【マリア像】の教訓

2016.06.11 Saturday

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    昨日の島原新聞を読んで愕然とした。久し振りに、悔しさと情けなさと悲しみが込み上げてくるのがわかった。「もう終わったことだからブログに取り上げるのはやめよう」という思いと「いや、後続のため書き残しておかなくては」という思いで葛藤した。

    2013年、文化庁は「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を世界遺産正式推薦候補に決定したが、内閣官房地域活性化統合事務局・有識者会議で「明治日本の産業革命遺産」が推薦候補に挙がり、政府は後者を2013年度の世界遺産候補に正式決定した。当時の関係者や県民にとって《寝耳に水》で落胆は大きかったが、再び2015年、政府は閣議了解を得て正式な推薦書を世界遺産センターに提出した。2016年の世界遺産委員会の審議を経て、同年、世界遺産が誕生するだろうと期待が高まったにも拘らず、今年2月、ユネスコの諮問機関イコモスから推薦内容の不備を指摘され、政府は一旦、推薦を取り下げ、構成資産の再検討に入ったのだ。国家も絡んだ二転三転の異常な展開である。

    しかも「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の構成資産13か所のうち、島原半島(南島原市)の2か所の候補のひとつ【日野江城跡】が、今年5月に構成資産から外されることに決定した。何かに呪われているのか?と思ってしまう。そして今回の【マリア像】・・・

    日本彫刻界の重鎮の一人である親松英治氏は、40代の頃に【島原・天草の乱】の舞台となった原城跡を訪れ深く魂を揺さぶられた。その後、彼はライフワークとして30年間という気の遠くなる歳月をかけ【マリア像】の制作に命を削ってきた。高さ9,5メートルの巨大作品を造るために、アトリエの屋根を高く増改築し、高級木材である巨大クスノキを材料にした寄木造りで見事に完成させた。親松氏は評価60億円といわれるその作品を、犠牲者の慰霊・鎮魂のために無償で寄贈したいと南島原市に申し出たのだ。親松氏にとって、原城近くへの【マリア像】設置は、人生の集大成の完結編だったのだ。

    南島原市はその申し出を有難く受託し、運送費や建屋の建築費などを含めた約三千万円の予算案を市議会で可決した。南島原市、いや島原半島全体にとって千載一遇のチャンスだった。そして、400年近く経った今でもローマ法王(バチカン)から《殉教》と認められていない3万7千人のキリシタン信者や原城攻めで命を落とした1万人近い幕府側の人々の慰霊・鎮魂が、巨大【マリア像】の《顕現》で実現する目前だった。この【マリア像】を肉眼で見ることで、現代や未来の人々の意識がどれだけ覚醒し、多くの【祈り】に繋がったことだろう。

    政治も人間が行っている限りは、試行錯誤の連続である。しかし、行政の長となる政治家は“選挙”という住民からの禊(みそぎ)を受けて信任を得た以上、企業や各種団体のトップと異なり、50年後、100年後あるいは500年後の地域社会の未来を深く洞察し、時に住民全員を敵に回しても、英断を下す必要があるのではないだろうか? 多くの人々の努力と市議会決議を翻した事で起こった今回の顛末は、あまりにも情けない気がする。



     

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