猪原金物店・コラム明治10年に創業。九州で2番目に歴史の金物屋。
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『島原半島の大蛇伝説』 23:55
「川遊びの会」主宰・才籐和彦氏が「脱皮した蛇の抜け殻をあるところで頂いたので標本にしました」と見せてくれた(写真)「アオダイショウの抜け殻ですが、脱皮後の縮んだ状態で2.2m位ですから蛇本体は2.5mほどあるでしょうね」中学生の頃は身の周りに色んな動物がいた。アオダイショウ、トノサマガエル、ヒキガエル、アマガエル、ネズミ、カニ、クモ、イタチ、コウモリ、ヤモリ、アシナガバチなど数え上げればきりがない。

アオダイショウは、天井裏のある古い家だったら各家に一匹は棲んでいた。夜行性だから住人の目につくことは少ないが、それほど餌になる動物(ネズミやカエル)が街中にも豊富に棲んでいたということだ。中学生の時、学校から帰ると屋敷に囲まれた中庭(現在の駐車場)の方から、飼い犬(スピッツ)の異常に興奮した吠え声が聞こえた。行ってみると、父親や叔父が先端に火のついた松明(たいまつ)を持って中庭のコンクリート蓋が被った長い側溝(3〜4メートル位)の両端を昼間なのに照らしていた。

「溝の中に何かおると?」「大きかアオダイショウ」その時の光景と興奮は今も忘れない。姿は見えないがしばらく攻防が続いて側溝の端口から拳(こぶし)ほどの蛇の頭がのぞいた。次の瞬間、蛇は凄い速さで側溝から出て全身を現し、アッという間に地面を這いながら隣の家に逃げて姿を消した。今思えば、そのアオダイショウは才籐氏が見せてくれた抜け殻の蛇と同じくらいの大きさだったと思われる。しかし、“ 大きい蛇 ” ではあっても世に言う「大蛇」ではない。雲仙普賢岳を中心にした島原半島の山間部には、常識を超えた巨大な蛇の個体いわゆる≪大蛇≫が存在するらしく、その目撃者が絶えない。







当店のブログを始めた2002年の8月のブログで「島原半島の大蛇」について書いているのでコピーして以下に添付する。

過去に4名から聞いた実際にあった話である。
それらの話を総合するとその大蛇の大きさは胴回りの直径が10センチ以上(丸太ほどの大きさ)、長さが5〜8メートルある。
体色は黒色で体表にコケみたいなものがまばらについている。
その大蛇と遭遇する前後に鼻がへし折れるような生臭い匂いがする。
人間を襲ったりはしない。
他にも多くの目撃者がいるらしい。
島原市より南の深江町や布津町の山中から普賢岳の7合目ぐらいの範囲で見た人が多い。
と、ここまで書けばその大蛇はおそらく「アオダイショウ」だろうと思えてくる。
アナコンダやニシキヘビが九州にいるわけはない。
魚類、爬虫類、両性類などは哺乳類や鳥類と違い、死ぬまで成長し続けることはご存知だろうか?
条件や環境が偶然にそろった場合とんでもない大きな個体に成長しても不思議ではない。
ところがこの大蛇に遭遇したという話は雲仙普賢岳災害を境にしてピタリとなくなった。
普賢岳の頂上近くにあった普賢神社のご神体は「蛇」であった。
そして200年前の普賢岳災害の時(15000人死亡)に生まれた島原地方の民話伝説「洞庵とお諏訪」の主人公お諏訪は蛇の化身である。
この民話に登場する人物は実在した。
洞庵は「高田洞庵」という町医者で我が上の町の隣の中町に実際に住んでいたし、殿様は島原藩主(松平)である。
ストーリーは「夕鶴」と同じ恩返しパターンであるが主人公の二人に赤ん坊がいるという点や悲しんだ蛇のお諏訪が諏訪の池に去った後、大地震が起き普賢岳災害が起きたという点はリアリティーがある。
やはり昔から山の神を怒らせたり悲しませてはいけないらしい。
家にも山の神が一人いる。
この民話伝説はひょっとすると時代を超えた世の男性族に対する戒めの寓話かもしれない。
桑原、桑原・・・・・。




 
| 『島原半島の大蛇伝説』 | - | - | posted by ino-haya - -
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