【シェフ・山下純弘氏が来島!?】

2012.10.13 Saturday

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    「島原に行きたいという友人が多くなりまして、今年中に島原ツアーを企画してます。」と、東京のギィ・アンティックギャラリー主宰・山下純弘氏から8月に電話があった。「10月27日から11月4日まで速魚川ギャラリーで【3人展・オータム・プレビュー】が開催されます。どうでしょうか? その時に来られたら九州と東京のアーティストたちのネットワークができますし、一挙両得、盆と正月が一回で済みます。」と言うと「面白い! わかりました。その線で企画を組んでみます。」と、山下氏の声が弾んだ。

    「今回の島原ツアー参加者は私も入れて5名になります。ボサノバ歌手、ギタリスト、イラストレーター、フラワーアーティストの4名と料理人・山下純弘です。10月26日〜29日まで三泊四日、島原に滞在します。」と9月中旬に山下氏から電話があった。 今回は【サヴィニャック展】ではないため、山下氏は料理人に徹して皆さんに本場のヨーロッパ料理を味わって欲しいという。

    前このブログで紹介したが、山下純弘氏は1972年までイタリア、フランスを中心にヨーロッパで料理修業をしていた。若い当時とはいえ、かなり過酷な修業だったそうだ。「本場の厨房で自分の眼と舌と鼻を使い徹底的に叩き込まれました。ところがいろんな料理の味見をしていると胃袋がついていかない。トイレに駆け込んで吐いた後、再び急いで厨房に戻る毎日でした。」

    1972年、ヨーロッパ修業を終え、現在の場所でレストランをオープン。それから約20年間、1991年までオーナー・シェフとして腕を振るった。その間も渡欧を繰り返しながら新しい情報や料理、食材の開発に務めた。その甲斐あって各界各層からご愛顧頂きスタッフ10名以上の繁盛店になっていった。


    下の写真は、山下氏から送られてきた料理人時代の写真とレシピノート。一部セピア色に変色した写真の右手前の男性が40代前後の山下氏と思えるが、堂々たるシェフの風格と若々しいエネルギーがみなぎっている。ノートに書かれたレシピにはメニューのスケッチが描かれており、ところどころに残っている古いシミが当時の厨房現場で展開された数多くのドラマを物語っている。

    プロのシェフのレシピノートを生れて初めて見せてもらったが、東京の山下氏に電話で承諾を得てブログに公開することにした。 まぁ、このレシピを見たからといって料理を再現することは素人では到底不可能である。






















     
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