【テマテック・アイコン】の試み・その4

2010.05.02 Sunday

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    恐らく現在の日本人の95%くらいは「鏝絵」という言葉さえ知らないだろう。   「鏝絵」どころか、周りの環境から漆喰壁の家が姿を消してすでに何十年か過ぎようとしている。    そして現在かろうじて残っている在来工法の「古民家」や石塀なども、なんの躊躇もなく取り壊され、大手ハウスメーカーの洋風建築と駐車場に姿を変えつつある。 

    在来工法の日本建築の家が建たなくなり、折からの建設不況が重なって、「左官」の仕事がなくなりつつある。    家の外壁は防火サイディングを張り、内装はパネル張りの大壁にクロスが張られるようになった。   台所や風呂、トイレ、洗面所などの水まわりはシステム製品をワンタッチではめ込むだけになり、左官の仕事はせいぜい玄関土間と犬走りぐらいである。

    最近、20〜30歳代の若い左官さんをとんと見たことがない。   しかしそんな状況の中でも忙しい左官さんはあちこちに存在する。    高いレベルの技術を持っている事はもちろんであるが、一般的な左官業に加えて何らかの高付加価値つまり「特殊な技」を持っている左官さん達である。      
     

    漆喰壁に鏝絵の基礎モルタル部がしっかり固定され、いよいよその上から漆喰を塗る作業が始まった。     上の写真を観察すると、雲流の周りに養生用のガムテープが貼られ、モルタル部との間に1センチほどの隙間が開けられている。   これが塗られる漆喰の厚みになるのだろう。   

    雲流のデザインとフォルムもシンプルで面白い。    独特な様式美を表現したいという佐仲氏のチャレンジ精神が伺える。     漆喰に顔料を混ぜて色調を決定するが、塗った直後の濡れた状態と時間が経って乾燥した状態では全く色が変わるので、顔料の調合には神経を使う。 

    「どのようにして顔料の量を決定するのですか?」と質問したら、ニヤリと佐仲氏が笑った。   普通は企業秘密で教えてくれないのだろうが、「ドライヤーを使って強制的に乾燥させる」と教えてくれた。    
    なるほど、そのサンプルで色を先読みして顔料の調整をしていくのである。   いちいち自然乾燥を待っていたら仕事は進まない。


    今回の鏝絵の色調(明度・濃淡)に関しては、佐仲氏とかなり協議した。   佐仲氏ははっきりした濃い色で表現したかったようだ。    小生は淡い色を望んだ。   「極端な言い方をすれば、白い漆喰壁と同じ純白でもいいと思っています。   しかしそれではどこか味気ない。   飽くまで漆喰という素材を第一義に置いてかすかに色を点(さ)した・・・という表現でどうでしょうか?」 「色は干渉し合うから、珪藻土みたいな褐色系の濃い壁だったら、濃い色調の鏝絵でバランスがとれます。  しかし、白の漆喰壁には淡い色でも十分に色彩のニュアンスは伝わると思います。」  

    作者本人に納得してもらわないと、いい表現はできない。   このすり合わせが一番難しく、一番重要なところである。    確かに色の好みは十人十色である。   佐仲氏は小生の意図を理解し納得してくれた。     


    雲流の漆喰部分がほぼ完成し、いよいよ自宅で完成していた胴体部分がこの雲流に固定される。
    重量のある胴体が二人ががりで取り付けられるが、台風が来ても何十年経ってもビクともしないように押さえ金を当てた上から長いステンレスビス数本で捻じ込んで固定していく。   作者
    は自分達がこの世にいなくなった数十年後の観客を意識しているのかもしれない。


    雲流と胴体部の接合部の上に漆喰を塗って肉盛りし、自然な流れを作っていく。    側面から見ると胴体部はかなり大胆に壁面から突き出ている。    三次元空間でのダイナミックな胴体のうねりは、龍の力強さと躍動感、存在感を見事に表現している。


    すべての工程は、佐仲氏の頭の中にある。   ひとつの工程が済むと、すぐにビニマスカという養生材の薄い膜を貼って他の部分同志の傷や汚れを防ぐ。     完成して足場が撤去されると、地上7,5メートルのこの至近距離の位置からは眺めることができなくなる。    

    上の写真の左上、龍の頭部は「早く漆喰を塗ってよぉ!」と待っているようだ。   龍のあごひげの予定部分には輪郭(放射状)にガムテープで養生が施されており、漆喰壁との食いつきを良くするために薄く漆喰の下地が塗られているのが分かる。   モルタルで肉付けをするほどの厚みはないので漆喰を直接塗る予定なのである。 


    龍を一頭にするか二頭にするか、作者は昨年の末まで悩んでいたようだ。    作る側は構図のすべてに理由付け(制作意図)がいる。     平成18年11月に上演した朗読劇「信平走る・第6話(島原黎明編)」に面白い件がある。 

     

    信平は弟子、降伏と敬愛に、師・龍雲から伝えられた『龍にまつわる話』を聞かせた。


    双龍(そうりゅう)即ち双子(ふたご)の龍がそもそも本来の姿なのです。腹で交差し互いに重なり合い、

    一方の口が片方の尾を()む姿で、横八の字で永遠を表す姿をしています」


    「何かの暗示なのでしょうか」                                                  

    「そうです、この双龍は宇宙ならびに個人の究極の姿、又は大本(おおもと)の万物のありかたを表しているのです」


    「大本の姿とは」


    「天と地、神と魔、神と人間、過去と未来、自然と文明、知性と感性、男と女、生と死、
    陽と陰などといった宇宙に存在するあらゆる二元は、本来対立するものではなく、

    ()()一体(いったい)のものとして存在しているのです」


    「その不二一体の象徴が双龍なのですね」
                                                 

    「そうです。しかしいつの頃よりか不二一体である筈のものが、対立するものとされたのです」


    「具体的にはどのようなことですか」


    「国家と国家、宗教と宗教、民族と民族、など相容れないものとされる思想に
    殆どの人間が囚われているのです」


    「他宗教ともでしょうか?」


    「はい!」

    「日蓮宗(不受(ふじゅ)不施(ふせ)派)は、対立していたのではないのですか」


    「それは権力の介入時代の話です。もうこの明治という新時代には、もとの不二一体
    の形に戻さねばなりません。 小夜さんのキリスト教とも不二一体と考えなければなりません。」


    「いつ頃から壊れていったのですか?」

     
    「縄文の頃は確かに不二一体の精神が生きていた。 二本の縄を寄り合わせて一本の縄にした、その精神です」 
                                                       

    「変化していったのは縄文以降ですね」 
                                                 

    「そうです。 そしてさらに重要なのは日本列島そのものが双龍だったのです」


    「師匠、地図で見る限りでは二つには見えませんが」


    「消えたのです。 失われたもう一つの列島があり、その中核であったのが
    今の琉球なのです」




    「龍は二頭、つまり双龍でいきます。」と、年末に宣言した佐仲氏に再び悩みが生じた。   「双方に金の玉を握らせるべきか、片方だけにするのか?」である。    意味やバランスを考えながら悶々とする日々が続く。    作者は、創る歓びと同時に苦悩も与えられる。   すべては二律背反の法則だろうか・・・・    だからこそ完成した時の感動は大きくなるのだろう。

    金の玉(ドラゴンボール?)は、希望、夢、目標などを表しているのか。   具体的には平和、繁栄、成功、幸せ、愛、健康など人間が求めている普遍的なものではないだろうか・・・・・

    金の玉を掴んでいる龍の指は3本。   古代より龍の指の数は決められていて、中国の皇帝だけが5本、身分の高い家系が4本、庶民は3本となっていた。   中国の紫禁城にある龍の彫刻には確かに5本の指がある。   ラーメン店のドンブリに描かれている龍の指は3本である。   龍の指は3本が視覚的にも一番収まりが良いと思う。    玉を掴む場合はなおさら都合が良い。 


    いよいよ龍の頭部に漆喰が塗られ始めた。   モルタルの骨格と肉盛りでおおよその形は分かるが、どんな皮膚が乗るかでニュアンスや表情が全く変わってくる。   佐仲氏の中ではイメージはすでに固まっているのだ。    この時点でヒゲの芯部は付けられている。   将来、外圧で塑性変形しないように弾力のあるピアノ線(鋼鉄)を採用したそうだ。   緩やかで優しいカーブを描いている。


    頭部に漆喰が塗られいよいよ龍の表情が出てきた。    地上から見上げる距離と角度を充分に計算して輪郭が作られていることがわかる。    アップシーンがある映画やテレビと異なり、観客の肉眼で直接観られる舞台俳優のメイキャップ(化粧)は、視覚効果を計算に入れて驚くほど大胆に大造りに施す理屈と同じである。    しかもデザインとしてもその様式が確立されている。   恐るべし鏝絵職人・佐仲忠敏!!


    龍の頭部と胴体の接合部を自然な流れにするために漆喰で肉盛りしている場面。   漆喰の乾燥前と乾燥後の色の違いが分かる。   「山は越えました。」と大きなため息と共に佐仲氏が胸を撫でおろした。


    頭部がほぼ完成した。  あとはヒゲの肉盛りと首の仕上げである。   どんどん養生用のガムテープが剥がされていく。    白い漆喰壁とのコントラストが美しい。    左上の雲流が黒い付け柱を跨いでいる。   作者の《遊び心》が憎いほどにじみ出ている。


    付け柱を跨いだ雲流の上に蒼い月がポッカリのっていてなぜかホッとする。    左右の龍の緊張感を緩和する効果があるようだ。   左下の昇り龍のヒゲの方向と表現にハッとした。    右上の降り龍とは逆である。    この見事なコントラストと意外性・・・・・


    鏝絵用の鏝が足場の板にずらりと並んでいる。    金物産地で有名な兵庫県三木市の鏝メーカーがプロデュースしている。(当店にも同品を展示販売している)    これらの鏝を縦横無尽に操って鏝絵が描かれていく。   人間が考え出した手道具はそれぞれ物語性があって面白い。