猪原金物店・コラム明治10年に創業。九州で2番目に歴史の金物屋。
金物店の裏では喫茶店も営業しています。

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【テマテック・アイコン】の試み・その2 11:24
このプロジェクトが決定しスタートしたのは昨年の9月だった。   設計事務所のH氏と大まかな構想を話し合い、施工業者を決め、具体的な設計が始まった。   同時に「鏝絵」のプロジェクトと看板のプロジェクトもスタートした。

遠方から初めて車で来店する観光客から 「この店を見つけるのに苦労しました。  お店の前を3回ほど車で通り過ぎてやっと見つけました。」とよく指摘を受け、アイコン(目印)の必要性を痛感していた。  店舗の正面には看板を揚げているのだが、駅前通りから車は一方通行で進入してくるので、よほど減速しないと当店を確認するのは難しい状況なのだ。  
 
 

上の写真は、北側外壁の設計者と施工者によるミーティング風景。  図面を元に施工の工程を双方で確認していく作業が続く。  当地区は商業区域に指定されており準防火地域なので、外壁は耐火ボード(サイディング・ボード)を貼る事が義務付けられている。

漆喰壁にするには、耐火ボードの上にモルタルを塗り、更にその上に漆喰を塗ることになる。  ところが、耐火ボードの継ぎ目部分(隙間)の下地処理が困難で、年月が経つとこの継ぎ目に沿って漆喰面にクラック(割れ目)が生じる可能性が出てくる。  今回は、この対策として下地に伸縮性の高い特殊モルタルを採用する事になった。  しかも二度塗りという念の入れようである。



上の写真は、完成した漆喰壁に「鏝絵」を描くプロジェクトのミーティング風景。  設計図面の上にいろんな構図を鉛筆で描き込んで検討していく。  鏝絵職人・佐仲氏と彫刻家・S女史と小生の三人で深夜まで構想やアイデアを闘わせる。   最終判断は「鏝絵」を描く本人の佐仲氏に委ねられる。  まだ残暑が残る9月下旬の店内で。


上の写真は、今年2月初旬に改修工事がスタートした風景。    黒いトタン壁に沿って足場が組み立てられていく。     高さは地上7,5メートル。  


恐らく戦前か戦後に外壁の劣化を補修するために壁全体に貼られた波トタン。  鉄板の板厚は0,3mm以上ありそうだ。  現在市販されている波トタンの板厚は0,16mmか0,25mmなので、かなり古い時代の規格である事は確かである。  表面には赤錆が浮き出ており時代の流れを感じさせる。


上の写真は、表面のトタンを剥がしたところ。  本来の外壁は板壁だった事がわかる。  安政7年(1860年)《桜田門外の変》の年に建てられたが、天井裏の棟札には万延元年(1860年)と記されている。  これは安政7年3月18日に江戸城火災や桜田門外の変の災異のために万延と改元されたからである。  下地の土壁がのぞいている。   この土壁は150年ぶりに日の目を見ることになった。 


土壁が150年ぶりに日の目を見たのも束の間、二日後には耐火ボードが貼られ、付け柱が取り付けられた後、例の特殊モルタルが塗られた(写真)。  この上からいよいよ漆喰が塗られる事になる。


上の写真は、外壁の矢切(やぎり・上の三角部分)に漆喰が塗られたところ。  足場に安全ネットが張られているので完成するまで全貌は撮影できない。   


上の写真は、漆喰壁の工事が終了していよいよ「鏝絵」が始まる直前の風景。  鏝絵職人の佐仲氏が現場に来て何やら確認している。(写真中央)   実際には一ヶ月以上前から自宅で各パーツの製作が始まっている。  佐仲氏は今回の「鏝絵」に対して構想や試作も含め半年以上も取り組んでいる事になる。  文字通り鏝絵職人として《一世一代》の大作に挑戦しようとしているのだ。
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