猪原金物店・コラム明治10年に創業。九州で2番目に歴史の金物屋。
金物店の裏では喫茶店も営業しています。

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「鏝絵誕生! 2012 in 島原」 18:35
諫早方面から国道251号線を島原に向かい、島原駅前を通り過ぎて約700m進むと、進行方向の右側に「それ」は忽然と姿を見せる。 国道沿いの島原商工会議所とダイエー島原店の間に位置する。 10日ほど前に作業用の足場が撤去され、その全貌が現れた。

市内では恐らく最後の木造瓦葺三階建ての建造物である。 この建物は戦前に南島原市深江町小林地区から現在地に移築された「蚕(かいこ)小屋」だと聞いている。 現在の小林地区に「小林」という庄屋さんがいて、広大な農地を所有する豪農だった。 この庄屋が提供した敷地に現在「小林小学校」がある。 この蚕小屋も庄屋が所有していたが、戦前に何らかの理由で現在地に移築された。

戦時中に現在の島原市役所が米国のグラマン戦闘機の空襲を受け、一時この建物に機能移転したそうだ。 その後、所有者が誰だったか定かではないが、現在はマルイチ斎場(マルイチ造花店)になっている。 ここのオーナーの希望で「鏝絵」が誕生したのである。 この鏝絵の存在を知る島原市民はまだ少ないはずだ。



九州で「鏝絵」を描ける左官はわずか8名ほど。 そのうちの一人が島原市内にいる。 2003年と2010年に当店の正面と側面の外壁に龍の鏝絵を描いてくれた鏝絵職人・佐仲忠敏氏である。 今回の見事な「蓮の鏝絵」も佐仲氏によって制作された。 白漆喰の壁に同じ白の鏝絵は、彩色の表現をなくした分、造形の表現が際立ってくる。 凛とした清楚で美しく上品な作品に仕上がっており、国道沿いの位置関係からして今後、島原のシンボルの一つになる事は間違いないだろう。 


先月の3月15日に佐仲氏が来店し「先ほどモルタルの下地がやっと完成したよ!」と、満面の笑みを浮かべて教えてくれた。 以前から話は聞いていたが、彼の自信に満ちた表情がモルタル工程の成功を物語っていた。 早速、店内にいた彫刻家のT氏と一緒に佐仲氏の誘導で現場に向かった。  


現場に着いて足場を見上げるとビックリするほど高い。 佐仲氏の後から足場の階段を登って行くのだが、高さ10mを悠に超える鏝絵の場所までなかなかたどり着かない。 突然、眼の前に巨大な蓮の葉が姿を現した。 幅は1m以上ありそうだ。 蓮の茎の太さも足場の鉄パイプと同じほどだ。  


下の駐車場を見下ろすと、自動車が小さく見えて足がすくむ。 こんなに巨大な蓮の作品も下から見上げると小さく見えるのだろう。 木造三階建とはいえ住宅ではなく天井の高い蚕小屋である。 鉄筋コンクリートのビルにしたら四階ほどの高さだ。 作品全体は6mほどで自動車ぐらいの大きさである。


地上と異なりかなりの強風が吹いており、思わず佐仲氏に「こんな寒い場所で毎日大変だったでしょう?」と言うと、ニヤリと笑って大きくうなずいた。 吹きさらしの現場であろうが、佐仲氏には完成に近づく作品への情熱と歓びで一杯だったのだろう。


モルタルの下地処理が終わった直後なので、まだ乾燥硬化しておらず、佐仲氏の手作業の空気が残っており生々しい迫力がある。 このようにして少しずつ古民家の漆喰壁に鏝絵が誕生していくことを嬉しく誇りに思うのである。 長崎県内で一番数多く古民家が残っているのは島原半島なのだそうだ。(長岡造形大学・宮澤智士教授の弁) 

戦後の日本はアメリカの経済戦略により「スクラップ & ビルド」が急激に進められた。 古いものは壊し新しく作ることで経済を拡大発展させてきた。 このような「大量生産 大量消費」の時代がいつまでもつというのか? 「簡単・便利・安価」の使い捨て文化を享受した日本人は、1400年かけて作り上げた世界に冠たる日本文化をいとも簡単に捨て去ったのである。 メデタシ、メデタシ。


当店を訪れる来店客に「どちらからおいでですか?」と聞くようになって久しい。 観光客などの来街者のほとんどは島原城や武家屋敷などの歴史施設や古い街並み、鯉の泳ぐ街、水屋敷などの自然湧水を目的に島原にやって来る。 「都会にないモノ」「島原にしかないモノ」がキーワードなのだ。 

「歴史と緑と湧水のまち・島原」と観光客の誘致を標榜している行政ではあるが、現場との大きな温度差は否めない。 携帯電話・スマートフォンで瞬時に目的地の情報をピンポイントで検索される時代である。 バブル時代の大型バスを仕立てた団体客の時代は終わろうとしている。 その地域にしかないストック(資源)つまり【本物】を修復保全、保持して島原の独自性をアピールしていかなければ、島原の将来はないように思う。 

| 「鏝絵誕生! 2012 in 島原」 | - | - | posted by ino-haya - -
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