猪原金物店・コラム明治10年に創業。九州で2番目に歴史の金物屋。
金物店の裏では喫茶店も営業しています。

| CALENDAR | RECOMMEND | ENTRY | COMMENT | TRACKBACK | CATEGORY | ARCHIVE | LINK | PROFILE | OTHERS |
【島原いろはカルタ】 14:15
3月3日に開催された【初市】も本日3月10日が最終日である。 50歳以上の島原半島出身者にとって【初市(はついち)】というい言葉の響きは特別な意味を持っている。 昭和30〜40年代まで、物資も情報も娯楽も少なかった島原半島の住民にとって【初市】は、年に一度の興奮を伴った最大イベントだった。 
 
【初市】でランドセルや運動靴や文房具類を親から買ってもらい、4月の入学式を夢見た子供達がほとんどで、そのランドセルも買ってもらえない家庭が多かったのだ。 テレビが普及し日本が高度経済成長期に入ると、【初市】の島原半島における役割が次第に薄れていった。

現在のように各種メディアや交通手段の発達に伴い、国内は元より外国との交流が日常になると逆に自分自身のアイデンティティーが重要になってくる。 自分自身を育んでくれた郷土を我々はどれほど知り、かつ誇りを持って語れるだろうか? 「僕の故郷は何もないド田舎だから・・・」と劣等感を持っている人がいるとしたら、20世紀まで政官財で巧妙に画策された中央集権政策のマインドコントロールに現在も操られているのである。 一体何処と、あるいは誰と比べた劣等感なのか、あるいは優越感なのか?を検証してみればその正体がはっきりと理解できるはずだ。

以下の写真は、島原半島の郷土に誇りを持ち続け教職を退任した後、私財を投じて武家屋敷の一角に「さかきばら郷土史料館」を作り、多くの観光客や市民に島原の素晴らしさを語り続けた榊原武之先生の自費出版による遺作【郷土史入門 島原いろはカルタ】である。 「いろは歌」の全48文字それぞれが郷土史の入ったカルタになっており、実に憶えやすく分かりやすい解説がついている。 「島原の乱」同様に、日本の歴史に影響を与えた人物が島原に多くいた事に驚かされる。

島原半島出身者はもちろん、島原の歴史に興味のある方は必読必携の本(冊子)である。 現在も「さかきばら郷土史料館」と島原市のtsutaya(つたや)島原店(城内3丁目:筍娃坑毅掘檻僑機檻苅械隠院砲砲いて定価500円で販売している。

                        
郷土史入門  島原いろはカルタ

                              ★ 発行  平成17年 10月 1日
   
                     ★ 著者  榊原武之

                     ★ 発行所  さかきばら郷土史料館
                       (土・日は開館)

                  島原市城西中の丁1988
              
                  電話(0957)63−1255
                  電話(0957)63−7578



「郷土史入門 島原いろはカルタ」が発行された2007年に、当時まだお元気だった榊原武之先生ご本人から「進呈」として頂いたものである。 「ふるさとで生き、ふるさとを愛し、ふるさとを語り、ふるさとで死ぬ」という遺志を託された気がする。

下の写真は、この本の巻頭に掲載されている書である。 榊原先生の想いがすべて込められた書だ。




上の写真は、「いろはにほへと・・・」の「は」、つまり3ページ目をスキャンして添付したもの。 こんな感じで48文字、つまり48ページで構成されている。 難しくて敬遠されがちな郷土史をいかに分かり易く伝えるかに苦心された先生の想いが伝わってくる。

上の写真は昭和31年の大手広場の初市風景。 前年の昭和30年に三会村を編入合併して当時モダンな新市庁舎が完成。 写真の左上に庁舎正面の一部がのぞいている。 

写真で分かるように、サーカスの巨大テントは例年市役所前に張られていた。 我が家から100mほどなので、よくサーカスの看板を見に行った。 この時知ったライオンやゾウの強烈な糞の匂いが忘れられず、学生時代は京都の円山動物園や大阪の天王寺動物園、東京の上野動物園と動物園巡りが趣味になった。

「いうことば聞かんならサーカスに売り飛ばすけんね」と周りの大人から散々脅された。 初市のサーカスで女性の見事な綱渡りを見ていたので 「サーカスに売られたら、身体ば柔らこうするために毎日酢ばたくさん呑まされて、綱渡りの稽古ば鞭で打たれてすることになるとばい」という説明はリアリティーを伴って子供心に刻み込まれた。 よっぽど悪いガキだったのかなぁ・・・・ 

しかしこの手法はわが娘3人にも使わせてもらって効果抜群だった。 「いいか、今から向かうキャナルシティーには6〜7人ほどの【人さらい】がいて、親からはぐれる子供を狙っている。 そしてサーカスに高くで売り飛ばす。 小学生のお前達は格好の餌食だ。 お父さんからはぐれたらもうそれでおしまい、お母さんにも一生会えないことになる。 だから、しっかりついて来い」とキャナルシティーに向かう地下鉄の中で3人の娘たちに言い含めた。 娘達の目は真剣そのものだった。

キャナルシティーに着くと、人混みの中を父親一人どんどん進んでいく。 娘3人はしっかり手をつなぎ合って命がけで父親の後を追う。 今回は母親がいないのでいつもの甘えなんて許されない。 どこから【人さらい】が自分達を狙っているかわからないから必死だ。 

なるほど・・・・北国に「雪女」伝説が生まれたのは、子供たちの遭難を防ぐための先人の知恵だったのだ。 九州には雪が降らないから「人さらい」の話を作って子供の危険を回避したのだろう。


上に写真は、背景に昭和39年に再建された島原城天守閣が見えている。 昭和45年の初市の風景である。 300年以上、大手広場で開催されてきた初市も、車社会の到来により会場が島原城の堀端に移動し、昭和46年から現在の霊丘公園に移転した。
| 【島原いろはカルタ】 | - | - | posted by ino-haya - -
| 1/1 |