猪原金物店・コラム明治10年に創業。九州で2番目に歴史の金物屋。
金物店の裏では喫茶店も営業しています。

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【金物屋の乱】!? 18:52
平成10年に「速魚川(はやめがわ)」を創出し、店舗兼自宅のリノベーションを実行してから丸19年間が過ぎ、来年4月にいよいよ20周年を迎える。家族や友人や知人、来店客や多くの人々に助けられ教えられてここまで続けてこられた。月並みな言葉であるが、ただただ感謝しかない。20歳の学生時代に、父が50歳で他界した。夢を捨て帰郷してからもうすぐ40年。当時、大嫌いだった故郷島原や家業の金物屋・・・それがどうだろう・・・自分の運命を変えた父や家業や島原が今は大好きになっている。

自分はあと何年生きるのだろうか?・・・終盤にさしかかっていることだけは確かだ。気持ちも身体も以前のようにはいかなくなっている。先日亡くなった演出家・蜷川幸雄氏のようなすさまじい生き方は凡人にはできない。残された時間と人生を、吉田松陰の「命をどう使うか?」なんて力んでも長続きはしないので、やっぱり日々の流れに沿ってフワフワ生きていくしかない。そして自分の家業であり存在理由である【金物屋】と心中しよう。6年ほど前に知人から依頼を受けて書いた寄稿文【金物屋の乱】が見つかったので、今日のブログの最後に添付。6000字以内という条件で慌てて書いたのを憶えているが、まともに推敲もせずに送付し内容も論旨もお粗末だったために没になった幻の原稿・・・・



上と下の写真は、毎週日曜日に長崎新聞に付いてくる県内情報誌『とっとって』2016年3月27日の「台所道具特集」記事。取材を受けた時「庖丁は研いで《使い続ける》道具、というイメージを伝えたい」と言ったら、見事にわかり易く編集してあり、感動と同時に感謝した。長崎新聞は販売部数が19万5000部で、長崎県民の4割の講読者数を占める県内最大の新聞社。県民の4割の人たちに「庖丁の研ぎ方」が伝わればいいなぁ・・・



 ★過去のブログ【庖丁を研ごう!】企画 ⇒ http://blog.inohara.jp/?cid=32122







数日前、島原出身でドイツ在住の建築家・H女史が、ドイツの大学で「金属学」を教えているドイツ人エンジニアのご主人と来店した。来日した時には来店してくれるとても素敵なカップルだ。話の流れから「日本刀を見てみたい」とのリクエストに応えて、先祖伝来の日本刀(室町時代後期の備前刀)を見せることになった。久し振りに鞘から抜いてみると刀身に薄いサビが〜!!! で、『手入れ(メンテナンス)』をするためにテーブルの上に置いていたら、なぜか次々と来客。え〜い、ついでだぁ〜!と全員に見せることにした。下の写真のカノン女史もその一人。彼女の写メールを撮るために刀を構えたポーズをとらせたら、なかなか面白い構図になった。ついでに彼女のブログも紹介することに!


『点と点が繋がる時』

一昨日、『金門島の戦い』における旧陸軍 根本博中尉についての記述を読み、記憶の彼方にあった事柄の点と点が繋がり、一つのストーリーになった。

昔の聞きかじった話が今になり、「そういうことか!」と繋がる時、勝手にドラマチックな気分になるのは私だけではないはず!

昨日も昨日で、とある金物屋にお邪魔した際、ご主人が刀剣の手入れをされていた。

ここのご主人は私の古道具の師匠ともいうべき方で、今は絶版になっている「道具曼荼羅」という日本古来の消えゆく道具の図鑑を貸してくださった方でもあり、先人の知恵が凝縮されている古道具の奥深い魅力を私に教えてくださった方である。

今回の刀は、室町後期の真剣で
「刀剣女子」という言葉があるくらい最近刀剣女子に流行りだよ!とご主人は言う。

もう「刀剣婦人」の域にとっくに突入しているが、ミーハーにも構えさせてもらった!
真剣!なんという緊張感! 竹光とは 大違い!(当たり前だ!)

「誉傷」(戦った後の刃物傷)もあり、刀の背の部分の溝「樋(ひ・血抜き)」の意味も教えて頂き、緊張度 ますますMAX!

そして極めつけは、「切っ先三寸」の話。

ご主人曰く、
刀を台に寝せたまま、柄を持ってず〜っと刀を引いていくと、寝ていた刀が先端から三寸(一寸 約3cm よって三寸は 約9cm)のポイントから立ち上がって来るという。

「切っ先三寸」は最も殺傷力が高い部分である。

文章ではわかりづらいかもしれないが、これは何を意味するかというと、打ち合いの時、「切っ先三寸」が殺傷力が高いからといって、そこを相手に当てるのはとっさの際には難しい。
しかし、刀の腹あたりを相手に当てて、刀を引くと、「切っ先三寸」は立ち上がるように出来上がっているので、そこでトドメをさせるというのだ!

怖っわ〜!

と言いながらも、刀職人の技術に感嘆した!

幼い頃から時代劇で何となく聞いてきた「切っ先三寸」こんな恐ろしくも深い技術力があったとは!

またまた、点と点が繋がりドラマになったのだった。

そうこうしていると
薬師寺1300年の和釘も出てきたりして…

ドラマチックを超えてNHK大河ドラマほどの長さになりそうなので、今日はこのあたりで…

『点と点が繋がる時』という話。
























       「金物屋の乱」
 
 世界はIT革命により恐ろしいスピードで地球規模の情報化社会を構築しつつある。物販業界も情報により大きな変化を迎えている。インターネット、携帯電話、テレビ、ラジオ、通販誌などを利用した無店舗の販売総額が、とうとう小売業界のトップに立ったのである。消費者は販売担当者などの人を介することなく自分の欲しい商品を手に入れる時代になった。この状況は、従来からの対面販売を業務としてきた全国の小売業の存続を危うくしている。呉服屋、金物屋、電気屋、写真屋、文具屋など、自然界同様に『絶滅危惧種』が急増し、恐らく10年後には全国津々浦々のアーケードなど中心市街地は消滅している可能性が高い。パラダイム・シフトという言葉があちこちの業界や地域でささやかれ始めた。
 
小生は、その『絶滅危惧種』の最右翼にある「金物屋」を経営している5代目店主である。全国に残っている「金物屋」はほとんどが老舗で、明治以降、戦前戦後まで国民の衣食住のうち、住の部門を広範囲に引き受けてきた業種である。   十数年前までは金物屋で平均15万種のアイテムを取り扱っていたと聞いている。当店も、銅、鉄、アルミ、ステンレスなどの材料から作業、機械、電動工具、切削、測定、配管工具、土木、建築資材、家庭金物、刃物、台所用品、はかり各種などを扱ってきた。三十数年間の金物屋としての経験は、日本人の価値観や生活様式の変化を肌で感じさせてくれた。ところが、二十年ほど前から全国各地にホームセンターなど大型量販店が進出した事で、従来の金物屋の存在理由がなくなりつつある。「このままでは廃業か倒産だ」全国の金物店経営者は同じ危機感を持っているはずだ。しかし考えてみると、いつの時代も大衆の需要の変化に応じて商売の形態は常に変化し適応してきたではないか。   「生物の進化の過程で生き残る種とは、強いものでも賢いものでもない。 環境の変化に適応した種のみが生き残る。」と言われている。かくして、環境の変化つまり大衆の需要の変化を直接確かめるために金物屋の旅が始まった。
 
わが町に大型量販店が進出してきてから、小生はそれらの量販店によく行くようになった。どんな金物店関連商品が売られているのかのリサーチである。 結論は「一般消費者だけでなく業者向けにもこれだけの品揃えなら、もう従来の金物屋は必要ない」だった。それからは逆に量販店に置いてないアイテムを探すようになった。 「棲み分け」である。しかし大量生産されていない、どこにも置いていない商品を探すのは簡単なことではなかった。
  
ある日、包丁などの刃物産地で有名な大阪府堺市から来る卸業者が「東京にご出張の際は、少し足を延ばして埼玉県の川越に行ってみてください。 蔵造りの通りに何軒か金物屋があります。その中のM商店を見てください。そして他の金物屋とどこがどう違うか比べてみてください。」と謎めいた言葉を残して帰って行った。  M商店は家族経営ながら年商数億円だという。
 
関東や関西の大都市圏に出張する際は、浅草の合羽橋、渋谷・新宿・心斎橋等の東急ハンズ、ロフト、築地・京都の包丁専門店『有次』などには足を運ぶようにしている。 新たな商品入手ルートの開発とリサーチである。  前回の上京時に、川越のM商店にも足を伸ばしたのだった。東急ハンズから合羽橋、そして川越のM商店へ。 まず感じたのは東急ハンズの品揃えが、以前に比べ「道具に対するこだわり」を捨て、流行を捉えた量販店つまりホームセンターに近づいた事だった。  ハンズは消費者つまり一般大衆のニーズを完璧に把握している。  つまりその消費者である日本人が変わってしまったということだ。  確かに道具類は豊富な品揃えである。「簡単、便利、安価」にデザイン性、色彩が加味された道具類。  買い得感は購買欲をそそる。しかし、匠の技が込められた性能と材質、耐久性重視の道具類はほとんど姿を消していた。
 
ここでキーワードになるのが、その後に行った川越のM商店のコンセプト(基本理念)である。
M商店は川越の重要伝統的建造物群保存地区に選定された土蔵造りの街並みの中心に位置している。  重厚な土蔵造りの歴史あるM商店のショーウィンドウには、匠による刃物を中心とした道具類が陳列され、マニアでなくても引き込まれてしまいそうだ。  店内のディスプレイも見事で客の美意識をくすぐる。  さほど広くない店内の中央では、店主親子が黙々と包丁や鋏を研いでいる。  自己紹介をして店主の話を伺った。  その会話の中で「企業と家業は違いますから」という衝撃的な言葉を耳にした。  合理性と経済性という言葉の裏に隠された巨大企業の利益至上の思惑とコマーシャリズムによる大衆の心理操作。 それに踊らされる日本国民。
 
M商店は、現在消滅しようとしている家内制手工業や小売業などの「家業」と言われる経営形態に誇りを持っていた。「企業」と異なり「家業」は利潤追求だけでは動いていない。  地域社会の一員として役割を担うために費やされた膨大な時間と代々の努力により「家業」が成り立ってきた経緯を見る時、日本という国家および日本人本来の姿と存在理由が見えてくる。小江戸ともてはやされ観光客がどっと押し寄せている川越の現状をM商店の店主は嘆いていた。「観光は金になる」と目をつけた企業の出店が相次いでいるからだ。 彼らはブームの熱が冷め観光客がそっぽを向き始めると「損益分岐点を大きく下回る」という経営判断ですぐに去る。かつてファッション雑誌が生み出したアンノン族に荒らされ見る影もなくなったいくつかの町を我々は知っている。 延々と歴史を刻んできた地域や町は、大衆の消耗品ではなかったはずだ。
 
戦後まで日本全国津々浦々の町や村には、その地域住民の衣食住を供給するすべてが揃っていた。供給だけでなく修理やメンテナンスをする職人もいて、その地域だけで持続可能な経済を維持していたのである。  傘職人、桶職人、鍛冶屋、造り酒屋、味噌醤油屋、仕立て屋など日常生活のすべてをサポートできる職人達が住民として生活していた。 彼らに道具類を供給する金物屋も同様にすべてが有機的なつながりを持って「家業」を営み、地域を形成していたのである。
 
戦後のアメリカの占領政策と政府の連携によって、これら地域の持続可能経済は破壊され、1400年かけて築かれてきた世界最高水準の日本文化や家庭文化の継承も見事に破壊された。まず当時就労人口の最も多かった農業が標的にされた。   全国農家の次男三男に受験体制による高等教育を受けさせ、彼らを工業力の強化に従事させた。「農工間の不均等発展」を推進し「パンと肉食」の啓蒙により、世界一の農業生産国であるアメリカの農産物を大量輸入させる事に成功した。  減反政策も功を奏し、全国の農家は他の「家業」同様に「絶滅危惧種」に入ろうとしている。  日本人が自らを形成してきた「地域」や「家業」を捨て、ひたすら「企業」に従属する事で、自分が一体何者か分からなくなった日本人が多いのではないだろうか?
 
金物店や刃物店で繁盛している店の特徴は、店頭や店内に職人の「動き」があることである。通行人や客は店主や従業員が刃物を研いだり機械を修理するシーンを直接見ることが出来る。 居酒屋レストランや蕎麦屋などの飲食業では、客に見えるようにしてある調理場つまりオープンキッチン形式の店が人気を呼んでいる。  人々はブラックボックスに包まれた完成品を購入し消費することだけの生活に矛盾や欲求不満を感じ始めているのだ。   そもそも人間は道具を使っていろんなものを作ったり修復する事に達成感や喜びを感じるように出来ている。農耕民族であり優れた道具により世界トップレベルの木造建築や工芸品、日用品を作ってきた世界一器用と言われる日本人ならなおさらの事である。    「簡単、便利、安価」や効率性、合理性の媚薬は確かに魅力的ではあるが、メイキングの物語はそれらを遥かに凌駕するのである。
 
川越のM商店は、20数年ほど前は普通の金物屋だったそうである。  同じ川越の他の金物屋にも入ってみた。  刃物類も扱っていたが、従来の金物類がほとんどで客も入っていない。小生はこれら旧態依然とした金物屋の心情がよく理解できた。  高度経済成長期からバブル期までの世界史に類を見ない日本経済の躍進と、それに伴う金物屋を初めとする小売業界の繁栄。 それら過去の華々しい栄光を捨てられずにいるのである。  これはある種のトラウマである。またいつかあの時代が来る、という幻想あるいは希望的観測からほとんどの商店は逃れられないでいる。 しかしM商店は違っていた。  確実に沈む運命の豪華客船タイタニック号の甲板で音楽を聴き踊りワインに酔いしれている乗客を尻目に、黙々とノアの箱舟を造り冷たい大海に漕ぎ出したのである。 もちろん陸にたどり着けるという保障はないにしても、沈むよりはましだ。多くの取り扱いアイテムを捨て、刃物類に『特化』したのである。 しかも刃物類をただ販売するのではなく「砥ぎ」というムーブメント、職人の動きを店内に提示しそのイメージをさらに強烈にアピールした。 「刃物や道具は研いで修復し使い続けるもの」という物語性の提示である。
 
その為には、大量生産された使い捨ての「安かろう悪かろう」の道具ではなく、職人による厳選されたこだわりの逸品を購入し一生使い続ける、という日本人本来の歴史観や価値観を客に認識させる事に成功している。 日本橋の「木屋」や築地の「有次」同様、関東一円の客は電車を乗り継いで川越のM商店を目指してやって来る。 刃物類の購入や砥ぎを依頼するために・・・
  
当店のコンセプト(基本理念)は【こだわって本物、使って一生モノ】である。世界のロングセラーの商品を検証してみると、そこに職人技が介在しているものがほとんどだ。材質へのこだわりを前提として、機能美とシンプルさが加わり、使う人間にもある程度の技術や美意識、哲学が要求される。 そして飽くまでも主人公は人間であり、その商品や道具を使って物語が始まる予感を与えるのだ。  商品や道具は使いこなすことでその人間の身体の一部となり一生の友となっていく。 道具を使って進化してきた『人間本来の歓び』がよみがえってくる。
 
実際にあった面白いエピソードを紹介する。  ある日本人女性がフランス人女性の友人に会うためにパリに行った。 久しぶりに会ったフランスの友人の服装を見て驚いた。 つま先から頭のてっぺん、つまりブーツから帽子まで高級ブランド品ではないが、材質にこだわった本物志向のファッションに身を包んでいた。 「素晴らしい! センスも良いし貴女はお金持ちなのねぇ」と感嘆すると、「ノンノン、私は安物を次々に買えるほどお金持ちじゃないわ」と答えたという。日本にも「安物買いのゼニ失い」ということわざがある。 商品がどんなに安くてもライフサイクル(商品寿命)が短かったら、ランニングコストは逆に高くつくという戒めであろう。スウェーデンのボルボ車は、平均17年間も乗られているそうだ。  マイスター制度の歴史を持つEU、ヨーロッパ諸国のメーカーは、部品供給も含めた長期メンテナンスを実現している。魔法瓶から背広、靴、バッグ、鋏などの日用品までほとんどすべてと言ってよい。
 
ヨーロッパ諸国に比べ日本はどうだろうか?  現在の日本は先にも述べたように戦後の占領政策によってアメリカナイズされ、大量生産大量消費の経済サイクルに組み込まれた得体の知れない国と化しているが、本来の日本はヨーロッパ諸国にも決して引けをとらない文化国家だった。日本古来の多くの手道具や建築、工芸、日用品を調べると、信じられないような事実が多い。まさに先人の知恵の驚異である。 例えば、和庖丁はその切れ味において他国の追従を許さない。
 
観光で日本を訪れる最近の外国人は、浅草や日本橋、築地の刃物店に行き和包丁を買い漁っているという。 彼らは和包丁が世界で一番切れるという事を知っているのだ。 ではなぜ世界一切れるのだろうか?  これには主に二つの理由があると思われる。 ひとつは日本が「刺身の食文化」を持っている事である。 熱処理や味付けをせずに生の魚を料理として出す場合、庖丁による切断技術がその味を大きく左右する。 特に切断面の細胞がつぶれると魚の旨味も舌触り等の食感も半減する。 細胞をつぶさず見事に切断できる切れ味の良い庖丁が必要になってくる。

そしてもうひとつの理由が、そのような切れ味の良い庖丁を作れるノウハウが日本に存在していたということである。 それは日本刀の存在である。 「折れず曲がらず良く切れる」と世界中から絶賛されてきた日本刀は、刀鍛冶の特殊な鍛錬法により硬鉄と軟鉄の複合構造を実現した事で、その性能を発揮した。 西洋庖丁の牛刀やぺティナイフなどは鋼(硬鉄)の単体構造なので、焼入れの際に硬度を上げ過ぎると折れやすくなり、硬度を下げると切れ味が落ちるというジレンマがある。 しかし、欧米では肉も魚も熱処理などの加工を施す料理が中心なので、材料切断に究極の切れ味を求める必要性はなかった。  洋包丁が硬度単位HRC(ハードロックウェル)-58程度しかないのに比べ、和包丁は柔らかい軟鉄で硬いハガネを挟み込んだ複合構造により、HRC-64まで上げられる。 日本刀と同様に折れず曲がらず良く切れるのである。この高付加価値により和包丁は海外では日本の数倍の価格で売買されている。 世界中が認めるほど和庖丁の切れ味が素晴らしいという事実を皮肉にも一番知らないのが日本人なのである。
 
余談であるが、庖丁は人の名前である。 昔、中国の皇帝の前で一頭の牛を見事に捌いた料理名人がいた。 その人の名前が庖丁(ほうてい)で、いつしか料理に使う刀の事を庖丁と呼ぶようになった。  魚を解体する時に使う厚みのある幅の広い庖丁を出刃包丁と呼ぶが、これを考案した堺の庖丁鍛冶職人が出っ歯だったので、出刃庖丁と呼ぶようになったのである。
 
庖丁に限らず日本の手道具にはまだ多くの物語があり、その素晴らしさを語り始めたらきりがない。 大切な事はそれらの道具を生み出してきた日本人の文化水準の高さであり、その事実を若い世代にいかに継承していくかではないだろうか?   現在のようなアメリカ的大量生産、大量消費の時代はいずれ終焉を迎える。 持続可能経済復活の鍵を握るのは、手道具によりつくる喜びを人々が思い出した時であると信じている。  金物屋という「家業」の使命は、その手道具と「つくる歓び」、それを生み出した日本人の素晴らしさを多くの若い日本人に伝えていく事だと思っている。 
 
 
  以上は、電子書籍のコラムマガジン【MANDA−LA】からの依頼による投稿原稿。
                     2010年(平成22年)5月執筆。 

 
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