【速魚川生誕15周年】

2013.04.23 Tuesday

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    「人の運命」はその人が関わった多くの人たちとの相互作用で大きく影響を受け、自分自身の選択によって展開しながら決定していく。20数年前の雲仙普賢岳噴火災害の頃は、現在のような展開になるとは夢想だにしなかった。緻密で高尚な将来設計ができる能力もなく「ただなんとなく成り行きにまかせて思いつきで」やってきたが、なぜか多くの人たちが助けてくれた。「こいつは放っとけばダメになる」と思わせる雰囲気があるのだろうか? 多くの人たちの協力で生かされてきた以上、その受けた恩を返しながら帳尻をゼロにして死ぬのが商売人としてのケジメかも知れない。

    平成10年、地元金融機関から土地建物を担保に15年ローンの借金をして店舗と自宅の大改装および速魚川を作った。もし自分が死んだら生命保険で返済することも念頭に置き、文字通りの命がけの決断だったが、人間は命がけになると判断は一瞬で決めるものだ。逆に枝葉末節のどうでもいいことで人間は悩み葛藤する。これはまだ余裕がある証拠で、左脳が打算計算駆け引きの思考を始めるためだと思われる。このブログで何回も書いたがアップル創業者・故スティーブ・ジョブズの名言(以下の文)がいつも頭の隅にある。

    皆の時間は限られているから誰か他の人の人生を生きることで時間を無駄にしてはいけない。教条主義の罠にはまってはならない。教条主義とは他の人々の思考の結果に従って生きることだ。他の人の意見という雑音に自分自身の内なる声をかき消されないようにしよう。そして最も重要なことは、自分の心と直感に従う勇気を持つことだ。心と直感は本当になりたい自分をどういうわけか既に知っている。その他すべてのことは二の次だ。

    今月の14日で15年間のローンの返済がすべて終了した。完済した翌日、金融機関の支店長が挨拶に来て「運転資金の借り入れゼロで15年間もよく頑張ってこられましたね」と驚いていた。「借金も財産のうち」とは言うが、もう借金は遠慮したい。貧乏でも構わない、楽しみながら店づくりをして今後も多くの素敵な人達と出会いたい。

    下の文章は、15年前の平成10年にお世話になった多くの人たちへ送った手紙のコピー。当時まだ店内には商品がまばらで殺風景だったが、かえって今よりすっきりして「高級感」があったような気がする。

    このブログをご覧の皆様にこの場を借りて厚くお礼を申し上げます。長年に渡るご厚意ご鞭撻、誠にありがとうございました! 今後とも猪原金物店および茶房&ギャラリー速魚川をどうぞよろしくお願いいたします。



    上の写真は平成10年当時の朝日新聞の記事。11月は雲仙普賢岳が噴火して丸8年を迎え、新聞社やテレビ局など各報道機関は災害復興の特集を組んで検証していた。地元でまちづくり活動に取り組んで7年目に、街の方向性である「総論」もほぼ固まり、翌年の8年目に「各論」の実行段階として当店の改装に踏み切ったのである。

    下の写真は同時期の長崎新聞の記事。当店は災害復興の民間の事例として多くのメディアに紹介してもらった。記事の写真を見ると速魚川で遊んでいるオカッパ頭の猿みたいな女の子はうちの3人娘である。現在ではみんな出て行って成人し我が家には誰もいなくなった




    上の写真は、速魚川を作って10年後つまり今から5年前の毎日新聞の紹介記事。当時島原支局に駐在していた毎日新聞記者・山崎太郎氏の取材を受けた時のもの。「まちづくり」という総論から「店づくり」という各論の実践に突入して10年が経過した頃だ。山崎氏はこの記事を書くために映画「フィールド・オブ・ドリームス」をわざわざ借りて観たそうだ。ケビン・コスナー主演の名作で是非お勧めの映画。

    山崎太郎記者には公私ともに大変お世話になった。福岡の書家・井上龍一郎氏に書いてもらった小生の座右の銘『無事是名馬(ぶじこれめいば)』を随分気に入ってくれたので、山崎氏が転勤の際にプレゼントした(下の写真)。サラブレッドみたいに速く優雅に走れなくてもよい、ロバのようにのろまでもコツコツと最後までやり抜く事が肝要、という意味だろうが根気のない小生にとって自戒の言葉でもある。
     


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