わが青春の【龍山泊】

2009.06.11 Thursday

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    なだらかなカーブを描く急勾配の坂道をのぼりきったところに今もその建物は建っていた。  30数年の歳月は、鉄筋コンクリートの外壁を風化させ、あちこちに風雪に耐えた生々しい傷跡を露呈させていた。  それはまるで閑静な高級住宅街に変貌した周りの風景からポツリと取り残されたオブジェのようだった。   70年安保の残り火も消えようとしている頃、僕達はこの街で出会い、このアパートで暮らし始めた。   
     
    いくつかの季節が過ぎ、僕達は別れた。  泣きながら大声で僕を罵倒した彼女は土砂降りの雨の中を飛び出し、二度と帰って来なかった。   一週間ほどして仕事から帰ると、部屋はきれいに片付けられており、彼女の道具はすべて消えていた。  テーブルに「さようなら」とだけ書かれた便箋が一枚と部屋の鍵が置かれていた。


    それから半年後に転勤が決まり、僕はこのアパートとこの街を後にした。  あれから30数年・・・


    建ってまだ3年の当時としてはモダンなアパートだったが、今では階段の照明器具はサビつき、天井の飾り板は剥離して誰かが折り曲げていた。   あの頃はなんとも思わなかったが、5階まで階段を上りきった時、息が切れそうになった。
    そして、30数年前の《思い出》と再会した。  鉄のドアも当時のまま・・・  いろんな記憶が突然よみがえってきた。   
    彼女との喧嘩の原因はほんの些細な事だった。  しかし不思議なことに彼女の微笑んだ顔しか浮かんでこない。
      
    と、その時突然、目の前のドアが半分ほど開き、一人の男性が顔を出した。  一瞬狼狽した僕の顔を見て「なにか・・・ご用ですか?」と、その男は声をかけた。  「あ・・・いえ・・その・・ずいぶん昔にこちらに住んでいた者でして・・・近くまで来たものですから、つい懐かしくなりまして・・・」   しどろもどろに答えるこちらの様子をジッと見ていた住人は、不審者ではないと判断したのか急に笑顔になって「そうですか・・・私は最近こちらに来たばかりです。  もしよろしかったらどうぞ中へ・・・」と言ってドアを大きく開いた。 



    「エッ・・・よろしいのですか?」と言いながらドア越しに見た部屋の風景は昔のままだった。  「アトリエとして使っているんです」と、住人は少しはにかみながら僕を室内に誘導した。  さわやかな春の風が室内を通り過ぎていく・・・・「まるで展望台にいるみたい!  風が素敵・・・」 彼女が初めてこの部屋に来た時の第一声だった。 

    コルクボードに「 ようこそ アトリエ 風龍 」と書かれた紙が張ってあり、玄関の狭い靴脱ぎ場の壁に掛けられている。  この男は書道家なのだろうか・・・・

    玄関から入ってすぐ両脇にある風呂もトイレも厨房の流し台も昔のままであった。   二部屋ある奥の畳の間で僕達は自己紹介をしあった。  僕達は同じ世代だった。  「コーヒーを入れますから」と彼が立ち上がって流し台に向かっている間に、僕の視線は必死で何かをたどるように押入れや天井、壁の隅々まで移動していく。   

    「いつごろまでお住まいだったのですか?  このアパートには・・」と声がしてハッとした。   「31・・いや、32年前でしたか。」  「じゃあ、まだ新築の頃ですね。」  「はい、3年目くらいだと聞いています・・・」   「・・・独身の頃ですか?」  「は・・はい」  「・・・・おっ、いい風が吹いてますね。  夏の花火大会を見る時は最高の場所です。」 彼は僕の心を見透かしたように話題を変えた。


    打ち上げ花火・・・・・「うわぁ・・・きれい! ちょっと来て!」と狭いベランダの手すりに寄りかかったまま、彼女は少女のように目を丸くして手招きをした。  遠くではあるが色とりどりの鮮明な花模様が漆黒の夜空にくっきりと描き出されている。
    僕はベランダに出て、彼女を背後から両手で抱きしめ、頬と頬をピタリとつけて輝いては消えていく花火を見つめた。
    その時フッと、この瞬間が永遠に続くような錯覚を覚えたのだった。  
        


    「どうぞ・・」と陶器の茶飲み茶碗に注がれたコーヒーを書道家が差し出した。  何の気取りもない無骨なまでに素朴な彼の好意は妙に懐かしく新鮮だった。  気がついたら一時間以上、会話が弾んでいた。  彼が小学校の教員を辞め、現在書道家として生活をしていること。   ペシャワール会というアフガニスタン難民支援のボランティア活動に取り組んでいること。  地元福岡の六本松を拠点に《ギャラリー化計画》を推進しようとしていること。  この男は一体何者なのだろう?・・・ただ者ではないと思った。   そして同世代なのに定年を待つだけの自分が情けなく思えてきた。

    床の板張りには「とくや」と大きく書かれた書が毛氈の上に文鎮で固定してあり、まだ乾いていない状態だった。  「そろそろ失礼します。  お仕事中にお時間を割いていただき誠に申し訳ありませんでした。  なにか力が湧いてきたような気がいたします。   大変ありがとうございました。」とお礼を述べ、昔のままの厚い鉄の扉を自分で閉め、階段を下り始めた。   

    階段の踊り場から福岡の市街地が一望できる。  遠くに福岡ドームが見えた。  「変わったなぁ・・・」と一人つぶやいて、一歩一歩踏みしめるようにゆっくりと階段を降りた。   もうここに来ることも、あの書道家に会うこともないだろう・・・   あの頃と同じさわやかな風が頬を撫でた。




    上の写真は壁に貼ってあった龍一郎氏の作品【恋】  先に写真を添付していたら、意外な創作秘話があったらしい。    以下に制作者のコメントを添付する。

    風龍 > あはは。あの「恋」の作品は、2月のバレンタインデーの日「投銭ライブ」で書いたものです。お客さんは、カップル1組におばちゃん一人。3人の前で書きました。カップルのためにね。
    ところが、ところが。阿羅惣の歌が過激なもので、カップルの女の子が「もう帰ろう」と男に言います。
    男は、「面白いじゃないか。も少し聞いていこう」とおっしゃいます。
    そのうち、二人の声が大きくなり、阿羅惣の歌はどこえやら。カップルは喧嘩を始めましたよ。そのうち、女は席を立ち出て行ってしまいました。
    困った男。女の後を追って、立ち上がり。出口で立ち止まり。阿羅惣に向かって「あんたがこんな歌歌うから彼女が怒ってしまったじゃないか!」と怒鳴った。
    阿羅惣は唖然として、声がでない。男は、さらに何だか叫んで出て行こうとした。
    ボク。その出て行こうとした男に、優しく言葉をかけた。
    「またんかい!こら!こりゃ投銭ライブじゃぁ!銭おいていかんかい!」と、やさしく諭した。
    阿羅惣も店のマスターも客のおばちゃんも全員が身構えた。ボク、そんなに大きな声ださなかったよぉ〜。「仁義なき闘い」の千葉慎一みたいな口調じゃなかったよぉ〜。やさしく諭してあげただけだよぉ〜。
    ドアのところで固まった男は、「すみませんでした」と一言発して。財布から千円札を抜き出し銭入れのかごに静かに置いた。そして、逃げるように立ち去った。
    ボク。投げつけてもよし、殴ってもよしの文鎮なんか握り締めてないもんね。
    あの「恋」の作品を見るたびに、「あのカップルはどうしているだろう・・」と想う。幸せになりなさいよ〜。 (6/17-10:13)





    龍一郎氏のアトリエを訪れた時、先客がいた。  若い感じのいい夫婦と可愛い幼児、彼らのスタッフ職人と思われるの若い男性の4名が狭い和室に座っており、龍一郎氏は彼らの店の看板になる書を書いているところだった。
    少し肌寒い日だったのにTシャツ一枚の龍一郎氏は汗だくだった。 額や頬から汗がポタポタ落ちる。   真剣勝負の「書」は格闘技そのものである。


    【とくや 】投稿者:風龍 投稿日:2009/06/18(Thu) 08:52 No.7847

    四年前の夏。暑い日だった。あまりに喉が渇いていた。
    ぶらりと入った居酒屋。ビールを一杯。そしてコロッケを一皿注文した。
    「うちのコロッケは2個です。お一人様ですから、1個でもいいですよ」
    と説明があった。
    「おっ。それなら1個でお願いします」
    と返事した。
    ビール1杯とコロッケ1個のケチな客だ。それでも、笑顔で接待してくれた。
    「とくや」はそんな居酒屋だった。

    その後も、ビール1杯とコロッケ1個でボクは喉の渇きを静めた。
    壁を眺めているうちに、そこに自分の作品を飾ってみたくなった。
    早速大将に相談した。返事は「いいですよ」とテンポ良く返ってきた。
    ここから、「風龍の六本松ギャラリー化計画」がスタートした。
    現在、12店舗に拡大している。
    基準は、大将やスタッフの人物が善いこと。食事が美味いこと。酒がゆっくり飲めること。この3つが揃ってないと合格しない。
    そのうち、「風龍の作品を見るために、六本松に飲みに行くか」ってなことになったらいいなあ。と夢想している。世界中の老若男女が「風龍・六本松作品マップ」を手にして飲み歩く姿が日常の風景になるだろう。たぶん。

    そんな「とくや」が昨年末に閉店した。寂しく思っていた。
    それが、場所を変えて復活する。嬉しい。
    「看板を書いてください。元気良く。名刺にもチラシにも使いますから、縦書きと横書きをお願いします」と電話があった。
    「とくや」のスタッフと猪原さんご夫妻が「桜坂のアトリエ」の来た。
    その前で「とくや」の看板を書いた。気合を入れて書き上げた。
    「とくや」は、7月11日開店する!
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