【テマテック・アイコン】の試み・その1

2010.03.01 Monday

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    一昨年前に当店の北隣の橋本理容院の建物が取り壊され更地になった(下の写真)。  同時に、隠れていた当店の北側の壁がまるで錆を使って演出された古トタンのオブジェのようにあらわれた。

    建物は幕末(安政年間)だが、壁の劣化で波トタンを張ったのはいつごろだろうか?   トタンの表面に錆止めとして塗ってある黒い塗料はペンキではなくコールタールのようだ。   戦前か戦後?  これはこれで時代がかっていて味が出ており面白いと思った。   漆喰の白壁とトタンの黒壁のコントラストは悪くはない。

    しばらくすると、いろんな人が当店を訪れ「壁はなんとかならんのか?」とか「まちなみの景観を損ねている」とか指摘を受けるようになった。  噴火災害後、まちづくりに奔走し平成10年に当店を改修して速魚川を作り、その後「まちづくり協定」を住民同士で締結して、国の「街なみ環境整備事業」の補助を受けられる状況を作った主要メンバーに自分もいた。
    それから次第に上の町の街並みも変わりはじめたのだった。



    市役所まちづくり課の担当者が当店を何度も訪れ「街なみ環境整備事業の補助金を使って、北側の壁を改修しませんか?」と勧めた。  最初は気乗りせず曖昧な返事を繰り返していたが、そのうちフッとひとつの概念が頭に浮かんだ。
    「テマティック・アイコン(Thematic・Icon)・・・・これだ!」 漆喰の和風白壁なんてうんざりするほど全国どこでもやっている。  もうそんな無難な事でお茶を濁している時代じゃない。   壁自体に物語性、ドラマ、テーマを持たせられないか?   速魚川を作った時のように・・・

    島原や速魚川のテーマはやはり「水」。  「水」から生まれる物語は「龍」。  「漆喰壁」から生まれる物語は「伊豆の長八」の「鏝絵」。  北側の漆喰壁に水の象徴(Symbol)である「龍神」の躍動的な鏝絵をアイコンとして描き、多くの観光客に強烈な龍のイメージでテーマ(水)を伝えるのだ。   果たして「テマティック・アイコン」は「龍の鏝絵」で決定した。


              テマテック・アイコン
              Thematic Icon

     1870年頃、自然主義やアカデミズムに対する反動としてフランス、ベルギー
    に起きた芸術運動を象徴主義という。
     Symbolism(サンボリズム)
     「まずは印象を作り出すことに専念する」

     1998年、スペインのバスク自治州ビルバオ市に、グッゲンハイム美術館が
    開館した。アメリカの鬼才、フランク・ゲーリーの設計による、チタニュウム板
    がうねるような外観は、鉄鋼業などのくすんだ工業都市の中で衝撃を与えるには
    充分の効果があった。ネルビオン川に浮かぶ船のようにも見えた。
     テーマ(主題)
     テマテック(Thematic)な建物と云われた。

    美術館正面には、アメリカの現代美術家、ジェフ・クーンズの作による、10mも
    ある巨大な、植物で形造られている犬の「パピー」が客を出迎える。
    これがアイコンになった。
    アイコン(Icon)とは、物事を絵で簡単に表すこと。アメリカの哲学者パースが提唱した。



     【鏝絵職人奮闘記】 2003年のコラムより

    「鏝絵(こてえ)」をご存知の方は多いと思う(?)。
    しかし実際に見たことのある人は少ないかもしれない。
    漆喰壁の家がほとんどなくなりつつある現在の日本ではなかなかお目にかかれない。
    そもそも「鏝絵」とは江戸時代に「伊豆の長八」と呼ばれた左官名人が漆喰壁に鏝でレリーフ(浮き彫り状の立体絵画)を描いたのが起源だと言われている。
    漆喰壁が日本建築に多く使われるようになったのは、数度に及ぶ「江戸の大火」つまり大火事で江戸幕府が防火の為に奨励したからだ。
    それまで民家の壁は板壁がほとんどで、いったん火事になったら江戸の町のように人口密集地帯(江戸の人口は当時世界一だった)はすぐに延焼し「大火」になった。
    防火材として土壁や漆喰壁を施し、財力のある商家はそれに加え軒上に「うだつ」まであげて延焼を防いだ。(もちろん「うだつ」が上がらない財力のない家も多かった)
    「漆喰」は石灰(炭酸マグネシウム)と海草糊と麻の繊維に水を混ぜて作るが、空気中の炭酸ガス(二酸化炭素)を吸って硬化し、壁材として塗ると数百年は大丈夫だ。
    その漆喰壁に施す鏝絵は石灰、貝灰、ふのりを混ぜて岩絵の具(日本画の顔料)で色をつけ、鏝で塗っていく。
    「伊豆の長八」に始まる鏝絵が全国の左官達に広まったのは江戸、明治時代で特に、大分県の安心院(あじむ)、玖珠(くす)、日田には現在も数多く鏝絵が残っており、全国に千数百箇所あるといわれる。
    上の添付写真は昨年4月に当店の正面二階外壁に完成した「青龍(せいりゅう)」の鏝絵の一部。



    【 鏝絵名人・佐仲氏は実は《放火魔》だった!? 】  2002年のコラムより

    昨夜8時ごろ、佐仲氏本人が当店に来て自供されたから間違いない。
    「いや〜今日は参った。 消防車とパトカーが家にきて大騒ぎよ。」
    詳しく話を聞いたが、いや〜佐仲名人には参った。
    佐仲氏の敷地の端に竹林が100坪ほどあり、びっしり生い茂って手におえなくなった。
    昨日は空気が乾燥していて風もかなりあったので、「燃やしちゃえ・・」と思い竹林の端に火をつけられたらしい。
    軽い気持ちで火をつけたが風にあおられて凄い勢いで竹林が燃え始めた。
    近くに民家はないし自分の土地だから良かろうと思っていたがあまりに火の勢いが凄いものだから火事と間違われて通報されたらまずいと思い始めた。
    消防署に電話して状況を説明したら、すでに消防車はそちらに向け出発してますという。
    電話を受けた消防署員がたまたま佐仲氏の同級生だったので「サイレンは鳴らさないよう無線で言ってくれ!近所の手前もあるし・・」と頼んだらしいが遅すぎた。
    消防車とパトカーは平和な田舎町・島原の国道251号線をサイレンを鳴らし華々しく疾走した。
    消防署員は訓練どおり手際よくホースを連結して速やかに放水し、「竹林火災」を消火していく。
    現場はサイレンを聞きつけて集まった近所の人達で黒山の人だかり。
    佐仲氏は「消すな!もう少しで終わるんだ!」と叫ぶが聞き入れられるはずがない。
    警察はすぐに帰って行ったが、消防署は長々と事情聴取をしたらしい。
    「まったく無神経にも程がある。あと3分の1で焼き終わっていたのに・・・」
    佐仲名人、無神経なのはあなたの方です。
    佐仲忠敏氏は左官さんで速魚川や当店を作ってくれた人。
    当店の漆喰壁に長崎県では珍しい「鏝絵(こてえ)」を今年春に制作した。
    「鏝絵」については別の機会に書く。
    上の添付写真は自供した後、焼酎を一杯呑み終えた直後の佐仲鏝絵名人。
    (性格も顔も「フーテンの寅さん」にそっくりだ。)