「王女メディア」その5

2009.02.22 Sunday

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    添付写真は、二人の子供の遺体と共に竜車に乗りアテネに向かおうとするメディア。
    地上に残され激怒する夫・イアソンに侮蔑と嘲りの台詞を吐く最後のシーンである。


       「えっ! なぜ自分の腹を痛めた子供たちを殺したって?」                              
       「それはあなたを苦しめるためよ、イアソン!!」



    このメディアの最後の台詞をどのように言うかで芝居全体のイメージが変わってくる。
    台本の文面通りだと、恨みを晴らすべくヒステリックに吐き捨てるように書かれている。

    演出グループは、ここでもっと恐ろしい事を考えた。  ズタズタになった夫・イアソンに対し、逆に優しく微笑みながらこの台詞を言わせたら、もっと女の残酷さが表現できるのではないか?  観客の、特に男性の背筋が凍りつくのではないか? ということになった。

    大衆のほとんどが文盲だった紀元前の時代、日本昔話と同じくギリシャ悲劇を大衆に観せることで、道徳観、禁忌などを伝えていたはずだ。  自分の欲に目がくらんで背徳の方向に進むとこのような結末になりますよ、という勧善懲悪の教訓を芝居で啓蒙していたのだ。

    しかし、「オイディプス王」と同様に、ナレーションにこそ、もっと深い人生哲学が込められているような気がする。  以下は、メディアが退場した後のナレーションである。


    オリンポスの頂きに住み給うゼウスの神は人の世の多くのことを司る。
    多くのことに神々は思いもかけない結末をわれら人間に与えるもの。
    こうなるだろうと思うことが、そうなることは決してなく、まさかそれはありえまいと思うことを成すのが神。  この物語もその通り。
    思いがけない結末を、こうして迎えることとなる。


    11月22日の公演が終了し、半月ほどしてメディアを演じたM女史が当店を訪れた。
    「初めての舞台を経験してどうでしたか?  何か自分の中で変化が起きましたか?」と訊ねると、「まだボーとして自分が何をしたのか実感が湧きません」と彼女は答えた。

    それから一週間ほどして、本番の舞台を撮影してくれたプロ写真家・松尾順造氏が、当日の舞台写真をプレゼントしてくれた。  今回のコラムに添付したメディアの舞台シーンはすべて松尾氏によるものだ。

    フラッシュも焚かずに、見事にメディアの表情が映し出されている。 プロの恐ろしさを実感した。  早速、M女史に連絡し松尾氏の写真を渡したらビックリした表情で「これ、私なんですよね・・・」と言ったきり言葉も出なかった。

    それから数日してM女史が来店し、「あの写真を何度も見ているうちに、初めて自分のした事が実感できました」と嬉しそうに呟いた。

    この戯曲を独り芝居に編集構成した高城二三男氏、素晴らしい音楽・効果音を作ってくれた島崎雄三氏、演出助手・舞台衣装・メイキャップを一手に引き受けてくれたS女史、初舞台を必死で演じてくれたM女史、司会をしてくれたA女史、記録映像の撮影に協力してくれた松下ひふ科の皆様、舞台写真を撮ってくれた松尾順造氏、観劇してくれた観客の皆様にこの場を借りてお礼を申し上げます。

            誠に有難うございました。
     

    「王女メディア」その4

    2009.02.21 Saturday

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      自分の腹を痛めた可愛い子供を短剣で刺し殺すシーン・・・虚構の世界とはいえ、女優は《真実の感情》を込めてすんなり演じれるものではない。

      案の定、M女史は何度やってもリアリティーが出ず苦しんだ。  普通の女性は夫の裏切りに遭うと、子供を連れて出て行くのが一般的だ。  時には夫に復讐する女性もいるだろうが、自分の子供を殺すという思考までにはなかなか繋がらない。

      ここで庶民ではなく一国の《王女》であったメディアの高い自尊心、プライドの存在が出てくる。 しかも、夫・イアソンよりはるかに高い身分としてのプライドである。

      この異常に高いプライドがぶち壊された時に生じる憤怒の力を借りないと、子供を殺せるものではない。  その解釈を演出としてM女史に繰り返し説明し、殺意が真実になるように誘導した。

      メディアの怒りが次第に迫力を帯びてきた。  M女史の中で何かが繋がり始めた。

      俳優が舞台上、あるいは映画などにおいて観客の心に残る存在感のある演技をした場合、よく《役を生きている》と表現する。

      優れた俳優というのは、与えられた役の人物像を、経験や観察および創造的な想像力などを駆使して完璧なまでに創りあげる。  《役作り》のためには妥協しない。

      それは外観だけではなく、その人物の履歴や性格、家族構成、価値観、嗜好などにいたる人間の要素のすべてが含まれる。  デッサンが精緻を極めれば極めるほど、その実在感が高まるように。

       

      「王女メディア」その3

      2009.02.20 Friday

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        メディア役を演じるM女史は保育士なので、子供に対する愛情は人一倍強い。  その彼女が、虚構の世界とはいえ、舞台上で自分の生んだ子供を殺さなくてはならない。

        リアリズム演劇の手法をとっているので「自分の子供を殺害する」にいたる感情の流れを正当化しなくてはならない。  台詞では、自分を裏切った夫に対する怒りと復讐から《夫の一番悲しむ事》つまり子供を殺す事でその目的を達成するため、となっている。

        しかし、自分の肉体を使って演じるとなるとそう簡単ではない。   台詞にそってどんなに《それらしい演技》をしても、観客はたちまち《嘘》の演技を見破ってしまい決して感動はしない。

        M女史は、わずか30分ほどの舞台でも、メディアになりきり、裏切った夫を本気、つまり真実の感情で憎まなくてはならない。  本気で憎むことでしか、愛する子供へ殺意を向ける事はできないからだ。  

        本気で憎むには、夫・イアソンのイメージを漠然とではなく具体的に克明にM女史の中で作らなくてはならない。  なぜなら人間の憎悪や愛情はその対象がより具体的になればなるほど強くなるからだ。

        俳優の基礎訓練も受けていない初心者のM女史は、演出の説明を唯一の命綱のように真剣に聞いた。  悲しみ、嫉妬、憎しみ、後悔、復讐、決心・・・30分の間に多くの苦悩する情念がメディアの内部で目まぐるしく葛藤する。

        M女史は繰り返される稽古の中で、メディアの内面に起こる感情を必死で模索していた。  その頃、当店に時々来店していた中学校教員で彫刻家・S女史が演出助手に入ってくれることになった。

        S女史は、演出のダメ出しを演出ノートに綿密に書き留めてM女史に渡す。  M女史は、そのダメ出しを元に次の稽古までに演技の修正をして来る。
         みんな忙しい社会人なので稽古日が少なく限定される事を思えば、S女史の登場で実に効率よく芝居作りが進行していった。
         


        「王女メディア」その2

        2009.02.19 Thursday

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          紀元前431年に古代アテネで初演されたギリシャ悲劇「王女メディア」の名前を知らない人はいないだろう。  古代ギリシャのエウリピデス作といわれ、現代の情報媒体「メディア」の語源になっている。

           物語の背景

          イオルコスの王子イアソンは、王位を簒奪(さんだつ)した叔父ペリアスに、王位返還の条件として、ギリシャからはるか遠く離れたコルキスにある黄金羊毛の奪取を命じられる。

          五〇余名の勇者を率いてアルゴー船でコルキスに渡ったイアソンは、彼を殺そうともくろむコルキス王に難業を命じられ途方にくれるが、コルキス王の娘メディアが薬草術を用いて遂行を手助けする。

          やはり彼女の協力で大蛇(ドラゴン)を倒し、目的の羊毛を入手したイアソンは、彼女を連れて帰国の途につく。その際、メディアは弟を八つ裂きにして肉片をまき散らし、父の追手が遺体収拾に手間取っている間に逃げ延びた。                                  

          ところがペリアスは、約束を守らず王位を譲らなかった。 そこでメディアは、彼の娘たちを騙して父親であるぺリアスを殺害させた。 ようやくイオルコスの王位に就いたイアソンだったが、それもつかの間、ペリアス殺しの罪で追放され、王権はペリアスの息子に奪われる。 二人はコリントスに亡命する。

          メディアは夫イアソンと共に互いの故郷を捨てコリントスで暮らしていた。だが、コリントス王クレオンが自分の娘婿にイアソンを望み、権力と財産に惹かれたイアソンは妻と子どもたちを捨て、この縁組みを承諾する。

          怒りと悲しみに暮れるメディアの元に、クレオンから国外追放の命令が出る。  一日の猶予をもらったメディアはイアソンとクレオン父娘への復讐を決意する。

          アテナイ王アイゲウスを口説き落として追放後の擁護を約束させたメディアは、猛毒を仕込んだ贈り物をクレオンの娘の元に届けさせ、王と王女を殺害する。

          更には苦悩と逡巡の果てに、自身の幼い息子二人をも手にかける。  すべてを失って嘆き悲しむイアソンを尻目に、メディアは息子たちの死体を抱き、竜車に乗って去っていく。



          今回、上演時間が二時間近くの「メディア」の原作を、25分ほどの短編、しかも独り芝居にテキストレジィ(編集構成)した高城二三男氏に「今、なぜ、ギリシャ悲劇なのか?」を書いてくれと頼んだところ、以下の回答があった。

                          「王女メディア」について

           ギリシャ悲劇「王女メディア」は「復讐劇」である。  ストーリィは簡単明瞭である。  
          愛した夫の心変わりを憎悪した妻メディアは「夫が一番悲しむことはなにか?」「それは夫が一番愛して止まない子供を殺すことである。」と確信し実行する。  自ら腹を痛めた子を殺す、当然のごとく夫イアソンは嘆き悲しむ。 観客はその悲惨さを目の当たりにする。

           今、何故、王女メディアなのか? という問いには以下の解を用意したい。

          それは・・・・・
          20世紀において行われた殺戮と地球破壊の規模は、それまでの人類の歴史とは比較を不可能にする、と云われている。   ヒロシマ・ナガサキの例でも分かるように、一発の原爆で数十万の人々の命が失われた。その後その余りにも殺戮の規模の大きさに二度と繰り返せないでいる。

          紀元前5世紀のギリシャに始った「原理」が今や使えなくなった。その「原理」とは、「確かに悲惨なことはあったが、しかし人間は生きてきた」ということ。
          今や一歩間違えると、「しかし人間は生きてきた」と云えなくなってしまった。   だから遠く紀元前に立ち戻り、人間臭い神々の素朴な「悲惨さ」を見てみるのもいいかもしれない。
          「大量破壊兵器」など手にしてなかった時代の、あまりにも人間臭い神々の所業に妙に優しさを感じるかもしれない。

          「王女メディア」その1

          2009.02.16 Monday

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            昨年(平成20年)の11月22日に、佐世保のナイフ作家・松崎猛氏による恒例の「手作りナイフ作家展」のオープニングイベントを開催した。

            イベントの演目は、独り芝居「王女メディア」、長崎のピアニスト・松尾薫氏のピアノコンサート、漫画家&吟遊詩人・岡野雄一氏のコンサート、朗読劇「信平走る・第9話」と盛りだくさんだった。

            朗読劇「信平走る」を執筆してきた高城二三男氏が「島原でギリシャ悲劇をやることには意味があります。  オイディプス王と同じように王女メディアも一人芝居にテキストレジィしてみます。」と語った事から意外な展開になったのだった。

            当店に時々来ていた市内在住のM女史(添付写真)に白羽の矢が立った。  保育士をしている以外は演劇に関しては全くの初心者だった。

            短期間の稽古で演劇の中でも一番厳しいと言われるギリシャ悲劇の役を、しかも独り芝居で演じるとなると経験豊かなプロの役者でも大変である。

            M女史は覚悟を決めていた。  笑われてもいい、人生のターニングポイントにしなければという思いがあったのだろう。  そうなると演出も中途半端にはできない。  役者の基礎を全く知らない素人を2ヶ月で舞台に上げるプロジェクトが始まった。


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