
                    二つは書体がまったく異なっている。悲しみが深々とにじみ出ている。
                    この歌に込めた関泰子氏の想いと、それにシンクロした井上氏の力が伝わってくるようだ。
                    紫陽花(あじさい)には青春の思い出がある。
                    十代の頃、紫陽花の咲く季節に失恋した。梅雨だったので毎日雨が降っていた。
                    雨の中で咲き乱れる紫陽花の花をしみじみと眺めていると、紫陽花の花言葉は「心変わり」だと友人が教えてくれた。
                    ちょうどその頃、別役実の舞台「スパイ物語」の劇中歌・「雨が空から降れば」を、フォークシンガーの六文銭や吉田拓郎が歌い、流行っていた。
                    下宿の部屋で下手なギターを弾きながら、この曲をよく歌っていた。
                    窓の外はきまって雨だった。紫陽花=心がわり=女心=雨=「雨が空から降れば」という式が完全に自分の頭の中に出来上がってしまった。     惨めな青春の日々・・・・

                       { 雨が空から降れば }  作詞:別役実  作曲:小室等

                    「 雨が空から降れば 想い出は地面にしみこむ  雨がシトシト降れば 想い出はシトシトにじむ    黒いこうもり傘をさして まちを歩けば  あのまちは雨の中 このまちも雨の中  電信柱もポストもフルサトも雨の中  しょうがない 雨の日はしょうがない 公園のベンチでひとり お魚を釣れば お魚もまた雨の中  しょうがない 雨の日はしょうがない・・・・」
                     
                    50近くなっても、この歌詞は忘れない。しかし、いつの頃からか、紫陽花の花も雨の日も好きになっていた。

                    2004.03.28 Sunday

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                      「 喜びを ともに喜んでくれる人   楓(かえで)若葉は やわらかく揺れ 」
                      井上氏は、福岡の幼馴染である友人の奥様で、歌人の関泰子氏の短歌を書にしている。
                      本日、その関夫妻が井上氏に逢いに、わざわざ福岡から来られた。
                      バタバタしてほとんど話も出来なかったが、素敵なご夫妻だった。
                      関泰子氏の歌集「鳥が歌いはじめる朝に」は、ながらみ書房から2500円(税別)で出版されている。
                      パラパラと読ませてもらったが、それぞれの鮮烈な歌に胸がキュンとなり、久しぶりに切なくなってしまった。
                      時代をしっかり捉えられているから、与謝野晶子を彷彿とさせる迫力もある。
                      会場にも数冊置いてあるので是非お薦めしたい。
                      関泰子氏は、栃木県出身で学生時代は演劇を専攻し、芝居をされていた。
                      「紅テント黒テント早稲田小劇場 蜃気楼のような時代があった」という歌もある。
                      井上氏の話では寺山修二の劇団「天井桟敷(さじき)」に所属された時代もあったらしい。
                      井上氏は和紙の上下に乳(ち)をつけて、桜の枝を通すという演出をしている。なんだかホッとする雰囲気だ。
                      いろんな仕掛けを常日頃考えているらしい。あなどれない人だ。