猪原金物店・コラム明治10年に創業。九州で2番目に歴史の金物屋。
金物店の裏では喫茶店も営業しています。

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朗読劇【信平走る】 19:28
暦の上では秋だというのに連日猛暑が続いている。   最近は春と秋の期間が短くなったような気がするのだが・・・・   さて、その短くなったように感じる芸術の秋・・・速魚川イベントに向かってそろそろ動き出さなくてはならない。

10月31日(土)から11月3日(火・文化の日)までの4日間、恒例の有田の陶芸家・大石順一氏と福岡の女性画家・世利好薇氏の「二人展」が予定されている。   ところが今回は、11月後半の恒例になっていた「ナイフ作家展」の松崎猛氏が予定を繰り上げて、この「二人展」に参加することになった。   つまり、『陶器』と『絵』と『ナイフ』の「三人展」となる。

これにコンサート、朗読劇、一品持ち寄り交流会などが加わる。   以下にタイムスケジュールを紹介する。

     ★ 10月31日(土曜) 午前10時より熱い四日間がスタート!!

            題して 【 オータム・プレビュー 】


           《 料理店の勧める料理の栄える器展   大石順一PLUS+ 》

         大石順一氏の創作の器作品 + 世利好薇氏の絵画作品
 
              
      ※ 世利好薇(せり・よしび)・・・スペイン・マッサーナ美術学校(バルセロナ)にて学んだ画家。        

        
 
                       +

                《 松崎猛のカスタムナイフ作家展 》

  ※ 今年5月にアメリカ・アトランタの世界最大最高のナイフショーにおいて世界一に輝いた佐世保のナイフ作家。
     会期中の4日間は、松崎氏が持参したベルトグラインダーによるナイフ製作の実演が見れる。  
     皆さんが愛用しているナイフや包丁も研いでくれる。


      
           
       ★ 10月31日(土曜)  午後7時より 


                      【 メイン・イベント 】 

                〇堝盧濬擦了科医・M氏と三線(さんしん)による沖縄音楽演奏

           ◆ ]読劇「信平走る・第11話」 ー 露帝龍刺青編 −

             音楽ユニット「香音天」による投げ銭コンサート

           ぁ 々盈磧岼貮併ち寄り大交流会」(午後8時半〜11時まで)
 


     参加費は無料ですが、プロの「香音天」演奏の際は投げ銭(1000円ほど)をお願いします。   一品持ち寄り交流会はいつもの通りです。   紙皿、紙コップ、割り箸(できればエコマイ箸持参)、酒ジュース類の持込み大歓迎です。
 

上の写真は、朗読劇「信平走る」の過去の上演台本を並べたもの。    第一話〜第十話と外伝を併せると11冊、つまり11回上演した事になる。   途中でいろいろトラブルもあったが、なんとか続いている。   そしていよいよ11月1日(日)は、第11話の上演である。   そろそろ作者・高城二三男氏に執筆にかかるように催促を入れなければならない。

   嵶肯ち編」     平成18年 3月 18日上演  明治9年、肥前嶋原を目指し信平は備前岡山を後にする。

 ◆ 崟鎹席圈廖     (神18年 5月 27日上演  西郷隆盛との運命的出会いにより信平は西南の役に参戦する。

  「長崎奮闘編」    平成18年 7月 15日上演  長崎で隠れキリシタンの末裔・小夜と出会うが、嶋原へ。

 ぁ 嵒畍岳鎮撫編」   平成18年 10月 7日上演  普賢岳に籠もり鎮撫祈願。  そこに降伏と敬愛が加わる。

 ァ 峺蕎襯譽イエム編」 平成18年 11月 3日上演  天草四郎ほか3万人の怨霊との壮絶な闘いが展開される。

 Α 崚膰虞嫐席圈廖  (神18年 11月 25日上演  信平、小夜、降伏、敬愛の四人の島原での挑戦が始まる。

 А 崗夜走る編」   平成19年 11月 24日上演  岡山から妻・雪野の手紙を携えて息子・辰十郎が島原に来る。

 ★ 「信平走る外伝・龍奇伝」 平成20年 3月  29日上演  速魚川10周年、石龍設置奉納イベント用書き下ろし。

 ─ 崗夜の備前路編」  平成20年 7月  18日上演  小夜は余命短い備前岡山の雪野の元へ旅立つ。

  「百済王流離編」   平成20年 11月 22日上演  九州王朝と百済王族の怨霊鎮撫のため信平一行は日向へ。

  「彷徨六文銭編」   平成21年 3月 28日上演  豊臣秀頼の怨霊鎮撫を依頼しに真田幸村の末裔が来る。



上の写真は、速魚川囲炉裏の間に祀っている【青龍の掛け軸】。  二副一対になっている。  当家に長年眠っていたこの掛け軸の存在を小生も含め家人は誰も知らなかった。   ある人物の進言でこの掛け軸の存在を知ることになり、それに至る経緯を覚書として記録した。  2000年の事だった。   この私文書【青龍の掛け軸についての覚書】を、後に高城二三男氏に読んでもらったところ、「面白い!   明治十年に岡山から島原にやって来て猪原金物店を創業した初代・信平(のぶへい)を主人公にして劇が書けそうです。」と言った。

これが朗読劇「信平走る」のスタートになったのである。   主人公・信平の守護神は青龍であり、危機的状況に陥った時に現れて主人公達を救う。  劇のクライマックスシーンつまり大団円では雷雨が起こり、信平たちは土砂降りの中をひたすら全力で「走る」。   能や歌舞伎と同じ「約束事」のスタイルを踏襲している。



上の写真は、猪原信平(長三郎)の晩年の肖像画。   天保12年(1842年)〜大正9年(1920年)。   享年80歳。  この肖像画は主家二階の座敷の鴨居に掛けてあったが、三白眼の鬼気迫る眼差しで、小さい頃非常に恐ろしかったのを憶えている。

明治初頭、初代・信平はなぜ備前・岡山に妻子を残してまで単身、肥前島原にやって来たのか?  今も謎である。    手がかりとしては、彼の信仰していた日蓮宗・不受不施派の布教。  岡山の猪原家は代々真言宗であったが、江戸時代に禁教だったキリスト教と不受不施派の二つの宗教が、明治以降解禁になり、岡山で密かに入信していたであろう不受不施派の九州方面布教の使命をおびて島原を目指したのではないだろうか?   明治20年(1887年)に島原市内に建立された龍華山「妙高寺」は、現在も九州で唯一の不受不施派のお寺である。  当時、寺の建立と信者獲得のために奔走した信平の姿が想像できる。 

しかし、なぜ九州の島原でなくてはならなかったのだろうか?   肖像画の信平の眼を見れば、彼が常人ではない事がうかがえる。   信平の遺品に修験道の行者が使用する道具が残っており、彼が「術師」である記述もあった。
 「術師」とは今風にいえば「霊能者」の事である。   信平は歴史的にも国内有数の霊山として名高い普賢岳に来なければならないなんらかの「理由」があったのかもしれない。  その理由とは一体なんだったのか? 

朗読劇「信平走る」には、その謎解きが見事に表現されている。  作者・高城二三男氏の眼は、肖像画の信平の眼と相通じるものがある。  高城氏の卓越した直観力と推理、想像力は、彼が現代の「術師」である事を物語っている。
 
 

上の写真は、妻・猪原美代子の母方の祖母・小谷ユキノの現存する唯一の写真。   大正時代の写真だが、傷みがひどく見え難かったものを、有田の造形作家・大石順一氏が見事なデッサン力で修復、復元してくれた。

朗読劇「信平走る」の主人公・信平の妻の名前は“雪野”である。  写真の小谷ユキノをモデルにしたと思っていたら、作者は知らなかったという。  偶然の一致だろうが、ユキノという珍しい名前をイメージした高城氏はホントに術師かもしれない。


上の写真は、速魚川中庭の池の端に置いてあるアームストロング砲の砲弾。   いつごろから中庭に置いてあるのか不明であるが、来店客のひとりが「この砲弾は、西南の役で西郷隆盛率いる薩摩軍が使用していたアームストロング砲の砲弾です」と教えてくれた。

西南の役は、明治10年(1877年)であるから、当店の創業年と同じである。  これにヒントを得た作者は、島原に向かう主人公・信平が佐賀路にさしかかった時、明治政府の密偵と間違われて西郷側に拉致され薩摩に連れて行かれるストーリーを考えた。   そこで、信平は西郷隆盛と運命的な出会いをするのだ。(「信平走る・第二話【戦雲編】)

非常に荒唐無稽な展開に見えるが、江戸時代まで武家の身分だった初代・信平が、明治政府に異を唱えて西南の役を起こした西郷隆盛に同じ「武士道」を志した者として心を動かされた事は想像に難くない。  一体誰が、なぜ、西郷側が使用した砲弾を当店の中庭に置いたのか?   作者から指摘されて、初めて先祖の気持ちを想像してみたのだった。 



昨年の一月に「猪ちゃん、凄い絵を見つけたよ!  いろんな資料を調べてきたけど、この絵はすべての流れや背景を表していると思うんです。」と、興奮気味の作者から電話があった。

上の写真がその絵であるが「龍国日本由来之図」とタイトルが書いてある。  誰がどのような意図でこの絵を描いたのだろうか?   図を観察すると、タイトル通り日本列島自体が龍の姿にデフォルメしてあり、「気」「気配」「雲」「雨」という文字のほかに、流れを表す矢印に「渡来人」「黄河の気」「長江の気」「偏西風」「黒潮の流れ」と、いたって単純明快に文字がふられている。

中国大陸の黄河から流れてくる「気」の矢印は島根県出雲地方を、長江(揚子江も含む)から流れてくる「気」の矢印は島原半島普賢岳をピンポイントで差している。   南方から上がってきた「渡来人」の矢印は「縄文人」を、朝鮮半島から下りてきた「渡来人」の矢印は「弥生人」を表しているのだろう。

図の一番左側中央の矢印は「西方より」と書かれており、これは崑崙山脈を表している。   崑崙山脈のすぐ西方にはヘブライの地がある。  「気」の流れを表す矢印は、「龍脈」を意味しているのではないか?  昨年の3月29日に速魚川10周年・石龍設置奉納の際に上演された「信平走る外伝【龍奇伝】」の中から、主人公の子供達に語りかける《龍神》の声を一部ピックアップして以下に紹介する。

    狢生鼎寮里ら、人の世の営みが始まる前から、我等はあった。
     大地の下を流れる天界をも支える『気』の流れ、
     その『気』の道『龍脈』と留まるところ『龍穴』を治め守ってきた瓠            

    牴翕は天界を、天帝・黄龍を守護するために四方の護りへついた。
     北の『玄武』は地を、東の『青龍』は水を、西の『白虎』は風を、南の『朱雀』は火を司った

    爐の山、崑崙(こんろん)から走り出る『龍脈』とともに我はこの地へ

    牘覆せを経るうちに、人は神を忘れ、神も人を忘れゆく。 故に『気』も風に散りゆく

    狄世蓮惶ぁ戮砲茲蠅篤く。 人に『気』があれば神が宿り、神が宿れば『気』もあり。
     神が去れば『気』は絶え、『気』が無くんば神は去る

    狄佑料韻『気』が溢れる時は我等も穏やかなり。 悪しき『気』で満つる時は災いとなす。
     天界が乱れし時は人の世も乱れ、人の世の争いは天界にも嵐を呼ぶ

    牴罎呂海涼呂念貉の眠りにつき、我の内に『水』を治めてきた。
     この地には時として我を知り、我を聞くものが現れる。  わずかに残る『龍脈』の故か


崑崙山脈のすぐ西方にヘブライの地があり、これはユダヤ人由来の地でもある。   「相対性理論」を生み出した20世紀を代表する理論物理学者・アルベルト・アインシュタインの有名な予言を以下に紹介する。  アインシュタインはご存知の通りユダヤ人である。

「世界の将来は、進むだけ進み、その間、幾度か争いが繰り返され、最後に疲れる時が来るだろう。その時、世界の人類は、真の平和を求めて、世界的盟主を上げねばならない時が来る。
この世界的盟主となる者は、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を超越する、最も古く、かつ、尊い国柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰り、それはアジアの高峰、日本に立ち帰らねばならぬ。我々は神に感謝する。天が我々のために、日本という尊い国を造ってくれたことを。」
   


上の写真は、昨年3月29日の速魚川十周年イベントにおいて参加者に配布された速魚川生誕十周年祈念手記集《私と速魚川の十年》・【言珠集め】の表紙を飾ったイラスト。

手記の編集・構成および表紙イラスト制作のすべてを島崎雄三氏が引き受けてくれた。  平成10年3月に完成した速魚川・・・不肖43歳の時だった。   残ったものは、借金と多くの友人だけだった。   それから10年の歳月が夢のように過ぎ、多くの出会いと別れ、いろんな出来事を経験させてもらった。   周りの人たちに「生かされている」・・・月並みな言い方であるが、55歳を間近に控えた凡夫の正直な実感である。

写真のイラスト画を作成した島崎氏は、朗読劇「信平走る」の音楽プロデューサーを担当している。  かつて、ある音楽ジャンルで国内屈指のプロミュージシャンだった人物だが、絵画や立体造形でもプロ級の腕前を持ち、その後マーケティングの世界でプロの道を歩んできた経歴を持つ。  現在は市内の病院の理事として経営を担当している。

このイラスト画には、「信平走る」のストーリーと共に多くの深い意味が込められている。  神や宇宙、自然、過去と未来、普賢と眉山・・・古典的なタッチで中央に描かれている迫力満点の龍に「顕現」と書かれているのも興味深い。

  

上の写真は、有田の造形作家・大石順一氏による「龍画」。   当店で鉛筆とカラーマーカーを使って何やらサラサラっと紙に遊び描きをしていたのを小生は見逃さなかった。  それから間もない時期に、大石氏は黒い島原石による龍を彫り、速魚川に設置することになる。   大石氏は、朗読劇「信平走る」の上演日には毎回島原まで来てくれていたので、劇中の青龍のイメージを描いたのだろう。

いつになるかわからないが「信平走る」が完結したら本にしたいと高城氏と話しており、その際の挿絵は大石氏に依頼することになるだろう。   もちろん、写真の「龍画」も掲載したい。



上の写真は、有田の大石氏の工房でほぼ完成した石龍に《速魚川》の銘を書き込む書家・井上龍一郎氏。   この後、書に沿って大石氏が電気リューターで彫刻した。  銘の位置は側面であり、しかも現在はミントなどの植物が生い茂っている状態なので、この書を見た人は少ない。

井上氏は、大石氏の工房で石龍を見てから「書」を書くことに決めており、福岡から有田までわざわざ足を運んだ。   最初、速魚川の文字の大きさで二人の意見は対立したという。   大石氏は、井上氏の熱意を感じ側面いっぱいに文字を書いて欲しいと頼んだそうだ。   井上氏は「書」自体の持つ強いメッセージ性が彫刻作品の良さを壊すことになるので小さく書きたいと主張した。   話し合いの結果、添付写真で書かれているサイズに合意し、井上氏はこの石の龍神のイメージを一旦全身に染み込ませた後、一呼吸置いて一気に書き始めたという。



上の写真は、速魚川の水飲み場の前方植え込みに設置されている「石龍」。   以前「石龍制作プロジェクト」としてコラムで長期連載したので、コラムの《カテゴリー》からタイトルを検索してもらえば完成までのストーリーがわかる。   

大石順一氏が珍しい黒い島原石で制作した彫刻作品だ。  設置が終わり、大安吉日を選んで大石氏と二人で開眼式をした。   大石氏がアメジスト(青い水晶)を福岡から入手し、下穴をあけて接着剤を塗りこみ、大石氏の指示に従い小生が両眼ともはめ込んだ。   大石氏との5ヶ月に及ぶ不思議なプロジェクトを思い出しながら感無量になった。

この石龍の存在に気づかず水を呑んだり汲んだりする人は多い。  それでいいのだ。   ただ、この石龍を設置した目的は、自分たちも含め「水に対する感謝」を忘れないようにするモニュメント(手段)だったのではないかと思う。

寺社仏閣などにある仏像や神像は、かならず設置制作した人間のメッセージが込められている。   目的と手段を履き違えた《偶像崇拝》は愚の骨頂である。  同様に朗読劇「信平走る」は、観客に観て頂くスタイルをとりながら実は水の神様に対する感謝の《奉納》なのかもしれない。

写真の石龍の眼は優しく穏やかに、しかし我々の心の中をジッと覗き込むように今日も見つめ続けている。



上の写真は、島原市内の背後にそびえる「眉山(まゆやま)」の北側面を普賢岳側から撮った写真である。  斜面は60〜45度という急勾配で、山体は強固な岩盤や粘り気のある粘土層ではなくもろく崩れやすいセレクト(砂礫)で構成されている。  寛政4年(1792年)の【島原大変】は、この眉山の前方が地震により崩壊して起きた日本史上最悪の自然災害である。
眉山の土砂は一瞬のうちに島原の市街地を呑み込み、一万人の命とそれによって発生した大津波は対岸熊本の五千人の命を奪った。  のちに「島原大変、肥後迷惑」と言われた。  「信平走る・第一話【旅立ち編】」の最後のシーンを以下に紹介する。


藩史深溝(ふこうず)世紀では「山陽・西海を経て四月八日長須より海を渡りて土黒村に宿す。
是故事に因るなり。 明日嶋原に入部し、先ず猛島祠を拝して大手門より月城に入る」という。
今日の関門は珍しく波穏やかであった。  にもかかわらず信平の気は重い。
師が言った「富士と火の道が通じている普賢岳を鎮撫せよ。」の命の重さがそうさせていた。
師から聞いた嶋原・普賢岳の噴火は尋常なものではない。
我に鎮撫出来るのだろうかと不安になっていたのだ。  
                                     
                                                               
寛政四年正月十八日 温泉岳鳴動し、その声城市に聞こえ雷神のごとし。
を皮切りに、異変続くこと数ヶ月。 経て四月一日。 終日陰雲。眉山大いに振うこと
二回、眉山倍別して前海に投じ、大いに山水を出す。海倍山の為に激し、又洪波を起こ
して市街を覆い尽くす。延びて近村及び他邦に至る。この時山海鳴動し、天折れ地裂く
がごとし。 市中死する者数知れず。やや収まりて眉山を仰ぎ見れば、その半面を割き、
また海にて見れば無数の島を興ず。屍縦横に沈籍す。
 と史書にあり。

「江戸年間に二度も荒れ狂った」と師から聞いたこの山を、今後どう鎮撫する信平?
これから先の道中、信平は何を見、経験し、嶋原に辿りつき、果たして当初の目的を
達成するや否や?



上の写真は、書家・井上龍一郎氏による直筆のカレンダー。   先日紹介した同氏の書《山は大きな水のかたまり》と対を成す言葉である。   《眉山にさわるな》という言葉は、代々島原の長老たちが次の世代に伝えてきた概念である。  

島原の郷土史家・渋江鉄郎氏(故人)の著書「眉山ものがたり(昭和50年発行)」によると、島原市街地の背後にそびえる眉山は、向かって右側の「七面山(標高818m)」、左側の「天狗山(標高712m)」の二つの突起を持つ噴火によって出来た山だ。   

島原半島の生成は5期に分けられており、眉山は第4期に、普賢岳は最後の第5期に噴火により誕生している。   つまり眉山は老齢期の崩壊寸前の山なのである。  血気盛んな若者普賢岳が大暴れして、その前にいた老体眉山が骨折したのが「島原大変」ということになる。  

この本の最後の部分で、島原大変の原因について述べられており、当時の島原火山観測所(現在の九州大学火山観測所)の太田一也理学博士は、1969年の学位論文で《円弧地すべり説》を唱え、【眉山は震度3以上の地震が起こると崩壊が起こる】と明記している。  その後、東大の学者達の「火山爆裂説」を押さえ、この太田博士の主張が定説になった。

5年ほど前に、長崎県は新聞紙上で「島原半島の地下には4本の活断層が走っており、各々の地震周期が一致して起きる可能性が高まっている。    その際の震度はマグニチュード7・3程度と予測される。」と発表した。
  マグニチュード7.3が、震度3以上か以下かは小学生でもわかる。

平成2年(1990年)の雲仙普賢岳噴火災害の時、我々島原市民は何を一番恐れたか?   それは噴火ではなかった。   地震による【眉山の崩壊】つまり、210年前の恐ろしい事実だ。   現在、その眉山の山体に「緊急時避難用道路」という名目でトンネルが掘られようとしている。     島原における「緊急時」とは、皮肉にも「眉山崩壊」以外の何者でもない。    

噴火災害当時、「眉山が崩壊する危険が高まった場合の市民避難マニュアル」とかいう冊子が全戸配布された。   「自家用車に乗っての避難は、道路渋滞等の交通マヒを引き起こすので、徒歩にて眉山から逆方向に速やかに避難する事」と明記してあった。   これは道理に合っており、絶対に正しい。   決して「自家用車で、緊急時避難用道路と指定してある眉山トンネルに向かって速やかに走りこみなさい。」とは書いてなかったはずだ。

眉山トンネルの工事計画段階で「安全検討委員会」なるものが結成され、御用学者が集められた。   国土交通省が公共工事を正当化するための常套手段として使う「イエスマン」たちだ。   ところがなんとその中に、噴火災害で運良く世界中の脚光を浴び、現在では九州大学名誉教授にまで登りつめた例の太田一也教授がいた(!?)。   「驚天動地」とはまさにこのことだ。  そもそも、当時の彼を理学博士にしたのは《円弧地すべり説》という学位論文ではなかったのか?

雲仙普賢噴火災害において、数千億円という莫大な国家予算つまり税金が島原、深江地区に投入された。   災害復興という【錦の御旗】の元に、27項目のプロジェクトが組まれ、島原市はみるみる復興を果たした。  その中の最後に残された最大のプロジェクトが、「島原道路」と呼ばれる総延長50kmの《地域高規格道路》である。  諫早から島原深江まで約30分で行けるという謳い文句の《夢の高速道路》である。
この「島原道路」の一部が島原市内を走る「島原中央道路(全長4.5km)」と呼ばれ、940mの《眉山トンネル》も含まれているのだ。

一見、島原にとって素晴らしい計画のように聞こえる。   現在、島原〜諫早間は自動車で約一時間、これが半分の30分で行けるというのだ。   ところが、この計画が策定されたのは、国内経済が盛況を極めたバブル期のことだった。  現在の日本の経済状態がどうなっているのか、考えなくてもわかることである。   意味のない無駄な大型公共工事の乱発で、国の借金総額が800兆円を超えており、それはそのまま次世代の国民につけが回るようになっている。 

恐らく、島原道路つまり《地域高規格道路》は、作りたくても現在の財政状況ではできない。   無駄な公共工事を無くすというマニフェストで民主党が政権をとってしまった以上、10万人にも満たない住民のために高速道路を作れるわけがない。   そうなってくると、「眉山トンネル」はその存在理由を全く失うことになる。  それでも「決まっていたことだから」ということで眉山トンネルは掘り始められようとしている。

かつて魚介類の水揚げ量で国内有数だった豊穣の海《有明海》を諫早湾干拓工事で破壊し、今度は国内でも稀なきれいな湧水を生み出している眉山に危険なトンネルを掘ろうとしている。   「眉山にさわるな」という代々受け継がれてきた言い伝えが、単なる迷信である事を願うだけである。

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