猪原金物店・コラム明治10年に創業。九州で2番目に歴史の金物屋。
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『彫刻家・野島泉里2013』 21:37
まったく整理もできてない我がパソコンのフォルダーから探し物をしていたら、今から8年以上前、2005年(平成17年)当時の彫刻家・野島泉里(せんり)氏の画像が出てきた。新築間もない島原市の火葬場「しまばら斎場」の苑庭に設置するオブジェのメイキング記録だった。その巨大な石の彫刻作品のタイトルは【私たちはどこから来てどこに行くのか】。

仕事や雑事に追われて忘れてしまわないうちにと、その70枚ほどのメイキング画像をCDにコピーし野島氏にプレゼントしようと携帯電話に電話した。呼び出し音の後、留守電にメッセージを入れたが、数日経っても応答がない。その携帯電話がドイツに置き忘れたままになっていることを、数日前に偶然会った野島マーサ夫人から聞いた(!?)。野島泉里氏はすでにドイツから帰国していた。小生の留守電の声は、携帯電話と一緒にドイツに置き去りにされたままだぁ〜

       
★ 彫刻家:野島泉里のHP はここクリック ⇒ www.nojima-s.net/





以下の写真は、2005年の3月2日から5月までの記録写真の一部である。当時38歳の野島氏が命がけで巨石と格闘している姿が凛々しい。全体のフォルムがほぼ出来てからの写真撮影だったが、原石からの工程を記録に収められなかったのが少し心残りである。

上折橋町にあるアトリエの隣が制作現場である。まるで戦場だった。石を削る時に出る粉じんも半端ではない。記録撮影に行くと全身が灰色の粉にまみれた野島氏がニッと笑顔を見せた。
アトリエは野戦場のテントのようで、バナナやお茶など食糧らしきものが無造作に置かれていた。

寝食を忘れ精神と肉体の限界を賭けて巨石と格闘した約半年間・・・一人の青年彫刻家は自らの内部に存在する「神との対話」をしていた。彼は心と直観の命ずるままに肉体を動かし、創造の歓びと苦悩の狭間で魂を遊ばせた。


 
          2005年 3月 2日撮影(上の写真)


           
    
 
           2005年 3月 11日撮影(上と下の写真)



              2005年 3月 17日撮影(上の写真)


                                               2005年 3月 21日撮影(上と下の写真)



              2005年 3月 25日撮影(上の写真)


               2005年 4月 4日撮影(上の写真)


                  2005年 4月 13日撮影(上と下の写真)


                

                    2005年 4月 22日撮影(上の写真)


                    2005年 4月 23日撮影(上の写真)


                  2005年 4月 26日撮影(上と下二枚の写真)

 




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