猪原金物店・コラム明治10年に創業。九州で2番目に歴史の金物屋。
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仏国弓道家団と日本刀 23:09
福岡県小石原の陶芸家:リュック・フーシェ氏より電話があり、母国フランスから弓道の仲間が7名ほど来日するので島原に連れて来ます、との事だった。   以前コラムで紹介したが、リュック氏は弓道錬士5段の腕前だ。(空手3段、居合道4段、茶道裏千家指導許可)  九州で例年開催される弓道の試合に参加するのが目的で、観光も兼ねて約一週間の滞在らしい。   さて、島原に来ても普通の観光では親日家の団体にインパクトがない。   「弓道も武士道・・・・カタナがいい!!」と早速、雲仙市国見町在住の美術刀剣鑑定士:松井更生(さだお)氏に、彼が所有する日本刀の鑑賞会を相談した。   松井氏の快諾を受けすぐにリュック氏に連絡した。  「島原でのサプライズを演出しましょう。 フランス人の7名には内緒にして、速魚川でランチをした後、松井さんのお宅に移動して日本美術刀剣の鑑賞および勉強会・・・素敵です。」


上の写真は茶房速魚川でランチを終えた仏国弓道家のご一行。  彼らは数十分後にリュック夫妻、松井氏、小生によって仕掛けられたサプライズを知らない。  日本語をほとんど話せない彼らの通訳はリュック氏が一手に引き受けている。  彼らが住むフランスのリヨン市は、古くからリヨン川の清流を利用して絹織物と染が盛んだった町だ。  「当時、安かった日本の絹織物の輸入で地場産業は衰退しました。  その後、化学繊維の普及でほぼ壊滅し、現在昔のままの絹織物を作っている職人は一軒だけです。」と話してくれた。  「フランスの有名なソムリエナイフのメーカー2社(社名は同じ【LAGUIOLE】と書く)は、“ライヨール”と“ラギヨール”で区別されているが、どっちが本当の発音なのか?」と聞くと「ライヨール」と答えた。  高校生の頃、フランス映画のファンで、アラン・ドロンやジャン・ギャバン、カトリーヌ・ドヌーブなどに憧れて、大学でフランス語を第二外国語に選び、“リエゾン”が聞き取れずに卒業も危なかった、と話すと、「この軽率そうなオヤジだったら有り得るだろう」という顔を全員がした(と思った)。


午後3時に松井氏宅に到着。  松井氏はすでに8畳の座敷に刀剣類を広げて展示を済ませており、鑑賞勉強会の準備は万端だった。  一行は全員、礼儀正しく玄関で靴をそろえて上がり、隣の部屋で壁を背にして横一列に緊張した面持ちで正座した。  移動中の車の中でリュック氏はどんな説明を全員にしたのだろうか? 
「武士道の象徴である日本刀の鑑定士だから、恐らく厳格で礼儀正しさを求める人だ。」と説明したのだろう。
リュック氏は松井氏と初めて会うので無理もないと思った。  小生は隣の部屋の壁際に正座して並び、刀剣の展示してあるこちらの部屋をじっと見ているフランスの弓道家達に「ひざを崩して楽にするように」と伝えようとしたが、フランス語ができない。  こういう時はボディ・ランゲージ(身振り手振り)ですぐに伝わるものだ。  片言英語とアグラのポーズをすると、すぐに皆さんは足を崩した。



今回の刀剣鑑賞会で特筆すべきは、リュック氏の日本刀剣に関する豊かな知識だった。  彼は居合道3段の達人で、当然、居合刀で「型」だけではなく実際に竹やワラも切る。  松井氏の説明をフランス語で見事に通訳していく。  日本人であっても松井氏の美術刀剣に関する説明を理解するのは困難なはずだ。  

上の写真は、松井氏による刀剣の「切っ先3寸(9センチ)」の説明をしている場面。  刀剣から鞘(さや)や柄(つか)をはずし、中身だけの刀身(とうしん)をテーブルの上に寝せる。  刀身の底部分、いわゆる茎尻(なかごじり)を手のひらに乗せてゆっくり引いていくと、切っ先から3寸の位置まできた時に、寝ていた刀身は突然、まるで生きているように刃を下に向けて起き上がる。  刀剣はどんな角度で相手の身体に当たっても、《引く》と、切っ先3寸で相手の中心に向きを変えて切り進み致命傷を負わせるようになっている。  剣道の竹刀でいう《打突部》も、竹刀の先端から3寸(9センチ)の所に皮紐が巻いてあり、この《打突部》で相手の籠手、面、胴に当てないと一本にはならない。  ゴルフクラブのヘッドやテニスのラケットに、《スイート・スポット》と呼ばれる部分(ここに球が当たると格段に飛ぶ)があるように、刀剣にも《切っ先3寸》という最も有効な部分があり、昔の剣の達人はほとんどこの《切っ先3寸》しか使わずに相手を倒していたのだろう。
 
 

松井氏が8畳の座敷のサッシ戸側、つまり外から光が入ってくる場所に毛布を敷き、各時代別の刀剣を並べたのにはちゃんと訳があった。  もちろん明るい場所の方が刀剣を観察しやすいこともあるが、刀剣を鑑賞する最大の要素である刀身の地鉄(じがね)部の鍛え肌の模様や刃文、刃中部に浮き出てくる沸(にえ)や匂(におい)と呼ばれる美しい霞(かすみ)模様などを見えやすくするためなのだ。  従って、入射角を確保するために、光と人間の間に刀剣がなくてはならない。
手で持った刀身の角度を変えていくと、鉄肌から急にいろんな模様や霞が浮き上がってくる。  刀剣が作られた年代や制作者(刀匠)、研ぎ師の技によって千差万別であり、豊かな表情をもつ《鉄の芸術》、その醍醐味を鑑賞するのである。  
松井氏は、向かって右側から「古刀(ことう)」、「新刀」、「新々刀」、「現代刀」と、製作年代によって分類された刀剣群を、わざわざ年代の数字を書き込んだ紙を添えて並べてくれていた。  

     ★  「古刀」・・・文禄末年・慶長初年(1596年)以前に製作された刀剣類
     ★  「新刀」・・・慶長初年(1596年)以降に製作された刀剣類
     ★  「新々刀」・・「新刀」のうち、特に明和年間(1764〜1772年)以降に製作された刀剣類
     ★  「幕末刀」・・「新々刀」のうち、特に幕末に製作された長寸豪壮な実践用刀剣類
     ★  「軍刀」・・・明治時代から第二次世界大戦中までに軍隊で用いるために製作された刀剣類
     ★  「昭和刀」・・第二次世界大戦中に製作された「軍刀」のうち、
                   日本古来の伝統的な鍛錬法によらず製作された刀剣類
     ★  「現代刀」・・第二次世界大戦後、昭和29年(1954年)より文化庁の製作承認を受け、
                   日本古来の伝統的な鍛錬法により製作された刀剣類



上の写真は、展示された「新刀」の中で、《刀身彫(とうしんぼり)》という彫刻が施された刀剣。  重量軽減や強度を高める目的に留まらず、美観が考慮された。  所持者や製作者の宗教観が表されており、龍や不動明王、梵字、独鈷(とっこ)などが多い。  これは刀剣の所持者の守護を目的に彫られたものである。

この《刀身彫》は、刀匠(製作者)が刀身を完成させ、研ぎ師に渡す前の工程で、彫り師が製作する。  現在、人間国宝に認定された彫り師に依頼すると、添付写真の「龍」では約50万円ほど。  刃中部の匂(におい)と呼ばれる白い霞(かすみ)模様が雲に見えて、龍が雲の上を飛翔している絵に見える。  江戸時代の彫り師の作品であるが、むしろデザインは現代的で美しい・・・・



鉄鉱石を原料に溶鉱炉で溶かして抽出した現代の鋼(はがね)と異なり、江戸時代までは砂鉄を踏鞴(たたら)で溶かして《玉はがね》を抽出し、それを材料に刀剣を鍛造していた。  鉄に炭素を加え、高温で熱しながら鍛錬し、急激に水で冷やす(焼き入れ)ことで、刃物は硬度を上げ、その特性を生み出す。  刀剣や包丁など刃物の切れ味を上げるためには硬くしなければならない。  しかし、金属も含め物質は硬くすればするほど衝撃に弱く、脆(もろ)くなる性質がある。  このジレンマを昔の日本人は知恵を出して見事にクリアした。  すなわち刀剣は、比較的軟質で粘り気のある《心鉄(しんがね)》を、炭素量が多く硬質な《皮鉄(かわがね)》と《刃鉄(はがね)》で包み込んだサンドイッチ構造で「折れず曲がらずよく切れる」を実現した。  和包丁は刀剣の逆で、炭素量が多く硬質の鋼(はがね)を、軟質の鉄で挟んだサンドイッチ構造である。  従って、和包丁は日本刀と同じく《世界一切れる包丁》として世界中(特に欧米)が認めている。  その事実を知らないのは皮肉にも日本人だけである。  
 

日本刀が世界中の刀剣類と異なり「折れず曲がらずよく切れる」構造上の理由を説明したが、この構造を編み出し日本刀の歴史を変えたのは鎌倉時代末期、相州(相模国・現在の鎌倉)の刀匠・五郎入道(ごろうにゅうどう)正宗(まさむね)だった。   それまでは《無垢鍛え(むくぎたえ)》といって、心鉄と皮鉄の複合構造ではなく同一素材の一体構造で造り上げていたので、切れはするが折れやすかった。  どんなに腕が上でも、勝負の途中で刀が折れたらひとたまりもない。  正宗が編み出し完成させた技術革新ともいえる鍛法は、瞬く間に全国の刀工に伝え広がった。  特に、名工や刀工業集団を輩出した五つの主生産地、つまり【五箇伝(ごかでん)】といわれる、大和(奈良)、山城(京都)、相州(鎌倉)、備前(広島・岡山)、美濃(関)の刀剣造りに革命が起きることとなった。

上の添付写真は、野戦用の大型の槍(やり)ではなく、室内護身用の小型の槍を持って説明する松井氏。  狼藉者や家宅侵入者を撃退する目的のため柄は短く、常に室内の鴨居や長押に掛けられていた。



「皆さん、実際に刀を手に持って鑑賞してください。  こんなチャンスは日本人でもありませんから」と言ったが、誰も遠慮してかすぐには刀剣に近づこうとしなかった。  そのうち、一人が恐る恐る手に持ち始めたら、あとは次々と添付写真の様に女性の弓道家も鑑賞を始めたのだった。  フランス人の目から見たら「日本刀」はどのように映ったのだろうか?


上の写真は刀剣の写し。  「釣りでいう魚拓です。  釣った魚に墨を塗り、それに紙を当てて魚形を写し取るでしょう?   それと同じように刀に和紙を当て、押し付けて上から鉛筆などでなぞったものです。」と松井氏が説明したが、みんなキョトンとしている。  リュック氏の話では、フランスに魚拓を取る習慣はないらしい。  分かり易い様にとたとえた例が、逆に異文化の人たちを混乱させることになった。  これも面白いエピソードになった。   写真の写しは、見事に通訳を果たしたリュック氏に松井氏からプレゼントされた。   仏国弓道家の面々は、今回の来日で最大のインパクトと感動を受け、松井氏に厚くお礼を述べて帰ることになった。   リュック氏と仕掛けた《島原サプライズ》は大成功だった。   松井氏には深く感謝である。
| 仏国弓道家団と日本刀 | - | - | posted by ino-haya - -
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