速魚川劇場・第3回【宴 水回廊】

2010.07.24 Saturday

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    先日開催された速魚川劇場・第3回【宴 水回廊】の写真を今回も長崎のプロ写真家・松尾順造氏から送付してもらった。 順造氏の写真にうっとりしてしまうのは小生ばかりではないはずだ。 人物だったらその表情の裏側に潜んでいる物語まで表現されている。 たった一夜の【宴 水回廊】・・・ それぞれの想いを抱いて多くの人が集まり、時間と空間を共有し共鳴する。 その瞬間をプロの写真家に記録してもらう・・・贅沢であり有り難い・・・(順造さん、有難うございました!!)


    地元に住んでいながら最近は普賢岳を眺めることもなかった。  20年前に始まった噴火災害の諸々の出来事が走馬灯のように脳裏に去来する。   しかし、もしこの山が火を噴かなかったら、速魚川も出来てなかったかもしれない・・・・ そして多くの素敵な人達と知り合うことも、『メール・ストローム(大きな渦)』が発生することも・・・  


    コラムにステージの写真を紹介したら、この背景幕 『メール・ストローム』 の作者・尾崎尚子氏ご本人から早速メールを頂いた。  以下に抜粋して紹介する。

    ところでコラム拝見しました。
    今月の「宴」にタペストリー使ってくださったんですね。
    全く知らなかったのでコラムを見てびっくりしました。
    びっくりしたのはあのタペストリーを展示してもらったこともですが、
    意外にもあのスペースにしっかり収まりあの空間になじんでいたことです。
    あのタペストリーを作った時、初めからあの場所に展示してもらうつもりで制作したわけではなかったのに、写真で見る限りしっかりステージに収まり速魚川劇場の中で『大きな渦』が浮くこともなくあの中の「一員」として役割を果たしていたことです。
    作り手にとって作品は分身です。
    自分自身は参加したことがない「宴」の空間に自分の作品が展示されたことで
    自分も参加できた気分を味わうことができ感謝しています。
    本当にありがとうございました。
    とってもいいお披露目になりました。
    インパクトが強すぎて他の邪魔をしてしまうとだめですが、写真で拝見する限り「相乗効果」というか他のアーティストの方たちのパワーも伝わってきて私は面白いと思いました。
    (見てくださった方はどんな印象だったでしょうか?)



    毎回、速魚川劇場の司会進行を担当してくれる林田憲治氏。  良く通る素敵な声でユーモアを交えながら見事に司会をこなす。  数年前はギリシャ悲劇「オイディプス」の役者として速魚川劇場でデビュー、その後長崎県の主宰する文化イベントにも出演し、観客の度肝を抜いた。  役者としても天性の素材を持っている。

    高校時代は野球部のレギュラーとして活躍し、大学時代はボクシング部で活躍した体育会系のタフガイ。  島原高校時代のまつを氏の教え子でもある。  37歳になったケンちゃん、写真でもわかるが最近貫禄も出てきた。


    中三の東君は青春期の多感な時期でもある。 谷本光氏との出会いは彼に大きな衝撃を与え、恐ろしい速度で彼を突き動かした。  そしてわずか1年後にはこのステージで見事な演奏をしている。 人との出会いの意味するもの、あるいは音楽の持つ力を感じずにはおれない。  
     

    各業界のプロ達が混じった恐ろしい観客約40名を前にして堂々と演奏し、曲の説明もした15歳の東君。  15歳の頃の自分を思い出すと・・・・・


    次のステージは、「ペコロス岡野 」こと漫画家のシンガーソングライター・岡野雄一氏。  とにかく渋い、大人の味がにじみ出ている。  大阪の「上田正樹」か「憂歌団」に匹敵していると思う。  岡野氏の歌は長崎のブルースそのものである
     

    松尾順造氏から送ってもらった岡野氏の写真の中で、この写真が一番印象に残った。  凄い迫力でカッコいい!!  恐らく名曲「どんげんでんなる」を熱唱しているシーンではないだろうか?  魂の叫び、とも言えるこの曲を聴いていると、くよくよ考えることがバカらしくなる。  「人生なるようになる、なんとかなるもんだ」的な歌詞だが、観客はある種のカタルシスを覚えるのである



    「信平走る・第13話」は【亜細亜動乱編】。  明治37年の日露戦争前後が舞台になる。  豊臣秀吉の二度に渡る朝鮮出兵が冒頭に出てくるが、ヨーロッパ列強が世界を植民地化していくこの「大航海時代」(15〜17世紀)だけではなく、江戸、明治においても日本は虎視眈々と植民地を狙う欧米列強から自国を守る為に何を考えどのように動いたのか? がテーマになっていく。

     
    香音天と速魚川の出会いは4年ほど前だった。  ある人物の紹介で、「速魚川でコンサートができないか?」というオファーがあり、その時のご縁が現在にいたっている。   香音天の素晴らしい演奏を多くの観客と共有できた事に感謝!!   

     
    横笛奏者・甲斐カオン氏は、オープニングで「岩笛」を吹いてくれた。   オカリナのような手のひらに収まる小さい笛である。   縄文時代からあるといわれるこの岩笛の音色で会場の空気が一瞬で変わる。   澄み切った非常に高い音色であるが、我々人間が認識できない音域も含まれているという。   この聴き取れない音が脳を刺激し、いろんなひらめきが生まれると聞いた事がある。   

    甲斐カオン氏が横笛を吹くシーンは、まるで一幅の「絵」である。   肩から腕、指に続く線の流れが自然で美しい。    カオン氏の全身のエネルギーが無駄なく横笛に伝わり、音のエネルギーに変化しながら観客の魂と精神を共鳴させていく。   カオン氏の横笛を吹く美しい表情に広隆寺の「弥勒菩薩半跏思惟像」を連想してしまうのは小生だけだろうか?・・・・

     
    国内屈指の打楽器奏者・甲斐いつろう(逸郎)氏の卓越したリズム感と高度な技術に、観客は有無を言わさず引き込まれていく。   特にソロ演奏のシーンは圧巻である。   リズムの神様が降りてきて太古からの物語を観客に語り始める。   それは宇宙や地球創生から生物誕生、神々や人間の展開してきたあらゆる記憶、あるいはドラマを伝えてくるようだ。

    次第にリズムの速度が高まり、いつろう氏の手の動きが肉眼では捉えにくくなる・・・・  ここまでくるとミュージシャンというより『業師(わざし)』と言いたくなる。   日頃、練習以外にどのような鍛錬をしているのであろうか?・・・・・ 

     
    ピアニスト・都留敬比公(つる・としひこ)氏は、香音天の音楽には欠かすことの出来ないアーティストである。     大分を拠点にして活動しているポップ・ミュージック・クリエーター。   音楽経歴は以下の通り(都留氏のHPより引用)。

     国東高校在学中より、独学でキーボード奏法、アレンジを学ぶ。
    1979年、デビュー直前のThe MODSによる『狂い咲きサンダーロード(石井總互監督)』サウンドトラック録音のためにキーボード奏者として参加。翌80年、博多80'sファクトリーにて、その映画のラッシュをバック・スクリーンに映しながらのライヴに出演。
    81年、ロックバンド「ニックニューサ」のデビューのためキーボード奏者として参加。一時上京する。
    その後、POPCON九州オーケストラへ参加。86年、ヤマハPOPCON九州大会のアレンジャーとして、
    第32回つま恋本選会に参加。その際に編曲した
    「くやしいけど I Love You(むらさきキャベツ=林 功氏作詞作曲)」が川上賞を受賞。この頃から福岡市にて音楽活動を始める。
    演奏活動はジャズ、ポップス、ロック、とジャンルを問わず、幅広く行っており、作曲家、アレンジャーとしても数多くのCM音楽を制作するほか、NHKラジオ・ドキュメンタリーの音楽や、91年福岡市ベイサイドプレイス・オープニングの「音と水と光のショー」の音楽等を手がけてきた。
    94年大分県を活動の拠点とし、大分市の要請によりチキリン囃子をサンバにアレンジしたり、自らの企画によりお寺でのクリスマス・コンサートをシリーズで催すなど幅広く積極的な活動をしている。


     
    花火、夕立ち、蝉時雨、すだれ、打ち水、素麺・・・・暑い夏も、浴衣姿を見るとなぜか涼しくなってしまう。   
    『真夏の夜の夢』が展開される。   「露と落ち 露と消えにしわが身かな、難波の事も夢のまた夢」   今回の「信平走る」の文中に出てくる秀吉の辞世の句であるが、人生が一瞬で終わる夢ならば、せめて今宵の夢に酔いしれたい・・・・

     
    一部のステージが終了すると、いよいよ恒例の「一品持ち寄り交流会」がスタートする。   観客もミュージシャンも司会者も何もかも垣根がなくなる。   それぞれが人生の流れの中で、同じ時間と空間を共有している事実が存在するだけだ。 
        

     
    交流会においては、というより速魚川においては上座も下座もない。   速魚川を跨いで入った瞬間から俗世間の概念は消滅し通用しなくなる。  地位や名誉を主張する俗物人は呼ばれることもない。     
      
     龍一郎氏によるペシャワール会・現地活動写真展のプレゼンテーション。   一昨年前にアフガニスタンで伊藤和也氏が殺害されて、ペシャワール会を含む日本人ボランティアは中村哲医師を除く全員が国外退去になった。  悲しい事件ではあったが、ペシャワール会は伊藤氏の遺志を継ぎ、より強力に活発になってきている。

    アフガニスタンの住民が求めているものは、武器や爆弾ではなく水と食料と平和な生活である。  旧ソ連、アメリカという大国とそれを裏から操る石油、軍需産業に翻弄されてきたアフガンに元の平和が訪れるのはいつだろうか?・・・・ 

      
    県内の大学に勤務するH女史による独唱。  学生時代に声楽を専攻した彼女は『さより』を披露してくれた。  豊かな声量と美しい歌声を堪能しながら、会場のボルテージはどんどん上がっていく。

     
    3月に続き、今回もピアニスト・松尾薫氏と横笛奏者・甲斐カオン氏による息の合った絶妙なジャムセッション。   聴く側にとってこんな贅沢な時間はない。   
      
     
     
    円熟期に入ろうとする書道家と激動期に入ろうとする彫刻家。  険しい道を選んだはずなのに、なぜか二人の笑顔はさわやかでまぶしい・・・・   

     
    速魚川で勢いがついて、二次会は大いに盛り上がったらしい。  小生は行けなかったが、散人氏がその時の様子を報告してくれた。   以下に紹介する。

                 「競演もしくは狂宴 サラマンジュ」 

                狂おしく 音響きあう 梅雨明け の宵。

            泣かないのか! 泣かないのか! ジァズの夜は更けて。

         10時に速魚川を辞し、総勢12、3名。 市内アーケード街中ほどにある
         ナイト喫茶「サラ マンジュ」に移動。
         歩く列が右に左に蛇行、普段は5分もあれば到着するところを
         10分以上かけて到着。
         戦争行進なら敵にバレバレで全員射殺されたところである。 

         サラ・マンジュ、なぜか小粋なピアノがある、でポプリさんの眼光が鋭くなった。
         サラ・マンジュ、なぜか店主がアマチュアのドラマーなのだ、
         で簡単なドラムセットが置いてあって、甲斐いつろうさんの頬がゆるんだ。
     
                打楽器: 甲斐いつろう、マスター 
                ピアノ : 都留さん、ポプリさん

         豪華な音楽家が勢ぞろいした。 「あれっ、カオンさんが いない」と 
         いつろうさんに言うと「笛を取りに行ってんですよ」と。
         サラ・マンジュ、さすがに横笛は置いてなかった、あたりまえだけど。 

          妙な静寂が店内を包んだ、「行かないのか!行かないのか!
          ピアノちゃんを弾きに」 と誰かが怒鳴った。
         ポプリ、「わたしがやらなくっちゃ 誰がやんのさ」とスッとピアノに寄り添った。
         後は 旋律の嵐、次に いつろうさん 横綱が土俵に上がるときのような、
         辺りの空気を払うような堂々たる身のこなしでドラムセットに寄り付いた。
         リズムの連弾が室内を縦横に走り回った。
              カオンさんが笛をもって「走れメロス 到着を信じていたぞ」的な
          興奮が全員に沸き起こった。 
              次はピアノが都留さんと交代、粋なジャズ。ドラムはマスターに交代。
          音のシンフォニーが静寂のアーケード街に響き渡った。

          あれっ、「ペコロス」さんもれっきとしたミュージシャンではなかったのか、
          と思いきや、「ニヤニヤ」と「ノコノコ」とギター抱えて、なにやらピアノのポプリさんと相談。
          カオン、いつろうさんも混じる。
          で「島原十三夜」の大演奏となって「ペコロス」さんの面目躍如ここにあり。

           のような感じで 果てしなく 狂おしく 二次会が推移されて行きました。 
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