「 花であること 石原吉郎 」その3

2004.08.12 Thursday

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    ポリカーボネイト樹脂製の透明な平板(1m×2m×厚さ2mm)が届き、あとはカッターでサイズ通りに切断して、額装し、強力な両面テープで壁に貼り付けるだけである。

    「お盆前が良いと思う。   今日も数名のお客が、中庭や蕎麦を写メール(カメラ付き携帯電話)でしきりに撮っていたよ。」と、知明が言った。     井上先生に書いてもらった「花であること」の紙の小さなしわが気になっていたが、表装屋に頼んで、しわを伸ばしてもらっていたら間に合わない。     

     しかし、店が少々バタバタしていて、昼間はできない。     おまけに、この猛暑だ。  ギャラリーの二階の座敷なんて、35度以上の室温だ。     「よっしゃ!  やるぞ!」と決心するまでに、半日かかった。    優柔不断だが、決めたら短気だ。

     と言っても、2mmの樹脂をハンドカッターで切断するのは、簡単なことではなかった。    もし失敗したら、1万円がパーだ。     失敗は許されない。     切断する線を用心深く書き込み、金尺(かなじゃく)を当てて、何度も同じ線に沿ってカッターを入れ、少しずつ切っていく。    下敷きにはゴムの平板をあてがい、そのゴムの面までカッターが貫通するまで、かなりの回数が必要だった。     

     額や身体から汗が吹き出る。    ヒーヒー言って、やっと切断が終わり、樹脂板の両面に貼ってある保護シールをはがし、額に落とし込み、その上から「花であること」を広げてのせ、裏板になるベニヤ板をかぶせて、いよいよ額に取り付けた。     その後、布製のガムテープでベニヤ板の周辺を密閉するように、額に固定し、最後に強力両面テープを上下左右の周辺に貼って完成。     完成した額を抱えてみると、かなりの重量だ。

     それを知明と二人で、取り付け場所まで運び、取り付ける位置を確認した。    事前に測量して、取り付ける位置に紙テープを貼っていたので、後はスムーズな作業だ。    それでも、いざ、取り付け直前の両面テープのシールをはがした時に、緊張が走った。     もし、手元が狂って失敗したらどうしようか?・・・・・え〜い!、なるようになるか!

     見事に、位置が決まって、後は必死で壁に押し付けて接着を促した。     作業が終わり、額をゆすってみてもびくともしない。     これで、ほぼ半永久的に大丈夫だ。   
    黒い柱に囲まれた白い壁に、柿渋の額、中には「花であること」・・・・・自己満足の世界とは言え、なかなかの雰囲気だ。     さあ! どんどん写メールしてね!!   あるいは、心に刻んで帰ってね!!

     これで、自分の40代の【墓碑銘】が完成した。     あとは、50代に向って突き進むしかない。       苦しんで作品を書いてくれた井上先生、額を作ってくれた苑田さん、詩を書いてくれた今は亡き石原吉郎先生、こんなどうしようもない小生を支えてくれている皆さん・・・・本当に有難うございました。

    その2

    2004.07.23 Friday

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      「花であること」を額装するための準備が少しづつ進行している。
      自己満足を得るための、小生のささやかな楽しみである。
      木工所からヒノキ製の立派な額が届いたので、柿渋(かきしぶ)を塗る事にした。
      水性刷毛でまず一回塗り、様子を観た。色が薄すぎる。
      弁柄(ベンガラ)を混ぜるべきか迷ったが、「え〜い、ままよ!」と、乾燥するのを待って二回目を塗る。
      急に、色が出はじめた!!いい色だ。
      塗り重ね、日に当てることで、どんどん色が変化し始める。
      塗り始めた日に、偶然に、柿渋で絵を描いている諸田美和氏が当店を来訪。
      彼女に見せると、「どんどん色が沈んでいきますよ。
      1ヶ月もすると、すごく渋い色が出てきます。」と教えてくれた。
      以前コラムで紹介したが、柿渋は古来から、着色、染色、防腐、防虫、補強、撥水(はっすい:水をはじく)材として、木、和紙、布などに使用されてきた。
      まだ青い渋柿を破砕して自然発酵させ、数年間熟成させたものを柿渋というが、主成分のタンニンがそれらの効果を発揮している。
      染色の世界では、模様描きの型紙(和紙)に柿渋を塗る事で、数百年も使用に耐えるという。(!?)
      添付写真は、塗る前の額と塗った後の額。
      恐らく、柿渋のタンニンが空気中の酸素と結合して、色素変化が起こるものと思われる。
      さらに太陽の紫外線が”日焼け効果”を加えたのだろう。素敵な色だ。
      井上龍一郎先生が書いてくれた「花であること」の作品が、この額の色で益々輝きを増す事だろう。
      あとは、アクリル樹脂かポリカーボネイト樹脂の透明板(厚さ2ミリ)を、額のサイズにカットしてはめ込めば、準備はほぼ完了である。

      その1

      2004.07.06 Tuesday

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              花であること         石原吉郎

            花であることでしか
            拮抗できない外部というものが
            なければならぬ
            花におしかぶさる重みを
            花のかたちのまま
            おしかえす

            そのとき花であることは
            もはやひとつの宣言である

            ひとつの花でしか
            ありえぬ日々をこえて
            花でしかついにありえぬために
            花の周辺は的確にめざめ
            花の輪郭は
            鋼鉄のようでなければならぬ

        とうとう、待ちに待った作品が出来上がった。
        井上龍一郎先生が、福岡からわざわざその作品を持参してくれたのだ。
        1m37cm×70cmの大きな和紙(習字紙)に、5種類のそれぞれスタイルの異なる「花であること」が、したためられていた。
        つまり、井上先生は5枚の絵を描いてきてくれた事になる。
        四半世紀以上、心のどこかで引っかかっていた詩を、やっと形にすることができそうだ。
        井上先生や本田宗也氏との出逢いがなければ、実現しなかったかもしれない。心から感謝している。
        井上先生に書いていただいた「花であること」を額装して、当店に飾り、多くの人たちの心に刻んでもらいたい・・・という夢がやっと叶う。
        この詩の解釈はいろいろあるだろうが、小生はあえて解釈を求めようとは思わない。むしろ感覚的に捉えている。
        まるでお経みたいな不思議な感覚だ。読むたびに、なぜか心が洗われて元気が出てくるのだ。
        この詩を、解かりにくいと思う人は、詩の中の「花」の部分に、異なるいろんな単語を当てはめてみればよい。(もちろん、最後は「花」にたどりつくしかないのだが・・・・)
        添付写真は、速魚川の最上流、水が沸いている井戸の前の壁にかける予定の作品。
        当店に入って来なくても、眼に入る、心に落ちる仕掛けをするのだ。
        もう一作は、井上氏の書に、宮津詠子氏の花の絵が入ったコラボレーション作品を、茶房の土間の壁に掛ける予定である。
        宮津氏は「少し、時間をいただけますか?」と言っていたので、今年中に出来ないかもしれない。
        四半世紀以上待ったので、一、二年は大丈夫だ。待ちますよ。
        しかし、額は本日、発注してしまった。(このコラムを読んでいる宮津氏には、ちょっとプレッシャーかな?)
        その2に、完成した作品を添付する予定だ。
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